夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「新製品が発売」は間違い。プロなら日本語を勉強し直せ

2008年07月21日 | Weblog
 「○○が発売」の類の言い方が大流行である。テレビの若いアナウンサーは全員と言えるほど使うし、有名週刊誌も見出しで使っているし、新聞でさえ使っている。誰もが何の不思議も感じずにごく自然に使っている。
 言うまでもなく「○○が××」の○○は主語になる。従って、「○○=××」か「○○が××する」にしかならない。この例で言えば「○○=発売」はあり得ない。従って、「○○が発売する」にしかならない。
 だが言っているのは、すべて「○○が××される」なのである。
 実はこの言い方はかなり前からされていた。特によく見掛けたのが、家事や料理での説明である。「される」ではなく「させる」なのだが、「○○を乾燥」が典型的な例である。これは「乾燥させる」の意味で使われている。それ以外には考えられない。
 書いているのが家事評論家とか料理研究家といった人々であり、まあ、日本語にはそんなに真剣ではないのだろうと思っていたのだが、言葉のプロまで洗脳されているとなると、脳天気に考えている訳には行かなくなる。

 漢字熟語の「発売」とか「乾燥」などは名詞も動詞もある。それが中国語本来の使い方である。中国語は確か語順で言葉の役目が決まっているはずだ。だから「発売」「乾燥」が名詞か動詞かは一目瞭然のはず。従って、「発売」「乾燥」で何ら問題は無い。
 動詞と決まって、これが「発売させる」なら「発売」の前に「使」を使って使役の意味を表す。「発売される」なら同じく「発売」の前に「被」を使って受身の意味を表す。
 そうした働きを日本語では「発売」に付ける助動詞で表す。これは日本語の常識、言い替えれば日本人の常識である。そんな事、いちいち考えなくとも自然に出来る。それが日本人なのである。
 「する」「させる」「される」の中で、唯一、省いても意味が通じるのが「する」なのだ。自動詞、他動詞の区別も簡単に出来る。「運動」なら「○○が運動」は通じるが、「○○を運動」なら言葉にはならない。それを自然に分かるのが日本人なのである。

 それが全くでたらめになってしまった。日本語を知らない、と言ってしまえばそれまでだが、日本人が日本語を知らないで済む訳が無い。
 大新聞でさえ「警部が痴漢で逮捕」などと見出しを付けている。これは「警部が痴漢を逮捕した」のではない。「警部が痴漢で逮捕された」のである。当然ながら、「警部を逮捕」でなくてはならない。

 以下、○○、××では分かりにくいので、具体的な名称を入れる。「新製品が発売」の言い方がされている訳は分かる。「新製品」を目立たせたいのである。だから「を」では駄目なのだ。「を」であれば、主語が必要になる。しかしこの言い方では主語は不要だ。あってはならない。主語を想定する事すら駄目なのだ。そんな事をしたら「新製品」が目立たなくなる。
 「新製品」をまるで主語のように仕立ててしかも「発売」と繋げる。それには一つしか方法は無い。「新製品発売」にするのである。「発売」は先に言ったように、「発売する」である。だから「新製品発売」には言外に誰々が、とか何々が、と言う主語が存在している。だから「新製品発売」で「新製品を発売」と受け取る事が可能になる。

 そうした事が成り立っているから主語が無く、目的語である事も明確にせずに、「新製品発売」が通用するのである。
 新聞などの見出しでは、それを明確にするために「新製品 発売」などと両者の間を開ける。
 だが、この方式は話し言葉では成り立たない。「しんせいひん はつばい」と言ってみたところで、文字での表現に比べれば、その確実性は非常に低くなる。それに話し言葉でそのような表現をする必要はないのである。ほとんどがそうした短い表現ではなく、「新製品が発売です」などと文章になっている。それなら「新製品が発売されています」でも「新製品を発売しています」でも同じである。
 つまり、「新製品発売」に丁寧語である「です」を付けただけの事なのである。それが変な言い方になるから、仕方なく「が」を入れた。本来なら「を」になるべきだが、「新製品」を主語のように考えているから、「新製品が発売です」となってしまうのである。
 どこかの誰かが血迷って、そうしたのであろう。不幸な事に、日本語をよく知らない人間がそれをして、同じような人間がそれに追従してしまった。

 私は不思議で不思議で仕方がない。なんで、「○○が発売」などと言って、おかしいと思わないのかと。いやしくも、言葉を武器にしている仕事人が正しい日本語感覚を持たずに商売をしている。仕事を舐めてはいけない。
 「新製品発売」のように「新製品」と「発売」の関係をぼかしているから、この言い方で通ると説明している本がある。そうではないだろう。ぼかしてなどいない。「発売」が明確に「発売する」である事が感覚的に分かっているから、「を」が無くても良いのである。この本も言うまでもなくプロが書いている。ああ、情けない。