「ゴジラ-1,0」を見て以来、どうもあのゴジラに納得いかなくてね、
歴代の「ゴジラ」を幾つか見てみました。
まずは1954年の最初の「ゴジラ」
これはもう別格ですね。
何度見ても面白い(たぶん10回以上見てる)。
着ぐるみのゴジラなのだけど迫力があり、戦後の人々の暮らしぶりも現実感があり、あの頃はこうだったなあと思い出すことができます。
1954年、私は5歳でした。
劇場で初めて「ゴジラ」を見たのはしばらく後のこと。
何より冒頭で大戸島にゴジラが現れるまでの不吉な予兆のようなシーンの数々。
この不吉な予兆に満ちた冒頭シーンは、子ども心に鮮烈な印象を残しました。
その挙句、山の上から顔を出す巨大なゴジラの頭。恐怖は頂点に達します。
やっぱりゴジラは怖くなくちゃね。
次に「シン・ゴジラ」を見てみました。
たぶん5回は見てる。
政府関係者たちの形式ばった会議風景は何度見ても笑える。
蒲田に上陸する第二形態のぎょろ目の幼生ゴジラの気味悪さが印象的です。
そして、海にもどり再び鎌倉付近から再上陸する第四形態ゴジラの、威風堂々たる神のごとき姿。
これぞゴジラ!
ゴジラはこうでなくちゃ。
物語のテンポの速さもこのゴジラならではです。
一度見始めたら最後まで止まらなくなる。
ゴジラの巨大さも印象的でした。118mと歴代ゴジラ(日本の実写版)の中で最大。
初代ゴジラが50mだったので倍以上の大きさになっています。
ハリウッドのゴジラはジュラシックパークの恐竜たちと変わらないけど、日本のゴジラは恐竜ではありません。
ゴジラは神なのですよ。
爬虫類みたいにやたら動き回らない。ゆっくりと泰然と自分の行く道すじを心得ていて、ただただまっすぐに歩んでいく。
それがゴジラです。
今回観てみて、「シンゴジラ」の最後のシーンも納得がいく気がしました。
しっぽの先からゴジラの背びれを持つ人間の形をした生き物たちが生まれようとしている。
それが何なのかは見る側に委ねられ、また凍結されたゴジラの処理についても見る側に委ねられています。
ゴジラはまだ進化の途上にいることを示唆していますが、映画はあれで完結していると思います。
それから1984年の「ゴジラ」。
この「ゴジラ」は、1954年以来ゴジラの襲来はなかった日本に、再びゴジラが襲来するというストーリーです。
最後のシーン、大島の三原山の火口にゴジラが落ちていく姿が印象的でした。
この「ゴジラ」も悪くない。
日劇のビルにゴジラの姿が映るシーンとか、新宿の高層ビル群の間でスーパーエックスと対峙するゴジラとか。
見どころがたくさんあります。
あと「ゴジラVSビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」「ゴジラVSメカゴジラ」等々も久しぶりに見ようかと思っています。
それにしても、なぜ私はこんなにゴジラが好きなんだろうかとつらつら考えているのですが、
まだ結論には至っていません。
ゴジラには人間の潜在意識の中にある何かを刺激する要素があるんじゃないか。
その何かがたくさんある人とあまりない人がいるんじゃないか。
私にはその何かがたくさんあって、ゴジラに反応するんじゃないか。
あるいは、エヴァンゲリオンやガンダム、進撃の巨人にも通じるものがあるのかもしれません。
巨大なものに対する畏怖、恐怖、畏敬の念・・これらが混然一体となった感情。
それが私たちの心の奥底に潜んでいる、そんな気がします。
単に「怖いもの見たさ」かもしれないけど。
でも「ジュラシックパーク」にはそれほど反応しないのはなぜだろう。
あれはあれで面白かったけど。
なので、単に巨大で恐ろしい怪獣に反応したということではないと思う。
ともあれ、私にとって「ゴジラ」シリーズは何度でも見たい映画です。
何か新しい発見があればまた書きます。