夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「政治生命をかける」がいい加減に使われている

2012年06月26日 | 言葉
 野田総理が「政治生命をかけて、この法案を通したい」と熱心に語っている。執行部も同調している。
 でも「政治生命」とは何だろう。
 普通には、「政治家の生命」であり、「政府の生命」である。もちろん、今回は増税がその目的である。しかし庶民の絶対的多数が増税に反対である。つまり、「政治生命」とは庶民は全く抜きにして、「政治家だけの生命」であり、「政府だけの生命」である。
 まあ、増税ではなくても、「政治生命」とはそうした事なのである。
 中身がいかようにもなる曖昧な言葉で、しかも見てくれだけは良い言葉を使うのは政治家の常套手段である。「粛々とやる」が代表的な例である。
 「粛々と」には「きちんと」とか「着実に」などの意味は全く無い。単に「厳かに」とか「静かに」などの意味しか無い。けれども政治家が「粛々とやるだけです」と言うと、庶民は、そうか「着実に実行してくれるのか」と安心してしまう。そしてその結果はたいていは良く分からないから、「粛々と」は相変わらず政治家ご愛用の言葉なのである。
 これは我々も悪い。もちろん、マスメディアが悪い。「粛々と」の意味をきちんと理解出来ていない。

 「政治生命」も全く同じである。もちろん、総理にとってはそれこそ「命」をかけている。国民の幸せに命をかけるのではなく、自分だけの、総理としての地位に命をかけている。だから、馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。だから、すっかり同調している執行部がアホづらに見えてしまう。
 でも、みんな、何にも言わないから、もしかして、「政治生命」にはもっと重大な、国民全体の幸福を祈る意味があるのかも知れない。