猫爺の空想的解釈を述べてみよう。(ちょっとだけ修正版)
古事記は、天地の始まりから述べられているのだが、宇宙は混沌としているものから何となく出来上がっていくようである。地上と言えば、陸地も海もなく、ゼリー状のものがウネウネとしているばかりであった。宇宙が出来上がる以前に地上が有ったのは、猫爺の-憶測に過ぎないが、実は神話とは神が主役だと考えがちであるが、人間が主役なのではないだろうか。
混沌とした宇宙に、「独り神」といわれる男でも女でもない神が、何処ともなく現れ、いつのまにか消えてしまう。この形すらわからない神々を「コトアマツカミ」と言い、その神々が消えた後に、「双び神(ならびがみ)」という五組十柱の神々が生まれてくる。この神々は最初泥のようであったが、代を重ねるたびに人間のような姿になって来る。「神が何故人間の姿に?」それは人間が主役である証拠とも言えよう。
双び神は七代(神世七代=カミヨナナヨ)続き、七代目に現れた双び神が、イザナギノミコト(男)と、イザナミノミコト(女)である。
この夫婦の神たちは、神の国、高天原(タカマガハラ)の神々に、ウネウネしているゼリー状の地上を鎮めよと命じられる。
夫婦の神は、天の浮橋(アメノウキハシ)という空中に架かる橋の上に立ち、天の沼矛(アメノヌボコ)という棒の先に両刃の剣が付いた矛で地上のゼリーを掻き混ぜて引っこ抜くと、しずくがポタリと地上に落ちた。これが固まってオノコロ島が出来たのであった。
夫婦の神たちは、この島に天の御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)という広々とした神殿を建て、ここを夫婦の住居とした。
この夫婦神は、スーパー多産系で、超スケベであった。「お前の足りないところを、俺の余分な部分で埋めよう」と、自然に性交を思いつき、北海道と沖縄を除いた日本の国土、大八島(オオヤシマ=本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡)を次々と産んだ。
猫爺のこと、それら産む様子を想像してみたのだが、途中で挫折してしまった。お産の慣用句に「小さく産んで、大きく育てる」というのがあるが、きっとそれのスーパー版であろう。
この夫婦神、「ヤリまくり、産みまくり」で、ポコポコと八百万(ヤオヨロズ)の神々を産んでいくのだが、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)またの名を 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)通称カグツチを産んだあと、イザナミノミコトは死んでしまう。カグツチが火の神であった為に、イザナミの腹の中では羊水に覆われているが、破水して生まれ際には火で覆われていたのだ。赤ん坊の出口を大火傷したイザナミは、それがもとで死んでしまったのである。
夫のイザナギは怒り狂って、罪のないカグツチを斬り殺してしまう。そのカグツチの流した血や死体から、多くの神々が生まれることになる。この生まれた神々は、カグツチのクローンであろう。
イザナギは、妻イザナミのことが忘れられずに、呼び戻そうと黄泉の国へ出かけるが望み叶わず戻ってくる。汚れた躰を浄めようと禊(ミソギ)をするが、この禊で多くの神々が生まれる。イザナギの両目や鼻や垢から生まれた太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)や乱暴者で八岐大蛇退治で知られる須佐之男命(スサノオノミコト)、夜の食国(オスクニ=国家)を任された月読命(ツキヨミノミコト)もクローンと言えるだろうが、杖や帯やブレスレットからも神々が産まれている。まァ、神の仕業なので、凡人ごときが突っ込みをいれることは出来ないが、神世とは不可解なものである。
古事記のなかには、不思議で漫画的で面白いエピソードがたくさんでてくるのだが、この物語は何のために作られたのであろうか。
神々の子孫が、やがて「神武天皇」へ行き着くのだが、ここで猫爺の空想的解釈を述べさせていただくと、この神話(物語)は、神武天皇から始まる天皇を神格化するために作られたのであろうと考える。作られたというよりも、豪族の命によって「作らされた」というべきかも知れない。
古事記は「口伝え」で、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の記憶をもとに太安万侶(オオノヤスマロ)が、雇い主である元明天皇の命を受けて編纂したものとされているが、いくら記憶の天才だとて、一人でこの膨大な物語を記憶していたとは考え難い。
稗田阿礼は一人ではなく、集団であったかも知れない。また、この膨大な物語は、太安万侶の創作も組み込まれた脚本であろうと想像する。
古事記は、天地の始まりから述べられているのだが、宇宙は混沌としているものから何となく出来上がっていくようである。地上と言えば、陸地も海もなく、ゼリー状のものがウネウネとしているばかりであった。宇宙が出来上がる以前に地上が有ったのは、猫爺の-憶測に過ぎないが、実は神話とは神が主役だと考えがちであるが、人間が主役なのではないだろうか。
混沌とした宇宙に、「独り神」といわれる男でも女でもない神が、何処ともなく現れ、いつのまにか消えてしまう。この形すらわからない神々を「コトアマツカミ」と言い、その神々が消えた後に、「双び神(ならびがみ)」という五組十柱の神々が生まれてくる。この神々は最初泥のようであったが、代を重ねるたびに人間のような姿になって来る。「神が何故人間の姿に?」それは人間が主役である証拠とも言えよう。
双び神は七代(神世七代=カミヨナナヨ)続き、七代目に現れた双び神が、イザナギノミコト(男)と、イザナミノミコト(女)である。
この夫婦の神たちは、神の国、高天原(タカマガハラ)の神々に、ウネウネしているゼリー状の地上を鎮めよと命じられる。
夫婦の神は、天の浮橋(アメノウキハシ)という空中に架かる橋の上に立ち、天の沼矛(アメノヌボコ)という棒の先に両刃の剣が付いた矛で地上のゼリーを掻き混ぜて引っこ抜くと、しずくがポタリと地上に落ちた。これが固まってオノコロ島が出来たのであった。
夫婦の神たちは、この島に天の御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)という広々とした神殿を建て、ここを夫婦の住居とした。
この夫婦神は、スーパー多産系で、超スケベであった。「お前の足りないところを、俺の余分な部分で埋めよう」と、自然に性交を思いつき、北海道と沖縄を除いた日本の国土、大八島(オオヤシマ=本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡)を次々と産んだ。
猫爺のこと、それら産む様子を想像してみたのだが、途中で挫折してしまった。お産の慣用句に「小さく産んで、大きく育てる」というのがあるが、きっとそれのスーパー版であろう。
この夫婦神、「ヤリまくり、産みまくり」で、ポコポコと八百万(ヤオヨロズ)の神々を産んでいくのだが、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)またの名を 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)通称カグツチを産んだあと、イザナミノミコトは死んでしまう。カグツチが火の神であった為に、イザナミの腹の中では羊水に覆われているが、破水して生まれ際には火で覆われていたのだ。赤ん坊の出口を大火傷したイザナミは、それがもとで死んでしまったのである。
夫のイザナギは怒り狂って、罪のないカグツチを斬り殺してしまう。そのカグツチの流した血や死体から、多くの神々が生まれることになる。この生まれた神々は、カグツチのクローンであろう。
イザナギは、妻イザナミのことが忘れられずに、呼び戻そうと黄泉の国へ出かけるが望み叶わず戻ってくる。汚れた躰を浄めようと禊(ミソギ)をするが、この禊で多くの神々が生まれる。イザナギの両目や鼻や垢から生まれた太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)や乱暴者で八岐大蛇退治で知られる須佐之男命(スサノオノミコト)、夜の食国(オスクニ=国家)を任された月読命(ツキヨミノミコト)もクローンと言えるだろうが、杖や帯やブレスレットからも神々が産まれている。まァ、神の仕業なので、凡人ごときが突っ込みをいれることは出来ないが、神世とは不可解なものである。
古事記のなかには、不思議で漫画的で面白いエピソードがたくさんでてくるのだが、この物語は何のために作られたのであろうか。
神々の子孫が、やがて「神武天皇」へ行き着くのだが、ここで猫爺の空想的解釈を述べさせていただくと、この神話(物語)は、神武天皇から始まる天皇を神格化するために作られたのであろうと考える。作られたというよりも、豪族の命によって「作らされた」というべきかも知れない。
古事記は「口伝え」で、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の記憶をもとに太安万侶(オオノヤスマロ)が、雇い主である元明天皇の命を受けて編纂したものとされているが、いくら記憶の天才だとて、一人でこの膨大な物語を記憶していたとは考え難い。
稗田阿礼は一人ではなく、集団であったかも知れない。また、この膨大な物語は、太安万侶の創作も組み込まれた脚本であろうと想像する。