ついに我が家のポメラニアンの体重が7キロになってしまった。標準は3・5~5キロくらいらしい。1年程前、獣医から、6・5キロなので、せいぜい6キロに減らしましょうね、と言われた。元々、骨格が大きいのだと言う。息子は見るたびに「でっけー、重てー。なんだこりゃ」と言ってはぶら下げて喜んでいる。いや、喜んでいるのではないだろうが、楽しそうに見える。私らの餌のやり過ぎだと非難するのだが、やり過ぎで太る事はあるが、骨格まで大きくはならないだろう。我々が食べているテーブルの下で、真剣に悲しそうに声を出されると、ついつい甘くなってしまう。それこそ、本当に子猫みたいな声を出すのである。吠える時は猛犬のようなのに。
別に肥満体ではないらしい。と言うのは肉が固くしまっているからだ。背中などポンポンと強く叩いたってびくともしない。外出から帰って跳び付かれようものなら、ひっくり返ってしまいそうになる。重さとその勢いでかなりの衝撃になるのだ。息子は自分の体力が無さ過ぎるのだ、と私を非難するが、まあ、一部当たっているから仕方が無い。犬に負けずに私も体力を増強しなければ。
何しろ、何でもよく食べる犬なのだ。中辛のカレーライスも好き、やはり中辛の、と言ってもテンメンジャンもトーバンジャンも私の目分量で入れているから結構辛いマーボ豆腐もぱくぱく食べてしまう。カレーライスやハヤシライスは、みじん切りにしたタマネギを入れてある場合には注意してタマネギを除く必要があるが。
以前、動物病院でうちではペットフード以外は絶対にやりません、と言って25歳くらいになる猫を連れて来ていた夫婦がいたが、それはそれでその猫は幸せなんだろう。だから本当は人間の食べ物の味を教えてはいけないのだ。
そうは思うが、ペットフードだけで長生きするのと、旨い物も食べて、つまりは太く短く生きるのとは、どちらが本当に幸せなんだろうか、とつい考えてしまう。まあ、ポメラニアンの場合に一般的な寿命とされる12年とか13年とか生きられれば、好きな物を食べて暮らすのが幸せなんだろうな、と思う。前のポメはやはり人間の食べ物も食べて12年生きた。ある動物病院ではペートフードは良くない、と言っている。
で、私も家内も半信半疑で、ペットフードと人間の食べ物との二本立てをやっている。
今このらちもない文章を書いているすぐその横で、なにしろ、机と同じ高さの所なのだ、すやすやと寝ている犬を見ていると、やっぱりかわいいなあ、と思ってしまう。結局、私は単なる犬バカに過ぎない。
きのうだったか、「徹子の部屋」にピアニストの中村紘子さんが出た。飼い犬のミニチュアダックスフントがミニではなく、標準ダックスフントになってしまった、と言っていた。子犬の時、手足が大きいので、ご主人が、確か庄司薫さんだったよね、やめたほうがいいよ、と言ったのだそうな。「でもね、目と目が合ってしまって」。
うん、それは想像が付く。あの無心な目を見たら、誰だって駄目になってしまう。人間だって邪心の無い人はかわいい。そう言えば、実業家とか政治家にはあまりかわいい人は居ない。
別に肥満体ではないらしい。と言うのは肉が固くしまっているからだ。背中などポンポンと強く叩いたってびくともしない。外出から帰って跳び付かれようものなら、ひっくり返ってしまいそうになる。重さとその勢いでかなりの衝撃になるのだ。息子は自分の体力が無さ過ぎるのだ、と私を非難するが、まあ、一部当たっているから仕方が無い。犬に負けずに私も体力を増強しなければ。
何しろ、何でもよく食べる犬なのだ。中辛のカレーライスも好き、やはり中辛の、と言ってもテンメンジャンもトーバンジャンも私の目分量で入れているから結構辛いマーボ豆腐もぱくぱく食べてしまう。カレーライスやハヤシライスは、みじん切りにしたタマネギを入れてある場合には注意してタマネギを除く必要があるが。
以前、動物病院でうちではペットフード以外は絶対にやりません、と言って25歳くらいになる猫を連れて来ていた夫婦がいたが、それはそれでその猫は幸せなんだろう。だから本当は人間の食べ物の味を教えてはいけないのだ。
そうは思うが、ペットフードだけで長生きするのと、旨い物も食べて、つまりは太く短く生きるのとは、どちらが本当に幸せなんだろうか、とつい考えてしまう。まあ、ポメラニアンの場合に一般的な寿命とされる12年とか13年とか生きられれば、好きな物を食べて暮らすのが幸せなんだろうな、と思う。前のポメはやはり人間の食べ物も食べて12年生きた。ある動物病院ではペートフードは良くない、と言っている。
で、私も家内も半信半疑で、ペットフードと人間の食べ物との二本立てをやっている。
今このらちもない文章を書いているすぐその横で、なにしろ、机と同じ高さの所なのだ、すやすやと寝ている犬を見ていると、やっぱりかわいいなあ、と思ってしまう。結局、私は単なる犬バカに過ぎない。
きのうだったか、「徹子の部屋」にピアニストの中村紘子さんが出た。飼い犬のミニチュアダックスフントがミニではなく、標準ダックスフントになってしまった、と言っていた。子犬の時、手足が大きいので、ご主人が、確か庄司薫さんだったよね、やめたほうがいいよ、と言ったのだそうな。「でもね、目と目が合ってしまって」。
うん、それは想像が付く。あの無心な目を見たら、誰だって駄目になってしまう。人間だって邪心の無い人はかわいい。そう言えば、実業家とか政治家にはあまりかわいい人は居ない。
私も犬好きなのですが、数年前に18年生きた犬が死んでからは、飼うのを諦めました。
これから飼ったのでは、犬が15年以上生きて老犬になったとき、自分たち夫婦が75歳を越えていて、とても老犬の介護はできないだろうと考えました。
エサ代の心配もありますし。
ですから、「すやすやと寝ている犬を見ていると、やっぱりかわいいなあ、と思ってしまう」には、まったくうらやましく思います。
でも、そんな事でどうする、犬よりも何倍も元気で長生きしようとの気力が無くてどうする、などと息子に言われて、なるほど、それもそうだなあ、などと結局は妥協してしまいました。で、案の定、世話はすべて親任せ。よそでも、毎日犬の散歩をさせている老齢のご婦人が、「自分が飼いたいと言ったのに、最初だけですよ、息子が面倒見ていたのは」と言っていました。まあ、それでも結構楽しそうですけどね。
そう言う私も「親に面倒見させやがって」とは怒るものの、お父さん、お父さん、と寄って来る犬を見ていると、文句も言えなくなります。妻は「おじいさん、おじいさん」と言ってるのよ、と憎たらしい口をききますが、孫なら当然に「おじいさん」なんだから、いいではありませんか。ただ、孫と違って責任があるので、そんな事言ってる場合じゃないんですけどね。