夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

総選挙はやはり党を選ぶ選挙だった

2009年09月02日 | 政治問題
 民主党の圧勝で、多くの人々が半信半疑らしい。政権交代は望む所なのだが、それが果たして民主党の圧勝で達成出来るのか、と多くの人々が疑ってかかっている。中には、300以上もの議席を取ってしまった事が困った事になる、と考えている人も居る。自民とどっこいどっこいくらいで勝っていたのなら、自民の考えも取り入れながら政策を決めるのだが、圧倒的に有利なので、思い通り、もっと言うなら自分勝手になって、そこから慢心し、党内に我こそは、と思い上がる人が出現するだろう、との見方である。
 元々が寄せ集めの観のある政党だから、そうなったら分裂の危機があると言う。

 結局、民主党と言う存在が大きな力を持つ事になる。党員としての議員が力を持つのではない。議員一人一人が力を持つのであれば、誰も心配などしないだろう。一人一人なら常識が保てる。だが、党と言う一人一人の意見を抹殺するような存在が力を持つから多くの人々が心配をするのである。
 我々は個人としての候補者に投票をしたつもりである。だが、選ばれたのは個人であって個人ではない。結果として党を選んだ事になってしまうのである。個人としての議員であれば、自民党のA氏と民主党のB氏がほとんど同じ考えである事は実際にある。だが、党としてなら、A氏とB氏はまるで正反対の立場に立たされてしまう。
 議員は党の方針に逆らう事が出来ない。だから渡辺喜美氏は離党した。議員を選ぶのだと言いながら結果としては党を選んでいるような選挙が果たして正しい選挙と言えるだろうか。

 小選挙区で見れば、選んだ議員の所属政党としては、民主対自民は100対82なのに、選ばれた議員の数は100対29になってしまう。そんなの絶対に正統な選挙とは言えない。世間は10対8の割合で民主党を支持したのである。それで政権交代は出来る。民主党が勝ち過ぎる事は望んでなどいない。それほどの信頼はまだしていない。それが実際の獲得票数として現れているのだ。
 だからこそ、多くの人々が安心しきってはいないのである。心配の目で見ているのである。今日の東京新聞には民主党政権に42%が「評価保留」とある。民意が正確に反映されたとは言えないのだから当然だ。民主党の幹部はどれほどその事を真剣に考えているのだろうか。