夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

刑罰が「社会の直視」になるのか・死刑存廃論議

2008年07月13日 | Weblog
 鳩山法務大臣が死刑の確定から執行までの期間を短縮した事から、死刑に対する議論が表面に出て来たらしい。7月11日の東京新聞夕刊に「社会の〈直視〉こそが罰」と題して、松原隆一郎東京大学教授の話が載っている。

 陪審制は判断を有罪・無罪までにとどめるが、日本のように量刑までも決定しうる参審制を導入した国で死刑制度を存続させているのは他に例がなく、世界で唯一国民がみずから死刑判決を下す局面に直面することになる。

 と言う所で、私は難しい書き方をするんだなあ、と思った。冒頭の「陪審制は」がすぐには分からなかった。日本で始まるのが「陪審制」だとばかり思っていたからだ。だが、「陪審制」とは量刑は決定出来ないのだと言う。そして日本の「陪審制」が画期的な量刑を決定できるものだ、と言う。
 だから「現在世界で行われている陪審制はすべて、判断を……」なのではないか、と思ったのである。それなら「日本のように……」が何の躊躇もなくすらすらと頭に入る。読者の考えを引っ掛からせるのはそれで注意を引こうとする意図があるなら有効だが、単に引っ掛かり、読み直さなくてはならないのでは、損になると思うのだ。
 同氏の言っている事で我が意を得たり、と思った所がある。

 犯人の人権擁護への配慮に比して犯罪被害者や遺族への配慮が手薄であったという指摘がなされ、遺族へのケアのためには死刑は妥当という論調が最近では強まってきた。とくに被告が公判で被害者や遺族を冒涜する言動を続けた(と一般に受け取られた)光市母子殺害事件をきっかけに、応報刑論が力を増している。

 ただし、上記の中の( )書きは無用である。「と一般に受け取られた」も何もない。正真正銘、冒涜する言動を続けたのである。それは誰の目にも明らかなはずなのである。
 そして私は馬鹿な弁護団だったなあとつくづくと思う。彼等は死刑廃止論者達である。この裁判を通して、自分達の要求を世間に訴えようと図った。それが異例とも言える大弁護団の結成となった。誰が見たって異常その物である。
 被告(殺人鬼)に言いたい放題を言わせて自ら墓穴を掘ったのである。わざわざ進んで世間の反感を買ったのである。この弁護団は常識を忘れ、自分達の仕事だけに熱中するあまりに、道を踏み誤っている事に最後まで気付いていない。
 それがこの「応報刑論が力を増している」の一言に明確に表れている。
 最後にももいい事を言っている。

 社会からの「離脱」という罪に対する罰は、社会の「直視」であるべきだろう。

 これがタイトルになっている。光市の被害者遺族が「嘘をついたままの極刑では意味がない」と述べたのは、犯人に犯行と直面させたいという願いだろう、と言っている。死刑囚にとって死刑がどれほど恐怖であるかしばしば伝えられるが、生涯をかけて罪と直面し償いを続けるのも精神的には辛い作業であるはずだ、とも言う。
 それが先述の「社会の直視」になるのだが、最後の一言が私には納得が行かない。

  終身刑が設置されるとして、刑務所での労働を通じ遺族や社会に償うものとすべきだと思う。

 刑務所での労働がどのようなものかを私は知らないで言うのだが、それが果たして遺族や社会に償う事になるのだろうか、との大きな疑問がある。
 刑務所は隔離された場所のはずである。社会の事柄は知る事は出来るだろうが、直面などはしていないと思う。衣食住を与えられて、たとえ労働が重労働だとしても、辛いのは労働だけではないのか。世の中にはもっと辛い思いをしている人々がたくさん居る。重労働をしながら、実際に社会と直面しなければならない人々が居る。
 社会と直面させるのなら、毎日一定時間、被害者とその遺族に面会させ、彼らの苦しみを目と耳で味わわせるのも一つの手段だろう。もっとも、被害者や遺族の方で「御免蒙る」と言うかも知れないが。私なら嫌だね。
 だから、もっと有効な罪の償い方を考えるべきではないのか。刑務所ではいかに重労働をさせたとしても、社会に直面もせず、しかも償いにはならないと考えるから、死刑に賛成する人々が多数存在するのだ、と私は思う。
 「刑務所での労働を通じ」の一言で、このせっかくの問題提示がへなへなと腰砕けになってしまったと思う。残念だ。償いが「社会の直視」と言う言葉でいい加減になってしまった、と思う。
 「社会の直視」。言葉は良い。しかしその中身が大事ではないか。その中身について、単に「社会の直視」では何も語ってはいない。何をする事が「社会の直視」になるのか。終身刑ならそれこそ社会に直面させない訳だから、社会に直面させずに社会に直面させる、とはどのような事なのかを具体的に示す必要があると思う。