雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「年を取ると言うこと」その2

2016-01-29 | エッセイ
 昨年の秋のことだが、猫爺が乗り回して今は娘の物となった普通車を、草むしりのために1m前に動かそうとした。免許証は返却してしまって無免許だが、道路ではないので1m位は大丈夫だろうと運転席に座った。
 何が大丈夫なものか。操作要領はすっかり忘れてしまって、暫くはエンジンをかけるのも躊躇う始末。それでも、まだ大丈夫だと思い、鍵を回そうとしても回らない。気を落ち着けて、やっとエンジンをかけたものの、サイドブレーキを外して前進しようとしたら、「ガクンガクン」、そうだ、大昔、初めて車を運転をした時のあのへたくそぶりだった。
 もし、免許証を返却していないで、このまま道路に出たら、確実にアクセルとブレーキを間違えて何処かに突っ込んでいただろう。

 年を取ると、若い時には絶対にこんな間違いはしないだろうと思うことが多くある。可愛くて、些細な間違いだが、カップ焼きそばを作るのにお湯を入れる前にソースを入れてしまうことがある。それも、お湯を捨てる段になってお湯に色が付いているのを見て間違いに気付く有り様だ。
 そんな時は、市販の「とんかつソース」で間に合わせるのだ。

 年を取ると、元気な若い人が羨ましいと思うだろうが、決してそんなことはない。自分だって、若い時代を過ごしてきたのだから。
 ただ、羨ましい、妬ましいと思うのは、自分より年齢が上だと思える人が、元気に「ピョンコ、ピョンコ」動いているのを見る時だ。

 昼間のローカル局は、年寄りを対象にしたサプリの広告だらけだ。
 
  「私はこのサプリに出合って、こんなに元気になりました、これ無くしては、私は生きていけません」

 「個人の感想」と小さな文字で画面に出しておけば、医薬品顔負けの効能を喋っていても薬事法違反にならないのだ。薬事法なる物物しい法律も、広告に関しては「ザル法」と言わざるを得ないではないか。
 猫爺は、「あれが個人の感想か」と、文句を言いたくなる。素人にしろ、タレントにせよ、ギャラを受け取り用意されたセリフを散々リハーサルを行ったうえで喋っているのである。

 年を取ると、こんな白々しい広告にも、易々と乗ってしまう。


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