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壇一雄 1976年1月2日 その2(日本死人名辞典)

2010-01-25 | 若者的字引
「あたしがわかるの?わかるというの?壇さん」
「ああ、意識が戻った、この凄まじいほどの苦しみの中で、僕は自分を取り戻したよ、ほんとうの自分をね」
「よかった。あんなんじゃかわいそうすぎるもの、最後ぐらい・・・あ、ごめんなさい」
「いいよ、もうわかっている。時間の問題だ、それよりも、久しぶりに性交がしたいのだが」
「そのまま死なれては困るからダメ」
「そうか、そうだろうなあ、性交、したかったなあ」
一雄は以前と全く変わらぬ口調で、先ほどまでの様子が全く嘘のようであった。
愛人は一瞬、あれは夢だったのではないかと思った。
しばらくすると、看護婦が注射を掲げながら戻ってきた。
「はい、お待ち、注射です、苦しみが嘘みたいに消えることでしょう、ただし、意識も嘘みたいに消えます。そのまま戻らない可能性もありますよ、さて、どうなさいますか?」
「やってください、看護婦さん」
一雄はヨロヨロと上体を起こして腕を差し出した。
「そんな細ッちょろい腕なんかにさせますかいな、太ももにさすの」
「はじめてです、そんなの初めてですけど、大丈夫なのですか」
「あんた、私が信じられないの?じゃあ、いいけど、注射しないからいいけど」
「いや、お願いします、ぜひお願いします、信じます」

看護婦は勢いをつけて注射を差し込んで、一雄ううとうめいて、愛人固唾をのんで見守る。
一雄すぐに意識消えて、看護婦ほくそ笑んで愛人に言う。
「残念だったかしら、お楽しみだったんじゃないの」
「なんのことですか?」
「あら、とぼけちゃって」
「あなた失礼だと思いませんか?あなたにあたし達の何がわかるって言うんです?」
「なんもわからないねえ、私はこの大先生の望みのままに体を売る女」
「まあ、あなたも?」
「そう、私達親戚みたいなモンよねえ」
「ほんと、なんだかどうでもよくなっちゃったわ」
愛人と看護婦は部屋を出る。意気投合し、このあと居酒屋で一杯飲むらしい。
夜中、目覚めると誰もいなくて一雄は急に寂しさがこみ上げてきて、こんなんだったら、もう誰も来なくていいや、誰かきたら帰ったときによけい寂しいやい、とふてくされる。


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