夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

たかがキーボード,されどキーボード

2010年08月21日 | 文化
 私がブログの事をよく知らない事が分かった、と書いた。コメントを下さった方の名前をクリックするとその方のサイトに行けるなんて知らなかった。恥ずかしい。
 そしてそのサイトを拝読した。うーん、私にはとても難しい。親指シフトキーボードに関しては、私は富士通がOASYS100と言う、今から考えるととんでもないような高額の製品を売り出した時からの愛用者だから、年季が入っているのは確かである。ワーブロで3台、NECのパソコンで1台、マックで3台、ウインドウズで1台、全部で8台の親指シフトキーボードを使って来ている。それはすっかり私の指に成りきって,いや、頭に成りきってしまっているから、今更ローマ字入力は出来ない。
 で、そうした人々が決して少なくはない事を知って嬉しいのだが、彼等の頭の良さには本当にただただ感服するのみ。文筆業を生業にしているのに、技術面にも優れているとは、なんて素晴らしい能力の持ち主だろう、と羨ましくなる。私は単にキーボードのキータッチに熟達しているだけに過ぎない。理論も知識も無い。関連するブログをすべて保存してあるから、暇を見付けて挑戦したいと思っている。ただ、片仮名用語が難解で……。

 本心を言えば、キーボードなんか理屈は要らないのである。鉛筆の持ち方を初めは教わるが、一度覚えてしまえば、あとはどうと言う事は無い。HBがBになればどうの、とか、赤鉛筆はこうして使う、なんて話がある訳が無い。しかしキーボードの世界ではそうした馬鹿げた事が実在している。
 なんで無心になってキータッチだけに専念させてくれないのだろうか。ローマ字入力に慣れ切った人は、何も考えずにそのまますらすらと打てると言う。だが、私は疑っている。本人はすらすらだと思っているだろうが、脳の中では、日本語をローマ字に変換する作業をしているのではないかと。
 なぜなら、我々は日常的にはすべて漢字仮名混じりで考えている。人によって漢字が少ない人と多い人が居るくらいの違いでしかない。平仮名を打って漢字に変換するのが不自然と言えば言えるが,それだって、普段、最初から頭の中に漢字だけが出て来るとは限らないのだ。確かに易しい漢字であれば、例えば「小さい」などは「ちいさい」と考えて次に「小さい」になるのではなく、最初から「小さい」で考えている。しかし少し難しい漢字になれば、そうは行かない。「ついきゅう」なんて、平仮名で考えてから、ではこの場合はどの漢字にしたら良いのだろうか、と考えるのである。
 そうではあっても、広い意味ではすべて平仮名で考えていると言っても間違いとは言えない。決してローマ字で考えているのではない。

 そうした事を誰もが考えようとはしていない。既成の事から抜け出るのはそんなにも大変な事なのだろうか。そうではない。単に商売にはならないからやらないだけの話である。でも常用漢字を増やすなんて言う事は、商売とは関係なくやられている。だから国の仕事としてやられている。
 キーボードの事だって同じなのだ。商売抜きでしかるべき機関が考えるべき事なのである。それは絶対に日本語文化に貢献するはずである。貢献しないと思っているのは、単にローマ字入力から抜け出せない、惰性の文化で満足しているからである。
 話は違うが、私は今となっては時代遅れの速記に再び挑戦している。昔、高校生の時に通信教育を受けた。専門家になるだけの技術は習得していないが、日常的に速く書く必要がある場合にとても重宝している。本当に瞬時に書けるのである。あれっ、これはどんな文字だったか、なんて絶対に思わない。指が即座に動くのである。頭の中の考えはどんどん進んで、と言う事は、ちょっと前の事はすぐに忘れてしまう事にもなる。だから出来るだけ速やかに文字にしなければならない。それが速記なら出来る。もちろん、親指シフトキーボドでも出来る。
 これは慣れの問題ではない。もちろん、慣れは必要だが、最も大事なのは文化の問題だ、と言う点にある。