リッスン・トゥ・ハー

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壇一雄 1976年1月2日 その3(日本死人名辞典)

2010-01-27 | 若者的字引
朝、一雄は再び苦しくなる。
この苦しさと言ったらなんだ、なんだ、もう言葉も浮かばない。
だから歌うことにする。思い切り歌い上げればいい、そうすれば少し勇気が出るはずだ。

そうさ忘れないでみんなの夢を、愛と勇気だけがトモダチさ~

何度もそのフレーズだけをリフレイン。病室に愛や勇気があふれる。
愛や勇気はしかし病魔に対して何もしない、黙りを決め込んでいる。
一雄は腹が立ってくる。愛、勇気、オマエもか。

がらがらどっしゃん、ドアが開いて看護婦が入ってくる。
私服だ。スリットの入ったスカートはむちむち、大変セクシーで一雄は少々興奮してしまう。
看護婦は「ふん、つまらん男やでえ」と吐き捨てる。
「さあ、ぼくをどうするつもりだ、いったいなんだ何が目的か」
「目的なんざ何もないよ、私は有名人と寝たいだけの女、うふふふうふ」
「何がおかしい、何がおかしいんだ、そんなに可愛く笑いやがって!」
「なんでもないよ、大先生、そろそろ未練はないんじゃないかい?この世に」
「そんなことはないぞ、ぼくはまだこの世に未練がたくさんあって、だから死ぬわけにはいかないのだ」
「何がしたいのさ」
「ぼくは、ぼくは、ぼくは・・・わからない」
「ほら、何もないんだよ結局ね」
「そんなことはない、そんなことは断じてないぞ」
「じゃあ、言ってご覧」
「ああ、何も思い浮かばない」
「ほらほら言ってご覧なさい、好きなことをなんでも言ってご覧なさい」
「ああ、わからないぼくは何をしたいんだ、思い浮かばないどうしてなんだ」
「さあ大先生、愛人もきてるわよ」
「ええ!きてるの?」
「どうも、愛人です」
「うわ!きてる!」
「さあ、先生助平な女ふたり、何をしたいの?」
「えーと、ぼくねえ、あのねえ」
「なに?いってごらんぼくちゃん」

一雄は息を引き取る前、最後にこういった。
「とても苦しいんです。とても眠いから、もう寝させて」


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