キュるるキュるると鳴いているかもめが空から一直線に落ちてきた。
羽はもげ、力なくふらふらと落ちてきたのではなく、明らかな意図を持ってぐんぐんと勢いをつけて羽ばたき落ちてきた。今ぶつかればその鋭いくちばしによって致命傷は避けられそうになかった。
かもめが落ちてくるそのちょうど下にいたのがジョナサンであった。
ジョナサンは未亡人の機嫌をとりながらその未亡人の髪をセットしていた。
ジョナサンは美容師だった。正確には美容師見習いだった。まだ髪を切ることは許されていない。先輩美容師が髪を切った後、その髪をセットする役割を担っていた。彼女は早く一人前の美容師になりたいものだと思いながら未亡人の髪にスプレーを吹きかけた。
未亡人はいらいらとしていた。
今日がはじめてのセットです、という美容師見習いの手際の悪さがいちいち癪に障った。あたくしはお得意様ですことよ、この美容院ももうダメねと感じていた。この晴れ渡った屋外で髪を切って欲しいという希望は叶えてくれるのはいいけれど、こんな見習いにやらせるようじゃ台無しじゃない、と腹の中で悪態をついた。それでも、口に出さなかったのは、自分に対する穏やかで美しいという評判を落としたくなかったからで、そのために未亡人はいらいらがたまりにたまっていた。未亡人は昨日のことを思い出す。
あれは久しぶりに胸の躍るような夜だった。遡ること約12時間。
紳士は未亡人の手を取って何かつぶやいた。
なんとつぶやいたのか、興味のある方は直接未亡人に聞いてもらいたい。二人はパーティー会場を後にした。停まっていた馬車に乗る。馬がひひんと鳴いて、馬車は進みだす。適度にゆれる車内で未亡人は有頂天だった。
馬車を操る男は客である二人を見てため息をついた。
なんと素敵なふたりなのだろう。こんな風にパーティーに参加し、二人で抜け出し、どこかへ行きたいものだ。と感じた。馬に鞭を打ち速度を上げる。早く下ろしてしまいたかった。ふたりのこれからを思えば思うほど早く下ろさなければならないような気がした。馬は悲鳴を上げた。
馬が上げた悲鳴を聞きつけたパン屋のおやじは「あのやろうまたやってやがる」とつぶやいた。
パン屋のおやじは馬を愛していた。家族よりも自分よりもパンよりも馬を愛していた。馬を愛しているだけで生活ができるはずない、だからおやじは父親が築いたパン屋を継ぎ、パンをこねながら休日は馬を見にでかけた。馬車の男はいつもパーティ会場で客を受け、馬に鞭を入れる。それがいつもお決まりのコースであった。なんでもよかったのだ、あの男にかかれば自分以外のすべての幸福を呪っている、とパン屋のおやじは解釈した。性根の曲がった風貌をしているに違いない。おやじは馬車の男の顔を見たことがなかった。それでもあの馬の悲鳴を上げさせる元に対して深い憎しみを持っていた。殺意に近い憎しみだった。俺は馬のためなら命すら投げ出すことができる戦士だ、とおやじは年甲斐もなく鏡を見ながらつぶやく。上半身は裸で、たるんだ肉体をそれでも引き締めて鏡に映る。強そうな気がした、その自分が好きだった。馬がまた悲鳴を上げる。いつか、いつか仇を取ってやるからな、待っていろよ、とおやじはつぶやいたとき、客が来て愛想の良い顔をしなければならなかった。うまくいかなかった。ただでさえ無愛想だという評判なのに、その評判をなんとしても覆したかった。
パンが嫌いなのにパンを買わなければならない。
頼まれたのだから仕方がないそのうえ、おやじは無愛想だときた、すくわれない、そう思いながらジョナサンはパンを買った。それも仕事の内だから、と店長に言われた。見習であるわたしに逆らう事などできるわけがない、そう考えた。奴隷か、見習であれば言うとおりに動き、なんでもしますの姿勢を崩さない奴隷か、と考えた。
そう考えているにちがいない客を憎らしく想った。こんな客はぞんざいに扱って言いにちがいない神様はそうおっしゃっているのだ。
神様は首をひねる。
確かに見習を奴隷だと考えている客ではある。だからと言ってジョナサンのその短絡的な考え方が気に入らなかった。それを受け入れてぞんざいに扱ってよい事になったら、怒られるのはわたしだからな、とひとりごとをつぶやいた。
つぶやいた、その時に唾が一滴垂れた。
ほんの一滴であったが、地球規模からすれば大きな一滴で、大きな塊として隕石のように、地球に向ってきた。約12時間が経過し、地球に到達し、その速度のままで降り注いだ。
運悪く飛んでいたかもめにあたる。
かもめはたまらず気絶、それはほんの一瞬で次の瞬間には、神の意思を受け継いだ鳥として落下した。下にいるのはジョナサンで、つまり神が与えた審判であった。
羽はもげ、力なくふらふらと落ちてきたのではなく、明らかな意図を持ってぐんぐんと勢いをつけて羽ばたき落ちてきた。今ぶつかればその鋭いくちばしによって致命傷は避けられそうになかった。
かもめが落ちてくるそのちょうど下にいたのがジョナサンであった。
ジョナサンは未亡人の機嫌をとりながらその未亡人の髪をセットしていた。
ジョナサンは美容師だった。正確には美容師見習いだった。まだ髪を切ることは許されていない。先輩美容師が髪を切った後、その髪をセットする役割を担っていた。彼女は早く一人前の美容師になりたいものだと思いながら未亡人の髪にスプレーを吹きかけた。
未亡人はいらいらとしていた。
今日がはじめてのセットです、という美容師見習いの手際の悪さがいちいち癪に障った。あたくしはお得意様ですことよ、この美容院ももうダメねと感じていた。この晴れ渡った屋外で髪を切って欲しいという希望は叶えてくれるのはいいけれど、こんな見習いにやらせるようじゃ台無しじゃない、と腹の中で悪態をついた。それでも、口に出さなかったのは、自分に対する穏やかで美しいという評判を落としたくなかったからで、そのために未亡人はいらいらがたまりにたまっていた。未亡人は昨日のことを思い出す。
あれは久しぶりに胸の躍るような夜だった。遡ること約12時間。
紳士は未亡人の手を取って何かつぶやいた。
なんとつぶやいたのか、興味のある方は直接未亡人に聞いてもらいたい。二人はパーティー会場を後にした。停まっていた馬車に乗る。馬がひひんと鳴いて、馬車は進みだす。適度にゆれる車内で未亡人は有頂天だった。
馬車を操る男は客である二人を見てため息をついた。
なんと素敵なふたりなのだろう。こんな風にパーティーに参加し、二人で抜け出し、どこかへ行きたいものだ。と感じた。馬に鞭を打ち速度を上げる。早く下ろしてしまいたかった。ふたりのこれからを思えば思うほど早く下ろさなければならないような気がした。馬は悲鳴を上げた。
馬が上げた悲鳴を聞きつけたパン屋のおやじは「あのやろうまたやってやがる」とつぶやいた。
パン屋のおやじは馬を愛していた。家族よりも自分よりもパンよりも馬を愛していた。馬を愛しているだけで生活ができるはずない、だからおやじは父親が築いたパン屋を継ぎ、パンをこねながら休日は馬を見にでかけた。馬車の男はいつもパーティ会場で客を受け、馬に鞭を入れる。それがいつもお決まりのコースであった。なんでもよかったのだ、あの男にかかれば自分以外のすべての幸福を呪っている、とパン屋のおやじは解釈した。性根の曲がった風貌をしているに違いない。おやじは馬車の男の顔を見たことがなかった。それでもあの馬の悲鳴を上げさせる元に対して深い憎しみを持っていた。殺意に近い憎しみだった。俺は馬のためなら命すら投げ出すことができる戦士だ、とおやじは年甲斐もなく鏡を見ながらつぶやく。上半身は裸で、たるんだ肉体をそれでも引き締めて鏡に映る。強そうな気がした、その自分が好きだった。馬がまた悲鳴を上げる。いつか、いつか仇を取ってやるからな、待っていろよ、とおやじはつぶやいたとき、客が来て愛想の良い顔をしなければならなかった。うまくいかなかった。ただでさえ無愛想だという評判なのに、その評判をなんとしても覆したかった。
パンが嫌いなのにパンを買わなければならない。
頼まれたのだから仕方がないそのうえ、おやじは無愛想だときた、すくわれない、そう思いながらジョナサンはパンを買った。それも仕事の内だから、と店長に言われた。見習であるわたしに逆らう事などできるわけがない、そう考えた。奴隷か、見習であれば言うとおりに動き、なんでもしますの姿勢を崩さない奴隷か、と考えた。
そう考えているにちがいない客を憎らしく想った。こんな客はぞんざいに扱って言いにちがいない神様はそうおっしゃっているのだ。
神様は首をひねる。
確かに見習を奴隷だと考えている客ではある。だからと言ってジョナサンのその短絡的な考え方が気に入らなかった。それを受け入れてぞんざいに扱ってよい事になったら、怒られるのはわたしだからな、とひとりごとをつぶやいた。
つぶやいた、その時に唾が一滴垂れた。
ほんの一滴であったが、地球規模からすれば大きな一滴で、大きな塊として隕石のように、地球に向ってきた。約12時間が経過し、地球に到達し、その速度のままで降り注いだ。
運悪く飛んでいたかもめにあたる。
かもめはたまらず気絶、それはほんの一瞬で次の瞬間には、神の意思を受け継いだ鳥として落下した。下にいるのはジョナサンで、つまり神が与えた審判であった。