雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「葱坊主」

2016-04-29 | 日記
 当ブログに、よくいらっしてくださる方のブログを拝見してまわると、目の覚めるような花の写真や、お住いの近くに、野鳥が見られる自然の環境があるなんてと、「ハー」と、ため息が出る。
 爺の癖して、花を見て溜息なんて‥ とおっしゃるかも知れませんが、「そうおっしゃいますが、ねー」(急に馴れ馴れしくなる)猫爺、投稿の度に見出しの写真や、イラストを付けたいのだが、種切れで古いのを使い回しているのだ。
 住いの近くに、素晴らしい花々や、自然の風景があれば種に困らないのにと思うと、ため息の一つもでるというものである。

   ◇紫陽花や 鉢植え買わず 盗み撮り (セコ爺)

 種と言えば、あるブロガーさんが「葱坊主」が食用になると書いておられた。猫爺も葱坊主を天婦羅にして食べているのをテレビで見た。いまいち信用していないのだが、試食したタレントさんは「美味しい」と言っておられた。だが、葱坊主付の葱など、普通のスーパーで買えない。

 スーパーさん、葱坊主を販売してみてはどうだろう。葱坊主5個をパックして、100円で、「天婦羅にどうぞ」と表示すれば売れるかも知れない。旨いとなれば、葱坊主ブームを引き起こすだろう。葱は健康にも良さそうなので、早速サプリメーカーが、「乳酸菌100億個と葱坊主が入った青汁」なんて発売するかも。

 あ、そうそう、葱の根も天婦羅にして食べていたぞ。天婦羅にすると、なんでも食べられるのだなぁ。とは言え、葱の根だけをパックに入れて売りだしたところで、売れないだろう。

 

猫爺のエッセイ「吉良の仁吉」

2016-04-29 | エッセイ
 吉良の仁吉(大田仁吉)の物語も、様々であるが、浪曲家、二代目広沢虎造(脚本)のものが泣かせてくれる。

 仁吉は若いが清水の次郎長と兄弟分の盃を交わす仲であった。次郎長一家で三年世話になった仁吉は、生まれ故郷の三河の国吉良に戻って、吉良一家を構えた。仁吉二十一歳のときである。

 それから何年か経ったある日、仁吉一家に、以前に兄弟分の盃を交わした神戸一家の貸元(親分)神戸の長吉(かんべのながきち)が相談にやってきた。

 神戸一家は子分、数十名という小さな一家だが、父親から引き継いだ荒神山の縄張りを持っていた。この縄張りは年に一度、諸国の親分衆が寄り集まって、大きな賭博が行われる。その、たった一度の賭博に依る収入は、千両を下らないとも言われたものである。
 この縄張りを、徳次郎一家の貸元、穴太徳次郎(あのう とくじろう)が信州浪人の入れ知恵で神戸一家に「いちゃもん」をつけて喧嘩を売り、縄張りを取り上げようと図った。

 穴太徳次郎は子分、数百人の大一家、それに比べて神戸一家はひ弱過ぎる。神戸の長吉は、普段心やすくしていた貸元衆をまわり加勢を頼むが、仮病を使われたり、長旅に出ていると嘘をつかれたり、はっきりと断られたりもする。
 もうダメだと諦めかけようとした時、義理に厚い吉良の仁吉を思い出して相談に出掛けたのだ。

 吉良の仁吉は、穴太徳次郎のやりかたに腹を立て、加勢を引き受ける。仁吉が真っ先にやったことは、嫁にしてまだ三か月の恋女房お菊(十八歳)に離縁状を投げたことである。お菊は穴太の徳次郎の妻の妹であったのだ。
   「恨むなら、卑怯者の徳次郎を恨め」
 仁吉とて、惚れて一緒になった女房である。断腸の思いであっただろう。

  ◇吉良の港は おぼろ月
   泣けば乱れる  黒髪の
   赤いてがらも 痛ましや
   お菊十八 恋女房

 「てがら」とは、日本髪を飾る赤い布である。

  ◇嫁と呼ばれて 未だ三月
   ほんに儚ない 夢のあと
   行かせともなや 荒神山へ
   行けば血の雨 涙雨
 
   YouTubeで、歌を聴く
 
 仁吉は、清水の次郎長に頼み込み、強力な子分衆の助太刀を得て、荒神山へ向かう。喧嘩には勝ったのだが、仁吉は徳次郎に雇われた猟師の鉄砲で撃たれて命を落とす。

 仁吉は死体となって、船で清水港に戻ってくるが、通夜の席で次郎長の子分の一人が、仁吉の長脇差と長吉に出させた長脇差を比較して皆の衆に見せる。
   「見てやってくだせぇ、仁吉の長脇差は、この通り…」
 刃がガタガタに欠けて血くもりが酷い。
   「それに引き換え長吉の長脇差は、刃が欠けるどころか、血くもり一つありやせん」
 長吉は、喧嘩の途中、どこかへ隠れていたに違いないと批判し、長吉を斬ろうとさえした。

   「ちょっと待っておくんなせえ」
 仁吉から事情を聞いていた者が居た。
   「仁吉さんは、長吉と荒神山へ向かう途中…」
 長吉に当て身を食らわせて縛り上げ、農道の小屋へ押し込めて荒神山へ向かったのだ。これは、長吉の年老いた母親を悲しませないための配慮であった。長吉が自分で縄を解き、荒神山へ駆けつけた頃には、喧嘩は終わっていた。   仁吉、二十八歳没

 この物語は、半ばフィクションであろうと思われます。(猫)