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「権威と権力」

2005年10月12日 21時30分34秒 | 読書とか
-いうことをきかせる原理・きく原理-なだいなだ著 岩波新書1974

 行間の開いた実に読みやすい本。ページ数も240ページとお手ごろ。
 だが、今回15時間以上かかって読んだ。
 もともと遅読であるのだが、今回は本に思考誘導されないように気をつけたためにさらに遅くなったのだ。(その効果は不明。

 この本は《私》と《A君》の会話形式で話が進む。
 A君はクラスのまとまりがないことを嘆き相談する。
 それは社会における権威の失墜が原因とし、なぜ失墜したのかと会話(考察)が続く。
 いくつかの権威の例を挙げ、面白おかしくその現状を紹介する。
 そして権威と権力の関係を考えていく。

 この本に答えはない。
 あれば誰かがやっている。そこが出発点である。
 そして、A君の言う「まとまる必要性」もあやしくなってくる。

 宗教(神)、天皇、医者、裁判官、学者、教師…
 大企業、有名人、生産国、ブランド…
 テレビ出演、賞、

 赤塚不二夫氏のイヤミの「おフランスでは…」も、権威を笠に着たセリフであり、そのアイデアはこの本が元になっている可能性もあるのでは?年代的にも近いと思うが…

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 現代日本の社会では、人々が決まりを守らない。それはみんなが多くの情報を得るようになり、支配の仕組みを知るようになったからだ。
 人々に自ら相手に従うようにさせていた権威とは、それを感じる人間の中に存在する尊敬と信用により形成される判断の依存であり、それは無知に起因する。
 そして一般の人々が知恵をつけると、権威を欲する立場の人々は権威を守るために権力を行使する。



 そして、問題は防衛へ。

 外からの攻撃を恐れる事で人々はまとまる。
 これはどこの国でも同じこと。中国や韓国でも当たり前に日本を利用している。日本でも同じだ。外からの攻撃の危機感があればこそ、今回の自民党大勝があったのだろう。
「今の体制に満足せずひっくり返したいが、政権交代するともっと悪くなりそう」

 30年前の問題が、そのまま今も残っている事に驚く。永遠に続く問題なのだろうか。この本は30年の時を超えて、少しも古さを感じさせない。

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 また、この本に書いてあることはブログでのトラブルにも通じる部分がある。
 対立する主張をも認めるべきであるのに、それを認めない存在がいる。それは対立をなくす事ができないと言うことになるのだ。
 著名人からの引用を多用する事で、その権威を笠に着るものたち。
 ”常識”を持ち出す輩。
 全体というものは、観念の中にしかない。なのに個々を部分と考えがち。

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 権威を感じる事はたしかになくなった。医者や弁護士、国会議員はもちろん、裁判官や官僚たち、神や天皇、警察、教師。
 なだいなだ氏は無知なため判断を他人に依存する事により、その対象へ権威を感じるとしているが、私としては逆に無知ゆえにそのすごさを知ることができずに権威を感じないようになったとも考える。その証拠に勉強をしている人ほど、それに関連する権威者に尊敬の念を感じている。知らないから権威を感じる事もないのだ。
 裁判官とその働きを知らないから、選挙の時全員に”X”をつけることができる。
 それから暗示と言う問題。世の中は暗示だらけであり、暗示に掛かっていない人間などいないのではないだろうか。



 最後の落ち(締め)が政治や理想になってしまったのはつまらないのだが、
 まあ、多様性を認める社会と言うことで、まとまりは必要ないと結論しておきたい。
 理想は理想として意識すべきものとして。
コメント (9)
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