雑文の旅

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猫爺の連続小説「赤城の勘太郎」第三部 信州浪人との出会い (原稿用紙15枚)

2016-04-10 | 短編小説
 妙珍が修行した昌明寺では、般若心経をあげることはなかった。他の宗派では、「行によって煩悩を断ち切れ」と教える般若心経を上げるのだが、浄土真宗ではその行すらも必要ではなく、ただ阿弥陀如来に身をお任せするだけで良いと教える。
 本堂に向けて妙珍が声をかけると、檀家の人であろう男が気付いて応対に出た。
   「どちらのお坊さんですか?」
   「私は赤城山の麓にある昌明寺の僧で妙珍と申します、ご住職にお会いしたいのですが‥」
   「当寺の住職は、ただいまお勤め最中ですので、暫くお待ち戴いても宜しゅう御座いますか?」
   「はい、待たせて頂きます」

 妙珍は、はっきりと聞いた。当寺の住職は、阿弥陀如来像に般若心経をあげるばかりで、
領解文、重誓偈、阿弥陀経などの経は一切あげることはなかった。
   「変だなぁ」

 四半刻(30分)も待たされたであろうか、読経の声が止み僧侶が妙珍の前に現れた。
   「昌明寺の妙珍どの待たせたな、して、儂に用とは?」
   「先代のご住職さまは如何されましたか?」
   「二年前に、儂がここへ来て間もなく遷化(せんげ=死亡)なされた」
   「そうでしたか」
   「先代の住職に用があったのか?」
   「いえ、和尚さまにお尋ねしたいことがあります」
   「他に何か?」
   「和尚さまのご宗旨は、浄土真宗とお聞きしましたが」
   「如何にも、それがどうかしたか?」
   「先ほど読経を聞かせていただいておりましたが、どうして般若心経ばかりなのでしょう、阿弥陀経はお上げになりませんでしたね」
   「お前は、儂に因縁をつけにきたのか?」
   「そうかも知れません、貧乏人を檀家から外すなど、僧に有るまじき暴挙ですので、真意を確かめに参りました」
   「小僧の分際で何をぬかすか、痛い目に遭いたくなかったら帰れ!」
   「これはシタリ、まるで破落戸(ならずもの)のおっしゃりようではありませんか、あなたは僧侶ではありませんな」
 妙珍は確信した。この男は僧に化けているが、どこからか流れて来た破落戸であろう。しかも、男がこの寺へ来て間もなく先の住職が遷化したという。これは、もしかしたら先の住職はこの男に殺されたのかも知れない。
 住職の形相が変わった。それは僧侶のそれではなく、正体を言い当てられた鬼の形相であった。妙珍は駆け出した。住職は妙珍を追いかけてきたが、足の素早さでは妙珍の比ではない。住職は途中で諦めて寺へ戻っていった。

 翌日、本山の高僧に出向いて貰い、妙珍は役人と共に西福寺へ乗り込んだときには、住職の姿は消えていた。
 後に、医者の立ち合いで、元の住職の棺桶を掘り起こして再検分が行われたが、妙珍の勘があたり、土色の骨ばかりになっていたものの、肋骨に刀で斬られたた跡が見られた。

   「妙珍さん、村に留まって、西福寺の住職になってはくださらぬか」
 村長(むらおさ)に勧められた。葬儀を無事に終え、父親のご遺体を西福寺に埋葬されることになった作兵衛も、若い妙珍に頭を下げた。
   「申し訳ありません、私はこの通り未熟な僧です、そのお勧めには応じ兼ねます」
   「いえ、お若いが立派な和尚様です、なにとぞ‥」
 妙珍は、実は還俗した身である。僧侶の恰好で頭を丸めているために、僧侶として振る舞ったのであって、胸の内は既に僧ではない。
   「私は思うことがあり旅に出ました、この先は任侠の世界に身を投じようと考えております」
   「任侠の‥」
 村長は絶句した。だが、妙珍にはそれなりに訳と覚悟があるのだろうと思えた。
   「訳は訊きますまい、せめて新しいご住職が来られるまでご滞在いただけないでしょうか」
 作兵衛の父親の新仏(しんぼとけ)を、せめて四十九日の間は供養したい。そんな考えもあって、妙珍は暫く西福寺に留まることにした。殺された元のご住職も、それを願っているに違いないと思ったからである。

 作兵衛の父親の四十九日法要を終えて数日が経っていた。妙珍はそろそろ旅立とうと思っていた矢先、村長(むらおさ)が西福寺にやってきた。
   「住職を引き受けてくれる和尚が見つかった」というのだ。
   「それは宜しゅう御座いました、私はこれで心置きなく旅に立つことができます」
   「足止めして済まなかった、村の衆とも話し合ったのだが‥」
 村長は、懐が懐紙の包を取り出して妙珍に差し出した。
   「貧乏な村なので、皆寄ってもこの程度のお礼しか出来ないのだが‥」
 包には、一分金が三枚包まれていた。
   「名主さま、そのようなお心使いは無用に願います」
 妙珍の懐は乏しいが、侠客一家に身を寄せるつもりである。そこで働いて父親を殺した浅太郎と、それを教唆した忠太郎の消息を知りたいのだ。礼金は、布施として寺に置いて行くつもりで一応受け取った。

 間もなく、村の若い衆が墨染の僧衣に網代笠を被った僧を案内してきた。
   「新しいご住職がみえたようです」
 村長は、深く頭を下げて住職を迎えた。
   「では、私は新しいご住職に挨拶をして旅に出ましょう」
 妙珍もまた頭を下げて迎い入れた。僧は、網代笠をとって、やはり村長と妙珍に向かって頭を下げた。
   「ようこそ、お出でくださいました」
 僧の顔を見た妙珍は、飛び上がる程に驚いた。見紛うことなく、従兄弟の浅太郎である。相手は妙珍に気付いていないらしく、掌を合わせて妙珍に語り掛けた。
   「拙僧は伊那の仙光寺の僧、曹祥(そうしょう)と申します」
曹祥は、まだ妙珍に気付かない。
   「私は赤城山の麓、西福寺の妙珍でございます」
西福寺の名を聞いて、漸く気付いたようである。
   「お前は、勘太郎なのか?」
   「如何にも、三室の勘助の倅、勘太郎にございます」
   「よかった、生きていたのか」
 曹祥は思わず駆け寄って妙珍の肩を抱こうとしたが、妙珍はその手を跳ね除けた。
   「浅太郎兄さんは、僧侶になられたのですか」
   「あの後、俺は赤城山に戻って、親分に勘助おじさんが遺した言葉を伝え、親分子分の盃を返し、村へ戻って勘太郎を探したのだが見つからなかった」
   「私は西福寺に匿われておりました」
   「やはりそうだったのか」
 浅太郎は、幾度も西福寺に出向き、勘太郎のことを尋ねたのだが、その都度「知らぬ」「来てはいない」と追い返された。足を滑らせて池へ落ちたのではないか、山へ逃げ込んで飢え死にしたのではないかと、一帯を掛けずり探し回ったのだと言う。
 浅太郎は、自分の思慮の足りから、罪のない勘太郎まで死なせてしまったと自分を責め、二人の供養のために出家したのだと言う。

 僧侶同士で、仇討ちも仕返しもないだろうと、妙珍は、旅支度にとりかかった。
   「妙珍、何処へ行く」
   「ただいまから、妙珍の名は捨て、赤城の勘太郎に戻ってやくざの世界に身を投じます」
   「勘太郎、待ってくれ」
   「浅太郎兄さん、俺のことは、放っといてくれ」
   「勘太郎、お前は父親の仇を討つ積りだろう」
   「仇などとは武士の世界のこと、町人の俺に仇討ちなど出来ない」
   「やくざの仕返しなのか、勘助おじさんを殺したのは俺だぞ」
 浅太郎は、父を殺しておいて出家という駆け込み寺へ逃げ込んだのだ。もう怨むことも手出しをすることも出来ない。
   「俺はたった今から、あんたにそうさせた国定村の忠次郎だけを憎むことにした」
 勘太郎の父、勘助は目明しという立場から、代官殺しの大罪人忠次郎を逃がす訳にはいかなかった。そこで、それとなく逃げ道を忠次郎に教えたのだが、忠次郎にはその配慮が通じずに、恩義ある自分を裏切ったと勘違いしてしまったのだった。忠次郎がそれに気付いたのは、こともあろうに勘助の甥浅太郎に、「勘助を殺せ」と命じた後だった。

   「浅太郎兄さん、俺はもうあんたに会うことはないだろう、あばよ」

 待ってくれと懇願するような浅太郎の目を逃れて、勘太郎は旅に出た。恰好良く啖呵のひとつも切ってやりたかったが、着ている僧衣がそうはさせてはくれなかった。
   「どこかで銭を稼がなければ、旅籠にも泊まれない」
 と、言ってもこの若造に出来る仕事があるのだろうか。
   「とりあえず、侠客一家に草鞋を脱ごう」
 だが、客人として一宿一飯の恩義を受けるだけの器量も度胸もない。喧嘩出入りにでも出くわせば、何の役にもたてない。出来るのは、寺で覚えた飯炊き、風呂焚き、庭掃除の類である。


 行くあてなど無いも同然であるが、勘太郎の草鞋は信州を向いていた。途中、三基の一里塚を数え宿場町に入ると、通行人の数が目立ちはじめた。勘太郎がキョロキョロしながら歩いていると、後ろから足早に歩いてきた浪人者に追い越された。
   「大人の足は、早いなぁ」
 浪人の遠ざかっていく後姿を、感心しながら眺めていると、路地から町人の女が飛び出してきた。浪人の前に回ると、ふらっとよろけて胸に縋るように寄り掛かった。
   「破落戸(ならずもの)に追われています。どうぞお助けください」
 しきりに懇願しているが、女を斜め後ろから見ている勘太郎には、その手付きがよく見える。女は浪人の懐から財布を抜き取った。そこへ、女が飛び出してきた路地から男が女を追って来た。
   「こらお紗江、待ちやがれ!」
   「何だ、お前たちは知り合いか」
   「へい、女房のお紗江です、このアマ叩き殺してやる」
   「夫婦喧嘩か、人騒がせなヤツらだ」
   「へい、申し訳ありません」
   「だが、叩き殺すとはただ事ではないな」
   「いえ、これは口癖で、本当に殺したりはしません」
   「そうか、夫婦喧嘩は犬も食わぬと申すぞ、もっと人目のないところでやりなさい」
   「済みません、お紗江も謝らないか」
 女も頭を下げ、浪人の前から立ち去ろうとしたとき、駆け込んできた勘太郎が真相を明かした。浪人は自分の懐を探ると、漸く財布が無くなっていることに気付いた。
   「何と、こやつ等は二人組の掏摸であったか」
 浪人は、行き成り男に当て身を食らわして蹲せると、女の肩を抑え付けた。
   「掏り盗った財布を返してくれ」
 女はしぶしぶ浪人の財布を出した。
   「両の手首を斬り落としてやりたいが、やめておこう。お前たち、狙うならもっと金持ちを狙え」
 こんなことで、掏摸をやめるようなタマではない。その証拠は、離れ際に二人して勘太郎を睨みつけたことである。

   「おい坊主、よく知らせてくれたのう」
   「俺らに見られてしまったのに、子供だと侮ったのでしょう」
   「財布を盗られたら、博打の元手がなくなってしまう。今夜から野宿をしなければならないところであった」
 たいして入っていないがと、財布の中身を確かめながら、勘太郎に見せた。それでも二両と二分二朱という勘太郎にとっては大金である。
   「拙者は、とある藩の藩士であったが、事情あって陸奥へ行っておった、矢も楯もたまらず故郷で待つ妹に一目会おうと戻るところだ」
   「俺らは、赤城山の麓の生まれで勘太郎と言います」
   「拙者は、信州浪人 朝倉辰之進と申す。これでも腕は新免一刀流免許皆伝であるぞ」
 訊きもしないのに、腕前をひけらかす。素直で、あっけらかんとしているのか、何やら魂胆があってのことか勘太郎には推量できないが、一応「怪しい浪人」として、受け止めておくことにした。   ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜