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会津の国は、とある山村の農家に夫婦と二人の息子が慎ましく生活していた。夫は働けど働けど貧しさから抜けることの出来ない憤懣が募り、いつしか働くことを止めて酒に溺れていった。妻と十二歳と七歳の兄弟は僅かな畑にしがみつき、その日その日を生きていた。妻は夫の憤懣の捌け口となり、重なる暴力にも涙ひとつ零さずに耐え忍んでいた。
「おとう、おふくろは何処へいった」
朝早く目が覚めた長男の駿平が父親孫六に尋ねた。
「さあ、今朝目が覚めたら居なくなっていた」
「どこへ行ったか、心当たりはないのか?」
「ない」
何処かへ行くなら、一言告げて行けば良いのにと、駿平は文句を言いながら母に代わって朝餉の支度をした。
その日、酒の臭いが残る父親を家に残し、駿平と耕太は畑仕事に出掛けた。夕刻になっても母は帰っていなかった。母は、何も言わずに出かけて、日暮れまで帰って来なかったことなど、今まで一度もなかった。また、身寄りもなく、行くあてなどないのである。
「おとう、おかしいぞ、もう暗くなって来たのに帰って来ねえなんて」
「そうだなぁ」
父親は嘯いているようにも見える。弟の耕太が、泣きべそをかき始めた。
「おっかあ、どこへ行った」
次の朝にも帰って来なかった。
「おら、村長さんに相談して来る」
駿平が駆け出そうとすると、孫六が止めた。
「わしが不甲斐ないから、家出したのかもしれねぇ」
駿平も耕太も驚いた。耕太は大声を出して泣き喚いた。
「おとう、おふくろは俺たちを残して家出なぞする筈がねえ」
孫六は、黙って俯いた。駿平は、父親が何かを隠していると勘付いた。
「おとうは知っているのだろう、言ってくれ」
駿平は母親を迎えに行くと言いだした。孫六は相も変わらず黙って下を向いている。
「もしや‥」
駿平は、不吉なことを想像して、身震いをした。
「もしや、おふくろを売っちまったのではなかろうな」
言われて、孫六は二人の息子に手をついた。
「許してくれ、わしの借金の肩に連れて行かれたのだ」
それを聞いて、駿平は顔を真っ赤にして逆上した。仕事をしないばかりか、母親に暴力を振るい、挙句の果ては借金の肩にするとは、どうしてもこの父親が許してはおけなかった。
「殺してやる!」
駿平は水屋へ行くと、出刃包丁を握りしめた。
「何処へ行ったら、おふくろに会えるか言え!」
「わからん、何処かへ売られたのだろう」
「売られたのだろうと、他人事のように言うな、お前がそう仕向けたのだろうが」
包丁を両手で握り、父親に突進しようとしたが、弟の耕太が叫んで止まらせた。
「兄ちゃん、止めてくれ」
兄ちゃんがそんなことをしたら、おいらは独りぼっちになると、泣いて駿平の足に縋った。気付いて出刃包丁は手放したが、駿平はどうにも遣る瀬無い気持ちでその場に蹲った。
その日は野良仕事に出掛ける気にもならず、駿平は外へ飛び出すと小川の縁に腰を下ろして水の流れを眺めていた。
いつの間にか、耕太が兄の姿を見付け出し、そっと寄り添って涙を零していた。それから数日が経った。駿平は小川で小魚を獲り野菜を煮て弟に食べさせたが、働く気にもなれずに同じ場所に座り込んでは水の流れを見て時を過ごした。夜になると家に帰るのだが、父親に背を向けて黙りこくるばかりであった。
ある日、やはり小川の縁に座り込んでいると、この日も耕太がやってきて駿平に寄り添った。
「なあ耕太、おら達二人で家出をしようか」
「おっかぁを探しにいくのか?」
「うん、隣の権爺に訊けば、おっかぁの行先が分かるかも知れん」
母親は、よく権爺の家に行き悩み事を話しては癒されて帰ってくるのを思い出したのだ。権爺が野良から戻る頃を見計らって、兄弟そろって権爺が通る農道に座り込んで待っていた。
「あっ、権爺だ!」
耕太が鍬を担いで戻ってくる権爺の姿を見付けて叫んだ。
「駿平と耕太じゃないか、そんなところで何をしている」
「権爺を待っていたのです」
「そうか、おっかぁのことを訊きたいのか」
「うん」
「孫六の為に、お前たちも悲しい思いをされられたのだろう」
「うん」
「お前たちに言うのは残酷なのだが、おっかぁは売られていったのだ」
「何処へ?」
「女衒に連れられてお江戸方面に向かうお由さんの姿を、月明りに見た村の若衆が居たのだ」
「お江戸のどこか分かりませんか、おふくろは権爺に告げませんでしたか」
「お由さんも、寝耳に水だったようじゃ、お前たちやわしにも別れを言う間も無かったのだろう、可哀そうに‥」
権爺は、涙で言葉を詰まらせた。
「権爺、ありがとう」
駿平と耕太は、何やら希望の光が射したような明るい顔になって権爺と別れた。
その日の朝も、駿平と耕太は小川の流れを眺めていた。ただ、今までとは違って駿平の目は輝いていた。
「なあ耕太、このまま家に居ても冬になれば、おいらたちは飢えて死ぬかも知れない」
「うん」
「家出をしてお江戸へ行かないか」
「だって、おいら達は一文なしだろ」
「途中の農家で、手伝いをして食べ物を貰うのだ」
「手伝いって?」
「薪割りとか、草むしりとか、荷物運びとか土竜退治だ」
「そんなこと、させて貰えるのか?」
「きっと居るさ、そんな優しい人が」
もし、盗人だと騒がれて役人に引き渡されたら、誰も庇ってくれる人は居ないだろう。そうなれば牢に入れられ、働かされて牢死するかも知れない。駿平は、弟を不憫に思うが、あの暴力を振るう父親のところに一人残しては行けない。
「どうせ死ぬなら、兄ちゃんは少しでもおっかぁに近いところで死のうと思う」
「おいらも」
「母をさがして」第二部 野宿へ
「母をさがして」第一部 旅立ちへもどる
「おとう、おふくろは何処へいった」
朝早く目が覚めた長男の駿平が父親孫六に尋ねた。
「さあ、今朝目が覚めたら居なくなっていた」
「どこへ行ったか、心当たりはないのか?」
「ない」
何処かへ行くなら、一言告げて行けば良いのにと、駿平は文句を言いながら母に代わって朝餉の支度をした。
その日、酒の臭いが残る父親を家に残し、駿平と耕太は畑仕事に出掛けた。夕刻になっても母は帰っていなかった。母は、何も言わずに出かけて、日暮れまで帰って来なかったことなど、今まで一度もなかった。また、身寄りもなく、行くあてなどないのである。
「おとう、おかしいぞ、もう暗くなって来たのに帰って来ねえなんて」
「そうだなぁ」
父親は嘯いているようにも見える。弟の耕太が、泣きべそをかき始めた。
「おっかあ、どこへ行った」
次の朝にも帰って来なかった。
「おら、村長さんに相談して来る」
駿平が駆け出そうとすると、孫六が止めた。
「わしが不甲斐ないから、家出したのかもしれねぇ」
駿平も耕太も驚いた。耕太は大声を出して泣き喚いた。
「おとう、おふくろは俺たちを残して家出なぞする筈がねえ」
孫六は、黙って俯いた。駿平は、父親が何かを隠していると勘付いた。
「おとうは知っているのだろう、言ってくれ」
駿平は母親を迎えに行くと言いだした。孫六は相も変わらず黙って下を向いている。
「もしや‥」
駿平は、不吉なことを想像して、身震いをした。
「もしや、おふくろを売っちまったのではなかろうな」
言われて、孫六は二人の息子に手をついた。
「許してくれ、わしの借金の肩に連れて行かれたのだ」
それを聞いて、駿平は顔を真っ赤にして逆上した。仕事をしないばかりか、母親に暴力を振るい、挙句の果ては借金の肩にするとは、どうしてもこの父親が許してはおけなかった。
「殺してやる!」
駿平は水屋へ行くと、出刃包丁を握りしめた。
「何処へ行ったら、おふくろに会えるか言え!」
「わからん、何処かへ売られたのだろう」
「売られたのだろうと、他人事のように言うな、お前がそう仕向けたのだろうが」
包丁を両手で握り、父親に突進しようとしたが、弟の耕太が叫んで止まらせた。
「兄ちゃん、止めてくれ」
兄ちゃんがそんなことをしたら、おいらは独りぼっちになると、泣いて駿平の足に縋った。気付いて出刃包丁は手放したが、駿平はどうにも遣る瀬無い気持ちでその場に蹲った。
その日は野良仕事に出掛ける気にもならず、駿平は外へ飛び出すと小川の縁に腰を下ろして水の流れを眺めていた。
いつの間にか、耕太が兄の姿を見付け出し、そっと寄り添って涙を零していた。それから数日が経った。駿平は小川で小魚を獲り野菜を煮て弟に食べさせたが、働く気にもなれずに同じ場所に座り込んでは水の流れを見て時を過ごした。夜になると家に帰るのだが、父親に背を向けて黙りこくるばかりであった。
ある日、やはり小川の縁に座り込んでいると、この日も耕太がやってきて駿平に寄り添った。
「なあ耕太、おら達二人で家出をしようか」
「おっかぁを探しにいくのか?」
「うん、隣の権爺に訊けば、おっかぁの行先が分かるかも知れん」
母親は、よく権爺の家に行き悩み事を話しては癒されて帰ってくるのを思い出したのだ。権爺が野良から戻る頃を見計らって、兄弟そろって権爺が通る農道に座り込んで待っていた。
「あっ、権爺だ!」
耕太が鍬を担いで戻ってくる権爺の姿を見付けて叫んだ。
「駿平と耕太じゃないか、そんなところで何をしている」
「権爺を待っていたのです」
「そうか、おっかぁのことを訊きたいのか」
「うん」
「孫六の為に、お前たちも悲しい思いをされられたのだろう」
「うん」
「お前たちに言うのは残酷なのだが、おっかぁは売られていったのだ」
「何処へ?」
「女衒に連れられてお江戸方面に向かうお由さんの姿を、月明りに見た村の若衆が居たのだ」
「お江戸のどこか分かりませんか、おふくろは権爺に告げませんでしたか」
「お由さんも、寝耳に水だったようじゃ、お前たちやわしにも別れを言う間も無かったのだろう、可哀そうに‥」
権爺は、涙で言葉を詰まらせた。
「権爺、ありがとう」
駿平と耕太は、何やら希望の光が射したような明るい顔になって権爺と別れた。
その日の朝も、駿平と耕太は小川の流れを眺めていた。ただ、今までとは違って駿平の目は輝いていた。
「なあ耕太、このまま家に居ても冬になれば、おいらたちは飢えて死ぬかも知れない」
「うん」
「家出をしてお江戸へ行かないか」
「だって、おいら達は一文なしだろ」
「途中の農家で、手伝いをして食べ物を貰うのだ」
「手伝いって?」
「薪割りとか、草むしりとか、荷物運びとか土竜退治だ」
「そんなこと、させて貰えるのか?」
「きっと居るさ、そんな優しい人が」
もし、盗人だと騒がれて役人に引き渡されたら、誰も庇ってくれる人は居ないだろう。そうなれば牢に入れられ、働かされて牢死するかも知れない。駿平は、弟を不憫に思うが、あの暴力を振るう父親のところに一人残しては行けない。
「どうせ死ぬなら、兄ちゃんは少しでもおっかぁに近いところで死のうと思う」
「おいらも」
-つづく-
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猫爺様の文才に 感じ入りながら 読ませていただきます。