雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「染井吉野に実がならない理由」

2016-04-17 | エッセイ
 「猫爺の日記」で、ふざけ半分に「染井吉野に実がならない理由」を書いたが、今、読み返して自分が書いたことなのによく分からなかった。どうせ記事にするのなら学術的ではなく、猫爺なりの解釈で、真面目にエッセイとして書き直してみようと思う。

 お花見と言えば、桜花である。桜花と言えば、白に近いピンクの染井吉野がお馴染みであるが、春になれば霞か雲かと咲き誇り、我々の目を楽しませてくれる。

 この「さくら」、実が一つも実らないのは、「そんな品種」だと思いこんで、「何故?」と疑問を持つ人は少ないのかも知れないが、染井吉野は不稔性(不実性)ではない。ただ、自家不和合性と言って、自分の木に咲いた花の花粉では結実しないのである。この染井吉野の近くに、同じ時期に開花する桜の木があれば、染井吉野も「さくらんぼ」を付けるはずである。

 ここで、こんな疑問を持っていただければ、猫爺としては「シメシメ」と言いたいところである。

   「桜の木なんて、一本だけ植わっている処ばかりではない、まとまって500本も植わっているところもあるではないか、そこでも実はなっていないぞ」

 実が成りにくい原因を先に書いておくと、染井吉野は「クローン」だからである。誤解されると困るので、クローンは実が成らないのではなくて、クローンだからこその理由があるのだ。ここで、染井吉野が生まれた江戸時代のお江戸の町へタイムスリップしてみよう。

 お江戸の町は「染井」というところに住んでいた植木職人が苦労(?)して「江戸彼岸桜」と「大島桜」を交配させて「染井吉野」という新種の桜を作り出した。ここに生まれた「染井吉野君」は、ハイブリッドというか、雑種であって、クローンではない。この染井君か染井さんかわからない桜を育て上げ、別の桜と交配させると「染井吉野」は姿を消してしまう。そこで手っ取り早くクローンで増やすことにしたのだ。

 クローンと書けば、クローン羊を思い浮かべて何やら難しいことのように思うが、猫爺も結構クローン植物を作っているのだ。例えば「ポトス」の茎を水に差しておくと根が出てくる。これを植木鉢に植えてやると、一丁前の観葉植物になる。これが枝を貰ったポトスのクローンなのだ。さつま芋の植え付けも、クローンを利用したものであろう。



 で、お江戸の話に戻るが、大きく育った染井吉野の小枝を「接木」や「挿し木」でドンドン増やし、これを売り出したものが現代に咲いている「染井吉野」の桜になったのだ。

 現存する染井吉野は、全て雄株か、全て雌株である。しかも江戸で生まれた染井吉野のクローンで、兄弟でも親戚でも子孫でもなく、みんな同じ躰(?)の一部なのである。たとえば、染井吉野を密集して植えると、大きくなって競い合い、自分が生き残ろうとするが、隣に咲いている桜も「自分」であるから、いたわり逢って「共倒れ」になることもあるという、悲しい(?)運命を背負っているのだ。

 

 

 


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