「仏の顔もサンドバッグ」小田嶋隆 1993宝島社
そこらじゅうからの寄せ集め
バブルからバブル末期、本が出たのはバブルが弾けたと言われた頃だろうか。
バブル崩壊は1990年に始まっていたらしいが、それが認識されるのは1993年~1997年だったと言う。(wikipedia)
「人はなぜ学歴にこだわるのか」につながるような話も2つばかり熱を込めて書いてます。
「戦争」に関する部分では、「震災」に置き換えて読んでいくと、今の状態が見えてきます。同じですよ。当事者のはずなのに。
『正直者は鏡の中に馬鹿を見る』
『自分のところにかかってくる苦情電話の電話料金で儲ける』
『大阪という街は、万人が万人にとって大阪人であるという、考えてみれば地獄のような場所』
『欽ちゃんの火葬対象』
『この国際化時代と呼ばれる不潔な無差別交流の時代』
『イタリア人というのは役に立たないものを作る時にしか能力を発揮しない』
『イタリヤを逆から読むと・・・』(イタリアじゃなくてイタリヤになっているよ
『日本が成功したのは、いくら高くても新製品を購入したがるマニアのおかげ』
『(パソコンの)マニュアルをシーケンシャルに読むのは暴挙だ。真面目に読むあんたの方がいけない』
『広告屋というのは予言をして、ケツまで拭いてくれる宗教』
『(クリスマス、ユーミンの)あの平べったい声は、人間の思考力を減退させるサブリミナルな催眠効果で田吾作に女へのプレゼントを買いたくさせる』
『自分のことをバカだと言う奴は、やっぱりバカだった』
『個性は勝手に伸びる』
『個性はつぶそうとするほどしぶとさを増す』
『親たちが「伸ばしてあげた」個性など社会に出ればいっぱつで潰れる』
『ストレスなんてただの言葉だったのに、いつの間にか実体を獲得してしまった』
ああ、妖怪の存在に似てますな。妖怪『ストレス』
『商業文は論理が混乱していていようとも、格好良さが全て』
『正義とは独善』
『正義は勝つ』のではなく『勝った者が正義』
『(湾岸)戦争は言葉と映像=ドラマだった』
『勃発の瞬間から「戦後処理の問題」だった』
『あんなものはただの「毛」だ』
『自分の股間にぶらさがっているちっぽけなあいつを、芸術と言い張る自信はないでしょうが』
『地球を「守る」だとか「保護する」だとかいった言い方は、居候が家の普請にケチをつけるみたいで生意気だ』
車のワイパーが1年でだめになったのは、たぶん、店の人間になめられているんだと思うよ。売れ残り在庫の古いものを買わされたんだと思うんだな。酸性雨の所為じゃないよ。
『マスコミはレッテル貼りを好むものだ』
ラベルはいいときに使って、レッテルは悪いときに使うんだな。
『オタクは、誰に同志でもない、万人にとっての他人』
『小論文と面接は、不平等』
『民主主義は善なのか』
『民主主義が好結果をもたらすのではなく、好結果(搾取による経済的豊かさ)が民主主義をもたらす』
『富の偏在の固定化こそが富者の富を保証する唯一の生命線』
『女権論者の問題提起は、男性社会の維持強化に貢献し、女性の立場を弱くしている』
いろんな問題があったんだな~
今と変わらない問題が、すでにこの頃から提起されていたんだ。
私はその頃はパチンコに現をぬかしていたんだよな~
そういうことを意識し出したのは21世紀に入ってからだもん。
ノストラダムスの所為にしておこう。