原子力発電所の稼働がゼロになって、日本の新しい歩みが始まった。東京新聞は6日の朝刊で『原発ゼロ 未来へつなぐ」との大見出しを掲げていた。
そして同じ日の産經新聞のコラム「産経抄」は次のように書いている。
このまま猛暑の夏になると、需要急増に対応できるのか、経済界も家庭も不安にさいなまれる。むろん「原発ゼロ」を想定してこなかった電力会社の責任は大きい。だがこんな事態になっても、再稼働に指導力を発揮しようとしない民主党政権も異常である。
何でびっくりしたかと言えば、私の考えとまるっきり正反対だったからだ。私の考えは世論の考え方とほとんど同じだと信じていた。だから東京新聞の正論に拍手喝采をしていた。上の社説は、政府は原発の再稼働を指導せよ、と言っているように、私には思える。
もしかしたら、これは文章が中途半端なのかも知れない。
政府は原発ゼロを維持し、その上で、それに代わる電力供給の方法に指導力を発揮せよ、と言っているつもりなのかも知れない。でも、そうであるなら、上の文章は成っていない。
ただ、そのように好意的に理解するのもまた難しいのだ。なぜなら、一般家庭は、需要急増で不安にさいなまれてなどいないはずだ。東京新聞の投書欄を見る限りでは、一般家庭は、節電をしようと呼び掛けている。そして社説は、「原発ゼロ」を想定して来なかったのは電力会社の責任だと言うが、自分達マスメディアには責任は全く無いのだ、と言うつもりなのか。
これを見て、私は産經新聞の読者でなくて良かった、とつくづくと思った。私は東京新聞が好きだ。時々変な文章を書いてはいるが、主義主張は正しいと思っているから、まあ、我慢して置こう。
そう言えば、きのう、テレビで、竜巻が南西から北西へ通り抜けた、としゃべっていたアナウンサーが居た。まあ、咄嗟に出た言葉だし、気持は分からないでもない。彼は、南から北へ通り抜けた、と言いたかったのだろう。そして西とか東にはあまり関心が無かった。方向は真っ直ぐだから、そのまま『西」と言ってしまったのだと思う。
テレビは一過性だから何とかなるが、新聞ではそうは行かないのは当然である。
そして同じ日の産經新聞のコラム「産経抄」は次のように書いている。
このまま猛暑の夏になると、需要急増に対応できるのか、経済界も家庭も不安にさいなまれる。むろん「原発ゼロ」を想定してこなかった電力会社の責任は大きい。だがこんな事態になっても、再稼働に指導力を発揮しようとしない民主党政権も異常である。
何でびっくりしたかと言えば、私の考えとまるっきり正反対だったからだ。私の考えは世論の考え方とほとんど同じだと信じていた。だから東京新聞の正論に拍手喝采をしていた。上の社説は、政府は原発の再稼働を指導せよ、と言っているように、私には思える。
もしかしたら、これは文章が中途半端なのかも知れない。
政府は原発ゼロを維持し、その上で、それに代わる電力供給の方法に指導力を発揮せよ、と言っているつもりなのかも知れない。でも、そうであるなら、上の文章は成っていない。
ただ、そのように好意的に理解するのもまた難しいのだ。なぜなら、一般家庭は、需要急増で不安にさいなまれてなどいないはずだ。東京新聞の投書欄を見る限りでは、一般家庭は、節電をしようと呼び掛けている。そして社説は、「原発ゼロ」を想定して来なかったのは電力会社の責任だと言うが、自分達マスメディアには責任は全く無いのだ、と言うつもりなのか。
これを見て、私は産經新聞の読者でなくて良かった、とつくづくと思った。私は東京新聞が好きだ。時々変な文章を書いてはいるが、主義主張は正しいと思っているから、まあ、我慢して置こう。
そう言えば、きのう、テレビで、竜巻が南西から北西へ通り抜けた、としゃべっていたアナウンサーが居た。まあ、咄嗟に出た言葉だし、気持は分からないでもない。彼は、南から北へ通り抜けた、と言いたかったのだろう。そして西とか東にはあまり関心が無かった。方向は真っ直ぐだから、そのまま『西」と言ってしまったのだと思う。
テレビは一過性だから何とかなるが、新聞ではそうは行かないのは当然である。