「悪口という文化」山本幸司 2006平凡社
読む前に頭の中にあったのはスポーツでの選手同士の悪口や審判への暴言、政治家同士の相手から言質を引き出そうとする感情的な揺さぶり、そんなものだった。
でも、著者はそういう人じゃなかったわけだ。歴史文化の方の人なんだな。つまんない。読んだ私が悪かった。ごめんなさい。私なんかが読む本じゃないのにゃ。
悪口・嘲笑・呪詛~人の行為(悪行)を規制~誇り、名誉
千葉笑い/スキミントン/ラフ・ミュージック
祭りでの非日常(集団秩序維持)
法廷弁論への中間形態
また秩序か!
紛争解決・・・ってか、その原因も悪口かも。まあ、悪口がでるときはその前段でのトラブルがあるんだろうけど。
いやいや、またまた頭が痛くなっちゃったよ。
わかんないわ。読んだ私が悪かった。
で、私の求めていた答えとしては、『正義の味方ごっこ』的なものを望んでいたと思う。
自分を正しく見せようとするための欺瞞ね。
敵対する相手を貶めることで自分の正当性を相対的に高めようとする行為。
主にその主張が矛盾を含んで論理的でなかったりすると、それをごまかすために行われる・・・
なんてことを読みたかったんだな。
だって、今の社会の悪口はほとんどがそういうものに思えるのだよね。自分がそうだから。
そして、その解決方法の糸口でもあればと思ったんだけれど、期待はずれだった。(見つける能力がないだけかも