雑文の旅

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猫爺の短編小説「母をさがして」第四部 投獄   (原稿用紙9枚)

2016-01-28 | 短編小説
 餅は朝と夜に一枚ずつ食べるとして、五日分はある。運が良ければ、晒を使って川の浅瀬で小魚を獲ることも出来た。沢のほとりで火を焚き、小魚を炙って舌鼓を打つこともある。このまま行けば、飢えずに江戸まで行けそうである。江戸まで行ければ、何とかなるだろうと駿平が楽天的になれるのは、母親が江戸のどこかに居るという安心感からくるものだろう。

 昼過ぎ時、雲が張り出し雨模様になってきた。今日は少し早いうちに塒を探しておかなければならないだろうと、脇道に逸れて荒れ小屋か住人が絶え果てた廃家を探したが見当たらなかった。更に脇道を奥に進むと、猟師が雨宿りをする為に掘られたらしい洞穴があった。日暮れまでにはまだ刻はあるが、今夜はここで眠ろうと中に入ろうとすると、壁にもたれて休んでいる先客があった。
   「済みません、おいら達も入らせてもらってよろしいか?」
 汚れて擦り切れた打裂羽織と袴を付けてはいるが、立派な大小の刀を下げた侍のようである。
   「お侍さま、よろしいでしょうか?」
 駿平は侍に声をかけたが返事がない。「煩いガキどもが来た」と、無視しているのかも知れない。諦めて別の場所を探そうと思ったところに雨がポツリポツリと降り始めた。洞穴に踏み入れて侍の様子をみたところ、眠っているように思えた。起こしたら、行き成り怒鳴られて刀を抜かれるのではないかと思ったが、恐る恐る肩に手を当ててみた。
   「お侍さん、眠っておられるのですか?」
 駿平が、侍の肩を揺すると、「ガクッ」と横に倒れた。
   「死んでいる!」
 駿平は、慌てて手を引っ込めたが、代わって耕太が侍の胸に耳を当てた。
   「兄ちゃん、この人生きているよ」
 駿平も侍の胸に耳を当てた。息はしておらず、心の臓はさざ波のように小刻みに震えていた。
   「助かるかも知れない」
 駿平は自分の着ているものを脱ぐと侍を包み、馬乗りになって侍の口と自分の口を合わせ息を吹き込むと、暫くは両手で胸を押した。その昔、雪崩に埋まって心の臓が止まった村人を、若い医者が胸を押して助けたことを思い出したのだ。
 百回も続けただろうか。やがて心の臓は弱いながらも脈打ち始め、息を吹き返した。枯草を集め粗朶を拾い集め、枯れ木を燃やして侍の体を温めた。駿平の腰に下げていた竹筒の焼酎を沢の水で薄めて火の傍に置いた。
   「お侍さん、目がさめましたか」
 侍は目を開き、体を動かそうとしたが、「うっ」と呻いて顔をしかめた。体の節々が痛むらしい。やがて、水割り焼酎が人肌ぐらいに温まったので、侍の口に注いでやった。
 腹が減っているだろうと、餅を焼いて食べさそうとしたが、今の今まで気を失っていたのであるから、咀嚼力が低下しているだろうと、思い留まった。喉に痞えるかも知れぬと思ったからだ。

 体を摩り、火を絶やさず、どうにか夜明け近くになって侍は安定した寝息をたて始めた。耕太も駿平の傍らでスヤスヤと眠っている。
   「夜が明けたら、どうしょうか」
 侍を放って旅立ちも出来ず、この大男を背負って人里まで行く力もない。パチパチと燃えるたき火を見ながら、思案に暮れる駿平であった。

 夜が明けると、駿平は耕太を起こした。
   「兄ちゃん、近隣の村へ人を呼びに行ってくる」
   「おいらも行く」
   「耕太は、この人を看ていてくれ」
   「恐いから嫌だ」
   「どうして?」
   「この人、良い人か悪い人かわからない、目を覚ましたらおいらを殺すかも知れん」
 言われてみれば、そうである。自分と耕太が必死に介護したのに、気を失っていて何も知らない。懐に財布などはもとから無かったが、自分達が盗んだと思うかも知れない。
   「そうか、では一緒に行こう」
 昨夜は暗くて顔が見えなかったが、若いようであった。髭面で顔色など今もって分からぬが、寝息が安らかであった。放っておいても大丈夫だろう。

 民家を見付けて侍の様子を訴えると、番屋まで連れて行かれた。兄弟は役人に尋問されて、足止めをされた。
   「その侍を連れて来るから、それまでここで待っておれ」
 二人の役人に見張られて、縛りはされなかったものの完全に盗人扱いである。
   「あんな侍に関わって損をしたな」
 駿平は膨れっ面をしたが、耕太は平然としている。
   「おいら達は、なにも悪いことをしていないのだから平気だよ」

 兄弟を足止めしておきながら、茶一杯も出さない役人たちに憤りながら待たされること一刻(2時間)、漸く行倒れの侍を連れて役人が戻ってきた。筵に包み、上半身と足に縄をかけ、それはまるで屍でも運んで来たようであった。どうやら、侍の意識がはっきりとしていないようで、背負うことも出来なかったのであろう。
   「懐に財布はあったか?」
   「いいえ、有りません」
   「やはりこのガキどもが盗み取ったのだろう」
 兄弟は裸にされて取り調べられた。
   「財布は無いが、それぞれ巾着に百文ずつ入れて持っております」
   「盗んだ財布は、何処か途中の藪にでも隠してきたのだろう」
 取り調べているのは、威張ってはいるが手代と呼ばれる代官所の下級役人である。
   「その人は、初めから財布など持っていなかった」
 駿平が抗議をしたが、それが帰って疑いを深めさせた。
   「小僧、語るに落ちたなぁ、侍の懐を探ったからそう言えるのであろう」
   「違う、その人は息が止まり、心の臓も止まりかかっていたので、胸を押したのだ」
   「嘘をつけ、息をしていなかった者が、生き返ることはない」
   「このお侍は、息を吹き返しました」
   「ガキの癖に大嘘つきめ、こやつを縛り上げて、代官所のお牢に入れておけ」
 役人は、部下らしき男に申し付けた。そのとき、今まで黙って成り行きを窺っていた耕太が役人に言った。
   「お役人さん、小父さんは馬鹿か、懐にお金を入れていた侍が、あんな洞穴で野宿をするのか」
 お金が無かったから宿場に泊まらずに、洞穴で夜を過ごそうとしたのである。自分達が見つけて看病したときは、この侍は一文なしであったのだ。
 耕太が説明したが、馬鹿と言ったのが悪かったようである。役人は激怒して、侍の朦朧とした意識が回復したら、必ずお前たちを仕置きしてやると意気込んだ。

   「おいらたちはツキが無いらしい」
 お牢の中で、駿平は独り言のように呟いた。
   「お兄ちゃん大丈夫だよ、あの侍の意識が戻れば、おいら達は解き放ちになるさ」
   「ところであの侍、医者に診せたのだろうか」
   「さっき、医者を呼んで来いと手下を走らせていたよ」
 
 一日過ぎても、二日過ぎても何ら音沙汰はない。少しでも早く江戸に近付きたいのに、駿平は苛立ってきた。
   「あの侍、死んだのかも知れない」
 そうなれば、意地の悪い役人に盗人にされてしまう。どうぞ生きていてくれと、祈る気持ちで待ち続ける駿平であった。

-つづく-


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