ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

KANO/ 1931海の向こうの甲子園

2020-07-08 10:17:21 | 映画

 

私はスポーツが得意じゃなくて、高校野球もほとんど見ないのですが、この映画は面白かった。

「KANO 1931 海の向こうの甲子園」(2014年 馬志翔監督 台湾日本合作)

台湾で大ブームを巻き起こした映画だそうです。
久しぶりに感動大作を見たなあ~と思いました。

1931年、台湾の台南州立嘉義農林学校の野球部が甲子園に初出場し、準優勝を果たしたという実話を元に作られた映画です。
当時、台湾は日本の統治下にありました。

嘉義農林学校(略して嘉農:KANO)の野球部は一度も試合に勝ったことのない弱小チームでした。
そのチームを甲子園で準優勝するまでに成長させたのは、日本人の近藤監督(永瀬正敏)。

彼は、日本人、台湾人、高砂族の3つの民族の混合チームを作ります。

そして、生徒たちを猛特訓し、鬼監督と呼ばれます。

なぜなら、彼には、四国の松山商業高校で野球部の監督をしていた時代に、甲子園出場を果たせなかった苦い経験があるから。その夢を嘉農の生徒たちに託すのですが、生徒たちが実に素直に実直に監督に従います。なぜなら彼らもまた野球が大好きで甲子園に出場したいと思ったから。

甲子園なんて絶対無理だろうと周囲は笑いますが、彼らは監督の指示通り、日々泥まみれになりながら猛特訓に明け暮れ、周囲が何といおうと自分たちは甲子園に行くのだ、と前だけを向きます。

前半は嘉義農林(KANO)が甲子園に出場するまでの経緯。
ピッチャーの呉君のほのかな初恋のエピソードや、八田與一の逸話なども交えつつ、彼らがどのようにして勝ち進み、甲子園出場権を獲得したかが語られます。

(八田與一は台湾で当時東洋一と言われた烏山頭ダムを建設し、治水事業をした有名な人物。このダム建設により、台南は台湾最大の穀倉地帯になりました)

台湾統治時代(1895 年~1945年)日本は治水事業を始めとして、インフラを整え、産業を興し、学校を建設しました。八田與一(大沢たかお)の灌漑事業の様子も、見どころの一つです。何しろ嘉義農林は農業高校だったので。

映画の後半は甲子園での試合の模様です。
全部で3時間を超える長編ですが、この流れを知っていれば飽きることなく最後まで見られます。

(映画は基本日本語ですが、庶民の会話には中国語が混ざります。中国人俳優を起用した選手たちの日本語はたどたどしいけれど、それもまたかわいい)

近藤監督は言います。

打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の早い高砂族、守備に長けた日本人・・これほど理想的なチームはどこにもない。

そして、チームに台湾人がいることを「日本語しゃべれるのか」と揶揄した記者に対して、

「民族の違いなんか関係ない! みんな野球の好きな球児です!」
と言い放ちます。

カッコいいんだよね、近藤監督。鬼監督と呼ばれながらも生徒たちへの愛情がはんぱない。愛情あってこその鬼監督。だから生徒たちもついてくる。

ピッチャーの呉明捷君がまたカッコいいのよ。
最後に彼はピンチに立たされるのですが、彼を全面的にバックアップしたのもチームの仲間たちでした。
登場人物たちは、すべて実際に甲子園に出場した実在の人物で、試合の模様も事実に基づいて作られています。

民族の違いを超えて一つになる。野球が本当に好きな監督と生徒たちの話。

素朴で泥臭くて青春真っただ中、彼ら一人ひとりが輝いて見えます。そして一人ひとりがいとおしく思えてきます。

本当に好きなことには全身全霊をもってあたることができる。決して無理をしているわけではなく、本当に好きだから野球をする、近藤監督も鬼のように見えるけれど、生徒たちに対する愛情に満ちている。

嘉義農林(KANO)の活躍は、今も伝説として語り継がれているそうです。

何より、この映画は台湾で作られた映画で、日本人が日本を正当化するために作った映画ではない、という点はとても重要です。

戦後、蒋介石率いる国民党が大陸からやってきて残虐の限りを尽くしたので、それとの対比で日本への親密度が高まった、という点もないわけではないようですが。
実際に台湾を訪れた時、何度か日本語で話しかけられ、台湾の親日ぶりを肌で感じました。

映画化するに当たって多少脚色した部分もあるようですが、それでも実話の重みは変わらない。生徒たちのピュアな気持ちはそのまま伝わってきます。それが人の心を揺さぶります。
最後はもう涙でぐしょぐしょになっていました。

こうした日本人がアジアにいたことを、私たちはもっと誇りにしていいのではないでしょうか。

日本で大々的に公開すればよかったのに、と思います。

アジアにはいい映画がまだまだあるようです。発掘できたらお知らせしますね。

今、AmazonPrime で見られます。超お勧めです!

ああ、また台湾に行きたいなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナで失ったもの

2020-07-05 17:40:29 | 新型コロナ

「ガーンジー島の読書会の秘密」でも書きましたが、過酷な状況にある人々は精神の自由や安らぎを求めて、できるだけ人とつながろうとします。

人々と交流することで、かろうじて精神の安定を保つことができるからです。

人々の分断、孤独は人々を追い詰めていきます。

現在のコロナ禍は、第二次世界大戦中の窮状とは比ぶべくもありませんが、戦争とはまた少し違う意味で、人々を分断し孤立化させているような気がしてなりません。

そして、いつのまにかこうした状況に慣らされていく・・。
それこそが何より怖いことなんじゃないかしら。

コロナが終われば、また元に戻るさ。

と言う人たちもいますが、果たしてコロナが終わった後の世界はコロナの前の世界と同じだろうか。

私は同じではないだろうと思います。

なぜなら、すでに私たちは多くの奇妙な出来事にすっかり慣らされているからです。

今年の初めには想像もしなかった以下の出来事が今ではすっかり日常の光景になっています。

・常にマスクを着用する。

・スーパー等のレジ待ちでは、1メートル間隔のソーシャルディスタンスを保つ。

・レジや受付にはビニールシートが張ってある。

・飲食店でも、隣の席との間にビニールシートがある。そして、できるだけ会話は控えるようにと言われる。

・スーパーやデパートの入口には消毒薬が常備され、人々は店内に入る前に手を消毒しなければならない。

・ジムでは30分置きの換気と次亜塩素酸水の噴霧で室内消毒が行われ、スタッフは皆プラスティックのフェイスガードをつけている。

・電車の中ではだれもが無言で、マスクを着用し、万が一くしゃみでもしようものなら、周囲から恐ろしい目で睨まれる。

こうして、私たちの日常はあっという間に変わってしまいました。

不思議なのは、スーパーのレジ待ちではソーシャルディスタンスを保つべしと言われているのに、通勤電車はあいかわらず満員で、街では人々はマスクこそしているものの、けっこう密な状態でにぎわっていること。

一方で、誰もいない公園でもマスクを着用している人が多く、ジョギングする時もマスクを着用と言われているので、この暑い最中、熱中症が増えていること。

東京では新型コロナの新たな感染者が連日また100人を超えてきていて、再び自粛か、と危ぶまれていますが、

よくよく考えてみたら、インフルエンザの患者は毎年1千万人、死者は3千人を超えています(日本だけで)。

現在、世界では、新型コロナに感染した人は1千万人を超え、死者も50万人を超えてきています。アメリカでは一日の新規感染者が4万人を超えたようです。

こうした国々では、かなり神経質に予防措置をとる必要があるでしょうが、日本では100人台って、桁がずいぶん違うよね。インフルエンザに比べるとかなり少ないし。

それなのに、この慣らされようってどうなの?

人々が分断され孤立化し、もう元には戻らないかもしれないのに気づかないでいる。

日本人て本当に従順で、素直にお上に従い、互いに監視しあったりして(同調圧力も強いので)疑うということをしない民族なのだなあ、と思う今日この頃です。

「…お嬢さん。この娑婆には辛い事、悲しい事がたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。…ああ、明日も天気か」

っていうのが日本人の心情だものねえ。

このままでいいのだろうか、関の弥太っぺ。

というようなことを考える今日この頃ですねん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガーンジー島の読書会の秘密

2020-07-01 14:24:05 | 映画

またまたいい映画を見つけちゃいました。

「ガーンジー島の読書会の秘密」
(2018年 マイク・ニューウェル監督 フランスイギリス合作)

第2次世界大戦中にドイツ占領下にあったガーンジー島で行われた読書会をめぐるミステリー・・と紹介文にあったので、てっきりナチスドイツに関わる戦争ものかと思って見始めたのですが、

これがねえ、なかなかいいラブストーリーでした。

ミステリー要素は少なめかな。

「チャーリング・クロス街84番地」と少し似た雰囲気の、本好きな人たちのお話です。

主人公のジュリエット・アシュトンはユーモア小説を書いてベストセラー作家になりますが、本当に書きたいものはまだ書けていないと感じている。

そんな折に、彼女のところにガーンジー島の住人であるドーシー・アダムズという人から手紙が。

(ガーンジー島というのは、イギリス海峡にあるチャネル諸島の一つで、当時も今もイギリスの王室属領。独自の政府と議会を持っている)

彼が戦時中に手にいれた古本に、ジュリエットの名前と住所が書いてあった。戦争は終わり、ドイツ軍は去ったけど、ガーンジー島には本屋がない。そこでロンドンの本屋の住所を教えてもらえないだろうか、という趣旨の手紙でした。

しかも、その手紙には、第二次大戦中にドイツ軍から隠れるために読書会を開いていたという話が書いてありました。

ジュリエットは作家の好奇心からガーンジー島を訪れます。

第二次大戦中、ガーンジー島はドイツ占領下にあって、食糧もなく郵便も電信網も切られて人々は孤立状態でした。

そんな中でエリザベスという女性が一頭の豚を隠し持っていて、友人たちをパーティに招待します。

久しぶりに肉でお腹を満たした帰り道、彼らはドイツ軍に見つかり、咄嗟に「読書会をしていた」と答えます。その時、咄嗟に答えた読書会の名前が、

「読書とポテトピール・パイの会」
(The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society)

(ポテトピール・パイというのは、バターも小麦粉も使わずジャガイモとジャガイモの皮だけで作ったパイのこと)

ジュリエットはガーンジー島に滞在する間、読書会の面々と親しくなり、この読書会を思いついたエリザベスの存在を知りますが、彼女は島にはいません。そして、皆口が重く彼女のことを話したがりません。

エリザベスに何が起きたのか?

メインのストーリーはエリザベスの行方を追うミステリー。そして、ジュリエットとドーシーのラブロマンスです。

何しろ、読書会の面々はいずれも戦争で過酷な体験をしています。

「読書会は僕らの避難所でした。
 闇の世界で手に入れた精神の自由、
 新しい世界を照らすキャンドル、 
 それが読書でした・・」

とドーシーは書いています。

彼らは束の間、占領やドイツ軍を忘れて人間らしさを取り戻したのでした。

彼らを支えたのは、チャールズ・ラムの諧謔的なエッセイであり、シェークスピアであり、シャーロット・ブロンテの「嵐が丘」でした。

ジュリエットはエリザベスに何が起きたのかを探りながら、戦時中の厳しい島の生活を肌で感じ、次第に島の人たちに心を寄せていきます。

ドーシー(彼は豚飼いです)は、ジュリエットの婚約者(アメリカ人で金持ち)とは全くかけ離れた人物でしたが、互いに惹かれていきます。

最後に、エリザベスに起きた悲劇の全容も解明されます。

これは苦しい時代を仲間と共に本の力で乗り越えてきた勇気ある人々の物語。

とても素敵な物語です。

残念ながら、この小説をかいたメアリー・アン・シェイファーは、この本一冊しか残していないそうです。

本好きに(本好きじゃない人にももちろん)お勧めの映画です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする