リッスン・トゥ・ハー

春子の日記はこちら

火野葦平 1960年1月24日 その1(日本死人名辞典)

2010-08-17 | 若者的字引
葦平には秘書がいた。
小田いう名のその秘書は非常に優秀な秘書であった。
葦平の手足となって働いた。家庭を顧みずに葦平の仕事場で寝泊まりした。
葦平は小田なしでは何もできなかった。何をするにも小田、小田、とその名を呼び、小田にやらせた。秘書としての仕事を逸脱している、と周りのものは誰も思っていた。しかし小田本人は不平や不満を全く言わなかった。それどころか、小田も、葦平の世話をやくことが自分の生きがいと感じていた。

小田と葦平は、関係は表向き、作家とその秘書であったが、そこには愛情が感じられた。
強い結び付きがあった。何人たりとも踏み込めたい親密さがあった。
しばしば互いの家族でさえ近づけない、絆があった。

やがて関係者各位は二人に遠慮するようになった。
ふたりも、いっそのことふたりきりで暮らしていけばいいじゃないか、と考えるようになった。
だからあたらに仕事場を設け、ふたりはそこに住みついた。

楽しかった。ふたりだけの生活だった。誰にも邪魔されない秘密の園であった。
もっと前からこうしていればよかったんだ、と葦平は言った。
この甘い生活がずっと続けばいいのに、と小田は言った。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿