ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

池のカイツブリとカラスの縄張り争い

2023-06-20 09:49:38 | 散歩

大体毎朝、朝散歩をしています。

近所の公園をひと回り。30分くらい。

私は割と習慣化しやすい体質のようで、瞑想も3年くらい続けています。

我流ですが、毎朝やっていると習慣化するのでやらない方が気持ち悪い。

若い頃タバコを吸っていたのだけど、一度で止めました。

こうと決めると大体できる体質のようです(理由も大事ですが)。

迷わないで、こうする、とただ決める。

朝散歩のコツは、朝起きたときにあれこれ考えない。

考えるとサボりたくなるので何も考えずに行動する。

掃除や片づけも少しずつ習慣化してはいるのだけど、遅いのはなぜだ? 

しかもどんどん遅くなるのはなぜ?

習慣化できるものと難しいものの違いは何?

それはともかく、

最近、近所の公園の池で、カイツブリを見つけました!

カモのヒナたちが日に日に成長していく中で、一羽、色味の違う鳥がいることを発見。

カイツブリ!

で、一羽のカモのヒナがカイツブリと一緒に潜水を始めたのです。

カモって潜水するんだっけ?

他のヒナたちは潜水しないのに、カイツブリと一緒にいるヒナだけが潜水し、時に15秒以上も潜っていることがある。

で、数日前に、新たな発見。

葦の茂みの中に、もう一羽のカイツブリが!

何と、カイツブリはつがいだった!

近いうち、背中にヒナを乗せたカイツブリが見られるかもしれません。

楽しみです。

ただ、ちょっと心配なのは、池の縄張り争い。

小さな池なので、これまではカモたちが独占していたようです。

そこへ、カイツブリファミリーが入ってくるとなると、大丈夫か?

公園ではカラスたちも縄張り争いをしています。

時折、数羽のカラスが一羽を囲んで脅すようにガアガア鳴いていたりする。

そのカラスが飛び立つと後を追いかける。

やがて、追い立てられたカラスは高い木のてっぺんに止まって周囲を見回す。

あの木のてっぺんから何が見えるんだろうか?

想像力を働かせて、一瞬カラスになります。

これ、魔法使いの練習といってね、昔、あるセミナーで習いました。

カラスになってみる、カイツブリになってみる、木のてっぺんの葉っぱになってみる・・

すると、私の意識はすっとそっちに移動していくのです。

そして、一瞬だけどカラスになる、カイツブリになる、木の葉になる。

面白いので、やってみるといいですよ。

というわけで、朝の散歩は、私を別世界に連れていってくれます。

散歩すると朝ご飯も美味しいしね。

お試しあれ!

 

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「探偵マーロウ」&妄想の旅

2023-06-18 10:22:43 | 映画

時々発作的に押入れの中からスーツケースを取り出して、二泊三日分くらいの下着や着替え、歯ブラシや化粧品などを詰め込み始める、という奇癖が私にはあります。

行くあてもないのに、ほぼ無意識のうちに発作的にやっている。

私がいるのはここじゃない、どこかに行かなくちゃって突然思う。病気みたいなものです。

で、土曜日、とりあえず出かけていったのですが(スーツケースは持たずに)、すごく暑かったので、

立川のキノシネマで映画「探偵マーロウ」を見てきました。

リーアム・ニーソン主演で、レイモンド・チャンドラー原作のハードボイルドと聞いて期待したのだけど、残念ながら、イマイチでした。全然面白くない。

リーアム・ニーソン、やっぱ歳だよねえ。でも、私より若いってのが嘘だろと思うけど。

で、映画のあとは食事。大戸屋の外が見える席に陣取り、鶏と野菜の黒酢あん定食を食べながら、通りを行く人たちを眺める・・

ここで、私の妄想タイム。

ここは立川じゃなくて、遠く離れたどこかの街で、私が今夜泊まるのは見知らぬホテル。

一応予約は取ってあるけど、行くのは初めて。

ホテルまでちゃんとたどり着けるかしら。地図があったよね、地図地図、と。

そうそう、ここよ、ここ。

どんなホテルかしら。居心地はいいかな、窓の外の景色はどんなんだろう、そして、明日はどうしよう・・

と妄想に浸るのです。

すると、あら不思議、見慣れた立川の街が、見知らぬ異国の地に見えてきて、

行き交う人々も、全く違う様相を呈してくる。

明日は海にいこうか、それともショッピングにでも行こうかしら・・

ガイドブックを取り出して、明日の予定を考える・・

窓の外ではだんだん日が落ちてきて、風景の色も少しずつ変化し、

一人旅って自由でいいけど、やっぱりちょっと寂しいよね、誰か一緒だといいのにね、などと本気で思い始め・・

隣の席では若いカップルが漫画本を読んでいる・・

大戸屋で漫画本を読むカップルって、話しないんだろうか、などと思いつつ、

やがて、お腹もいっぱいになり、そろそろ妄想にも飽きてきたので、

鶏と野菜の黒酢あん定食940円也をレジで払い、

混雑する駅の人混みをかき分けながら、ここって一体どこだったっけと時折妄想モードに戻るも、

そうそう帰りにスーパーで納豆と豆乳買わなくちゃ、と現実感覚も取り戻しつつ、

間違えないで電車にも乗り、無事家に帰りついたのでした。

スーツケースのパッキングから始まって、映画の中で1939年にタイムスリップし、アメリカのLAに行き、ハードボイルドの世界に浸り、見知らぬ街でご飯も食べて、でも、行ったきりにはならずにちゃんと家まで戻ってきた。

とってもいい休日でした。

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ミニマリストをめざそう!(再び)⑩私にとっての金ぴか

2023-06-17 10:51:54 | 片付け

かさこさんに触発されて、しばらく挑戦モードに入ってました。

途中、歯医者の予約とか眼科の予約とかジムとか雑用とか何やかやあり、これもマルチタスクの訓練よ、と頑張っていたのですが、

ちょっと疲れた。

勢いがある時は中断せずに勢いに乗ったほうがいいのだけど、

その勢いが、やはり若い頃とは違う、ということに気づいた。

優先順位を決めてから取り掛かる方がよい、ということにも気づいた。

私にとってのマルチタスクとは、とっちらかすことだとも気づいた。

最近、気づくことが多い。

で、一番肝心なことを書いてなかったことに気づいた。

何のために書くのか?

桑名正典氏は「ミリオネア・バイブレーション」の中で、

「ビジネス活動とは、喜びを増やす行為」であり、

「世の中にたくさんの喜びを生み出す人が、たくさんのお金を引き寄せる」と言っています。

この歳まで生きてきて、結局のところ、人間にとって一番大事なのは、愛と喜び、なのではないか、と思うようになりました。

「宇宙兄弟」の中でシャロンがムッタにいいますね。

「あなたにとっての金ぴかは何?」

私にとっての金ぴか。

それが人の幸せや喜びに繋がるとしたら、素敵です。

自分のワクワクを追及していくことが、誰かの役にたつ。

そうなら素敵です。

で、私が今一番幸せを感じるのは、好きなものがあるということ

私が好きなのは、

字を書くこと、言葉について考えること、文章を書くこと、本を読むこと。

星空を見ること、宇宙について考えること。

映画を見ること。

とりわけ「スター・ウォーズ」と「宇宙兄弟」は一番のお気に入り。

それが、私にとっての金ぴかです。

あなたにとっての金ぴかは何?

何だっていいんです。

ちなみに、

去年はシナモンロール、今年はセブンイレブンの「しろもちたい焼き」が私のマイブームです。

これがあると、すごく幸せな気分になる。

どんなに小さなことでも、好きなことがある、というのは幸せなことですね。

自分が幸せでいると、案外、周囲の人も幸せになるかもしれない。

なので、私にとっての金ぴかを実践することで、誰かの幸せの役にたてたらいいなと思っています。

 

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ミニマリストをめざそう!(再び)⑨ 得たい時に得たい物を得られる自分

2023-06-16 09:43:31 | 片付け

「ミニマリストをめざそう!⑥」で私はこう書きました。

「それでも、命がある限り大丈夫、何とかなる、と私は確信しています。

それなのに、なぜ目の前のモノを捨てるのがこんなに難しいのだろうか??

謎だ。」

というわけで、この謎を解明すべく考察していたら、たまたま断捨離の元祖、やましたひでこさんのこんな言葉に出会いました。

「得たい時に得たい物を得られる自分」

青木さやかさんの冷蔵庫の断捨離をしている最中に、青木さんが外国の調味料を手に取って「これはなかなか手に入らないから」と言った一言を受けての、やましたひでこさんの言葉です。

やましたひでこさんは断捨離の元祖なのですが、苫米地氏と同様ちょっと難しい。

でも、これはわかりやすかった。

青木さやかさんが「これはなかなか手に入らない」と言ったのは、自分にはその能力がない、と宣言したようなもの。叶姉妹なら「タイに行けば手に入るわ」と簡単に言うんじゃないかしら、と。

つまり自己能力の自己評価(これを苫米地氏はエフィカシーと呼んでいますが)が低いので、「なかなか手に入らない」と無意識のうちに思い込んでいる、というわけです。

私が「目の前のモノを捨てるのがこんなに難しい」のは、捨てたらもう手に入らないかもしれない、あるいは手に入れるにはお金を払わねばならず、そんな余裕が私にはない、と宣言しているようなものなのですね。

二度の逃亡劇を経験し、モノやしがらみを手放して自由にはなったけれど、気づけば貧乏のどん底暮らし。しかも長年それが続いたので、習い性となり、むやみにモノを捨てることができない体質になっていた、というわけ。

かくして、謎は解明された。

では、どうすれば自己能力の自己評価(エフィカシー)を上げることができるだろう?

「得たい時に得たい物を得られる自分」になれるのだろうか?

次回考えてみたいと思います。

断捨離とは「気づいていくプロセス」だとやましたひでこさんは言ってます。たしかにねえ~

そこで、最近気づいたことを一つ。

ネットの世界は思った以上に自由だ。

Kindle本も(一応Amazonのチェックが入るけど)たいていOK。

お試しに子どもの絵を画集として出版したっていい。売れるかどうかはともかく。

Twitterでもどんどんつぶやいていけばいい。炎上するのはごく一部。怖がることはない。

何事も挑戦と思ってやってみる。ダメなら撤退すればいい。

シニアには未知の世界なので、怖がる人が多いけど、案外大丈夫なのです。

ということを、かさこさんが教えてくれた、と気づいたのでした

 

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ミニマリストをめざそう!(再び)⑧ あなたはどんな人ですか?

2023-06-14 13:27:25 | 片付け

kindle本出版講座の話などが入ったため、ミニマリストの方は中断していましたが、

また再開したいと思っています。

なぜ、ここにきて、私が突然ミニマリストだのkindleだのと言い出したのか、

ということについて書いておこうかと。

70代半ばにさしかかり、周囲を見渡してみると、いろんなシニアがいるのですね。

まだ現役でバリバリ仕事をしている人もいれば、「もう歳だから」を連発する人もいます。

先日、ETSUKOさんがお茶会の席でこんな質問をされました。

「あなたはどんな人ですか?」

それに対して「消極的」とか「人前で話すのが苦手」とか言うと、それは他人の目を通して判断した自分ではないですか、と。

この世は幻想なので、どんな自分も創り上げることができる。

アスペルガーだから片付けが苦手、というのは言い訳。別の自分を選ぶことだってできるのだから。

そう断言しておられました。

まあ、それに対しての賛否はともかく、

私たちはいろんな自分になれる素地を持っている、というのはその通りだと思います。

いろんな才能があるのに気づいていない。

先日、本棚の整理をしていたら、奥の方からこんな本が出てきました。

「人は誰でも講師になれる」(中谷彰宏著 日本経済新聞社)

買った記憶はあるけど読んでなかった。どれどれ、ちょっとだけ読んでみようと思ったのですが、これが面白くてね。

まず冒頭に出てくるお話。

吉田松陰が投獄されて雑居房にいた時、同じ房にいた全ての人を先生にした、という話です。

植木職人からは植木の仕方を、バクチ打ちからはバクチのコツを・・と皆に教えさせたというのです。

自分では当たり前と思っていたことが、世間からすると当たり前ではない。なので、誰でも講師になれる、というわけ。

へえ、と思いました。

ETSUKOさんの話とはちょっと違うかもしれないけど、

自分では当たり前だと思い、何の価値もないと思っていたことが、案外世間の役に立つのかもしれない。そして、人に教えるということを通して自分もまた学ぶことができるのだと。

昔、小さな塾の講師をしていたことがあります。

小中学生に国語と英語を教えるのですが、社会科の教員免許は持っていたけど国語や英語は持っていない。

そこで、私は教えるために猛勉強をしました。

そもそも高校卒業以来、国語の文法も英文法も全く勉強してこなかった。

五段活用って何だっけ? から始めて、小中学生に教えるために猛勉強した。

これって、すごくいい経験になり、その後、英会話を始めた時や日本語教師の資格を取った時に大いに役立ちました。

人に教えようと思うと、生半可な知識では教えられない。しっかり身に着けないといけない。なので、自分でもしっかり学べるというわけ。

吉田松陰方式は、どんな場面でも役に立つと思います。

長い人生の中で培ってきた「当たり前」が他の人の役にたつかもしれない、そう思うと、がぜん元気になりませんか?

たとえば主婦なら、料理にかけては誰にも負けないわとか、お掃除なら任せといてとか、子どものあやし方なら得意よとか。いろいろあると思います。

「もう歳だから」なんて言ってないで、この際、人生の棚卸をして、自分の得意を見つける、というのはどうでしょうか?

ミニマリストになろうとして、家の中を片付け始めたら、何だか知らないけど、別の自分が見えてきた、という感じかな。

片付けというのは棚卸。棚の奥にしまいこんであった埃だらけのモノが意外な役にたつことを発見したりもするのですね。

何もかも捨てて、一から始めようというのは、この歳になるとちょっと違うかも・・と思い始めています。

 

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