大川の土手沿いの道をふらふらと歩いているのは、裏山で伐採した竹を使って笊(ざる)を作り、町で売って生計を立てている孫助である。
今朝は十枚の笊を持ってきたが、全部売りさばいてほくほく顔で戻りしな、付けて来た若い男のスリに巾着を摺られてしまった。 代官所に届けようかとも思ったが、どうせ「お前がぼんやり歩いているからだ」と、嘲笑されて追い出されるのがオチだ。 諦めて帰ろうとしたが、昨日から何も食べていなかったので、眩暈がしてきた。 柳の木に凭れて休憩をしていると、なりの良いヤクザ風の男が声を掛けてきた。
「おいどうした若いの、どこか具合でもわるいのか?」
孫助は正直に訳を話した。
「掏摸に巾着を掏られ、文無しで腹が減って動けない」
「それは災難だった、すぐそこに茶店があるから何か食べ物を腹に入れなせえ」
男は肩を貸し、茶店まで孫助を連れて行った。
「団子しかないそうだが、金は儂が払ってやるから存分に食え」
「はい、ありがとうございます」 孫助は深々と頭を下げ、団子にむしゃぶりついた。
「お前が掏(す)られた金はいくらだ、気の毒だから俺が出してやろう」
孫助は驚いた。 団子を食べさせてくれた上に、掏られた金まで呉れるという。 のろまなわりには勘が鋭い孫助は、「何か裏があるぞ」と、内心「キッ」と身構えた。 妻や子が待っているのかと問われて、つい「居ません」と、本当のことを言ってしまったのも気がかりだった。
「ひとつ、儂の頼みを聞いてくれんか」
それ、おいでなすったと、自分の勘が正しかったことを自負した。
「何でございましょうか?」
「日当を出すから、わしに付いてきてほしい」
この男の魂胆が判ったぞ。 俺を人殺しの現場に連れて行き、俺はバッサリと切られて匕首を握らされ、人殺しの罪を着せられるのだ。 孫助はヘビに睨まれた蛙のように従順になっていたが、勇気を振り絞って男の隙を見て逃げようと決心していた。
「入ってくれ」と、薄汚い長屋の一軒に導かれた。 戸を開けた瞬間に、血まみれの死体が横たわっている…訳ではなかった。 家具もなにもないがらんとした部屋の隅の木箱の上に、小さな不動明王の像が置いてあった。
「あゝ、不動明王の像が気がかりか? それは恩ある姐御が、乳の横に岩のように固いしこりが出来て、医者にあと半年も持たないと言われたのだ」 それで、不動明王を祀り、朝な夕なに姐御の命が伸びるように祈願しているという。
訊きもしないのに、男はベラベラと説明した。 そうか、「これだな」と、孫助はおもった。 男が言っているしこりは、乳岩(現在の乳がん)といって不治の病だとお爺いから聞いたことがある。 乳岩には、生きた人間の肝が特効薬とも。 俺は手足を縛られて腹に短刀を突きたてられ、生きたまま肝を抜き取られるのだろうと、恐怖に体が震えた。
「どうかしたのか?」と、怪訝がる男に、
「いえ、なんでもありません」と言ったつもりだったが、多少舌が縺れて余計に不審に思われたようだった。
「それで、わたしはどうすればよいのでしょう」 孫助は度胸を据えて訊いた。
「今夜、ここに泊まってほしい」
「えっ」と孫助は驚いた。
「わたしは何をすれば良いのでしょうか?」
「何もしなくても良い、ただ儂の横で寝ていてくれれば良い」
わかったぞ、この男は世に聞く「男色」だなと、孫助は思った。 一緒に寝ていて、男の手が褌に伸びてきたら、枕元の着物を抱えて逃げ出そうと用心していた。
昨夜孫助は一睡もできなかったのに、男は手を伸ばしてくるでもなく、高いびきで寝ていた。 翌朝、男は大きな欠伸をして、「あゝ、久しぶりによく寝た」といって、背伸びをした。
「どうして、わたしを?」
「大きな声では言えんが、わしは蜘蛛が嫌いで…」
四、五日前に、寝ていたら、顔の上になにやらモソモソするものが掛かって、振り払い灯かりを点けてみたら、大きな蜘蛛が天井から下がってきたというのだ。
「あと一つ、すまんが天井裏を覗いてみてくれないか」と、男。
孫助はぞっとした。 天上裏に、しゃれこうべがごろごろしている様子を思い浮かべたのだ。 恐る恐る天上裏の蓋を開けて、ソーッと首を出し見回したが蜘蛛は居ず、骸骨もなかった。
「何も居ません」
「そうか、よかった」
男は約束の金を孫助に渡すと、
「ありがとな」と言って、帰してくれた。
(添削再投稿) (原稿用紙6枚)
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