リッスン・トゥ・ハー

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七草粥を味わう、犬は学歴社会を呪う

2010-01-06 | リッスン・トゥ・ハー
今年は七草がゆが食べられない。毎年、母が作ってくれたのを食べていた。それは、おそらく祖母から伝え聞いたもので、年に一度しか作らないものだからとてもあやふやで、お世辞にも美味しいとは言いがたかった。7つも草は入っていないし、そこらへんにあるものでなんとか3種類ぐらいだったろうか、青臭さは完全に残っているし。だけど、この季節になると、年が明けて、仕事が始まって、しばらくたったこの頃になると、無性に食べたくなるものだった。一口食べればもう来年までいらない、と思ってしまうのだけど。母は作り方を教えてくれない。まだ早いわよ、と意味の分からないことをいう。その時が来たらちゃんと教えてあげるからまってなさい、という。どういう意味だろうとわたしは考えるけれどよくわからない。母自身もそんな深い意味が会っていったことではないのかもしれない。きっとそうだろう。母はそういう気まぐれなところがあって家族を困らせる。私は去年の春から家を出て、一人で暮らしているから基本的には自炊をしている。インターネットを見ればどんなレシピでも探すことができる。だから知っている。七草がゆの作り方も。母に内緒で七草がゆを作ろうかな、と思う今日この頃。

うなぎ

2010-01-06 | リッスン・トゥ・ハー
うなぎの頭の部分をめがけ、一気に利き手である左手を突っ込む。
正美は、そして、確実に捕らえた事を手の平で感じ取り、水面から上げる。波が暗闇の中立っているのがわかる。それはうなぎたちに広がる動揺のようであった。
つかめるものがやってきた。それは、あきらかに、いつもの手ではない。
なぜならいつもは右手をつっこんでくる。左だった事はない。
うなぎはすでに自らの運命を知っている。捌かれ、蒲焼にされるのだ。よくて、白焼きだ。白焼きは自分の本領を発揮でいる焼き方であるため、うなぎの一つの理想としてあった。
だから白焼きで逝かせて欲しいものだ。うなぎの世界での暗黙の了解、白焼きで。できるだけ、白焼きで。しかし、需要は圧倒的に蒲焼にある。
圧倒的である。庶民の味としては私はやはり蒲焼を推す。あの幸福感と、腹持ちのよさ、甘ったるさが印象に残る。蒲焼を外せるわけがない。
うなぎはそのわずかな白焼きの枠に入れるように夢を見ながら、真夜中の水槽の中、たゆたゆ、と漂っていたのだ。
そこに違和感が広がる。波立つ。この浅い水槽の中では、手を入れることすなわち水を押す事、つまり鱗に衝撃を受けること、緩いがしかし圧倒的にその先にあるものは白焼きか蒲焼か、その瀬戸際にある。
とすれば、誰からともなく逃げ惑いだす、が熟練の手、うなぎは瞬く間に捕まえられ、捌かれるのだろう。
左の衝撃は全水槽に広がる。
いったい誰がやってきてこの深夜に水槽に手を入れ、うなぎを捕まえたのか。

正美は捕まえたうなぎを腰につけているポショットにしまう。暴れ回るうなぎの筋肉がしなり、びゆう、びゆうと空を切る音。
水を伝わり、水槽全体に広がるあんなにもしならせて抵抗するあっぱれだ。
ポシェット内でも存分に暴れ出す。ここで折れたら最後だという事を良く知っている。
本能がさせるわざであった。

『バガボンド』の年内完結。立場は!橘の立場は!

2010-01-06 | リッスン・トゥ・ハー
時々まんがを読む。本当に時々、気が向くままに時々、漫画を買いにいって、適当に選んで、結構話題になっている人気作や、たまたま手に取って表紙の絵がとても素敵だったのや。バガボンドは後者だったけれど、あとで聞くとかなりの人気作らしい。説明不要だとさえ言う。私は全く知らなかったと言うのに。作者のイノウエという人はやはりかなりの人気漫画家だという。漫画ではなく芸術だ。いや芸術なんて問題にならないぐらい偉大な漫画だ。よくわからないけれど、すごいということなのだろう。バガボンドはすでに31巻という。いつの間にか積み重ねられている。イノウエさんが今年度で完結させると宣言したらしい。話題になっていた。漫画がただ終わるだけでニュースになるなんて、伝説の漫画家以来じゃないのか。バガボンドは宮本武蔵が主人公でよく人が死ぬ漫画だ。その躍動感がすごいらしい。スラムダンクと言う作品もイノウエという人が描いたらしいが、この躍動感もすごかった。肉体が波打つ、おとが聞こえる。イノウエさんは絵が上手いなあ、と私は思う。