雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

日記「猫爺の昼餌」 信じる者は救われる

2016-04-19 | 日記
 昼の外食、本当は色々な処へ行ってみたいのだが、行動範囲の狭い爺には近場で間に合わせる他はない。今日もまた、マックで済ませた。

 「ペヨング」の「焼きそば」は、通販で18個入りを買って、既にその2/3は平らげてしまった。他社の「焼きそば」、例えばニッ○ンのものなどは、直ぐに飽きてしまうのだが、「ペヨング」は飽きない。昼が近付くと、「ペヨング焼きそば」が頭に浮かぶ。これが、夜中にも浮かぶので、困ったものだ。

   焼きそばはこちらにおいといて…。 「この表現も、猫爺飽きちゃった(?)みたい」

 我が家の近くに来ては、充電式メガホンで何やらひととき「お説教(?)」をして行くある宗教の信者が居る。このおっさん、盛んに「信じる者は救われる」みたいな遠の昔に聞き飽きたお説教を並べて帰って行く。
 いつもなら、「また、やっていやがる」と、苦笑して聞き流すのだか、今日は腹が立った。

 何が「信じるものは救われる」だ。猫爺なんざ、ミジンコ程も神信心していないのに、神戸の水害の折も、阪神大震災の折も、救われっぱなしだ。震災の折など、大きな教会が崩れて、多くの信者が被害に遭っている。

 この度の、熊本の震災では、将来は日本の農業を背負って立つべく希望にあふれる「あたら若き命」が犠牲になっている。これが「神の思し召し」か。

 反面、間もなく「カップ焼ぞば」をやめて、「霞」を食って生きて行く程の年寄りが、小説で神仏を茶化しているにも関わらず「神罰」にもあたらずに長生きをしている。「神よ、お前は馬鹿かっ」と、詰ってやりたい。

   「信じるものは救われる」?
   「信じるものは、足を掬われる」の間違いではないのか? え、おっさん。