夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

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放送禁止用語の怪・何でこれが禁止なの?

2008年09月19日 | Weblog
 東京新聞の「大波小波」と題するコラムに「自動化する禁止用語」との記事がある。9月16日夕刊。禁止用語は多くの人々が知っている。公序良俗に反する言葉や差別用語が該当する。「自動化」とはそうした禁止用語について、どのような理由で禁止にするのかをまるで検討する事なく禁止用語にしてしまう事を指している。言うならば、「臭い物には蓋」なのである。
 単に事なかれ主義を貫いているだけの事だが、その事なかれ主義がマスコミにあっては絶対にあってはならない事である事は言うまでもない。

 その一つとして、次のような身近な商売が挙がっている。→に示すのはその言い替えである。
・魚屋→鮮魚店
・八百屋→青果店
・肉屋→精肉店
・床屋→理容店
 その理由として、「○○屋」は差別的だとか誰かが発言し、それが伝言ゲームのようにメディア業界に蔓延したのではないか、とこの記事は言う。
 昨日、近所の八百屋で茄子の漬け物を三個買った。だが、全部なま漬きで、一つなどは、塩気が足りないのだろう、腐っていた。文句を言っても始まらないだろうから、今後、その八百屋では漬け物は一切買わない事にして一件落着。そんな八百屋が「青果店」だって? 笑わしてくれるじゃないか。私など「やおや」どころか「おやおや」だと言いたい。もっと言えば、「八百長八百屋」ではないか。そうか、「八百屋」には「八百長」の関連語があるから忌避されるのか。でもそれなら「八百万(やおよろず)の神」はどうなるんだ? それに小型辞書の二冊には「八百屋=深くはないが、何でも知っている人(趣味・専門の広い人を指す)」もある。俗語だろうが、俗語であると言うのはよく知られている事でもある。決して悪い意味にはならない。
 
 こうした呼称に共通しているのは、すべて字音語である事だ。その話を進める前に、これらの漢語の「鮮魚・青果・精肉」などをよく見ると、余計な形容詞が加わっている事が分かる。それぞれ「新鮮な・青々とした・清い」である。つまり、言うならば「ずるい」。「魚屋」と言わずに「新鮮な魚屋」と言い、「八百屋」と言わずに「青々とした野菜の八百屋」だと言い、「肉屋」と言わずに「清い、つまりは新鮮な肉の肉屋」だと言外に言っている。
 床屋の「理容店」は「理髪店」もあり、こちらの方が本家だろう。「理容」は「美容」から生まれたのではないか、と私は考えている。その「理容」にしても「理髪」にしても「理=ととのえる」だから、別に何も付け足してはいない。そのものずばりの素直な名称である。
 これらはすべて漢語だ。それに対して「禁止」となっている方はすべて純粋の日本語である。つまり、漢語なら、意味がぼかされるのだ。そうだろう。我々はいちいち文字を見て判断しているのではない。すべて発音を聞いて判断している。だから「やおや」ではっきりと分かる。だが「せいかてん」なら「生花店」だってある。こちらも当然「はなや」ですぐに分かる。

 政治家などに特に多いと思うが、何事も分かり易い易しい日本語では言わずに、漢語にする。あるいはカタカナ語にする。その方がずっともっともらしく聞こえるからだ。なぜなら、我々がそう思っているからだ。
 ドイツ語のように何でも自分達の本来の言葉で言い表す言語とまるで正反対なのが日本語だ。それはまだ言葉が発達の初期段階で優れた言語であり文化である中国語と出会ってしまったのが原因だ。すっかり完成した文明が手を伸ばせば届く所にある。だから日本語を練り上げる事を怠った。そこから借り物の日本文化が始まった。
 漢語重視の風潮はそのままずっと続いている。明治になって西洋文明に洗われるようになると、それを漢語で表す。英語のテレフォンは「テレ=遠い」「フォン=音」だ。テレとフォンがたとえラテン語などに語源があるとしても、「テレ」も「フォン」もそれだけですっきりとよく分かる言葉になっている。それを使って幾つもの言葉が生まれている。
 それを日本人は「電話」とした。「電」も「話」も文字を見れば意味が分かるが、「でん」「わ」ではそれぞれ、何の事かさっぱり分からない。現在「でんわ」は「電話」くらいしかすぐには思い当たらないからそれで通じている。だから文字なら「伝話」だって良い訳だ。発音と意味が密着していないから「でんわ急げ」(善は急げ)と駄洒落を言っても簡単に通じる。相手がすぐに出なければ「出んわ」となる。
 今更漢語が駄目だなどと言う事は出来ないから仕方が無いが、身近な八百屋を青果店などと呼ぶ事はやめたらいい。でも業種名で困ると言うのかも知れない。「青果業」ならいいが「八百屋業」では困ると。今、「せいかぎょう」と打ったら、「製菓業」が出て来た。そう、「せいか」は同音異義語があり過ぎる。「やおや」ならほかに何があるか。

 コラムの締め括りは、同紙の社説では見出しにも本文にも「魚屋」の文字があり、本文には「お肉屋さん」「八百屋さん」の表記があり、他律的な規制をこうして実践で打ち砕けばよい、と書いている。正論だが、「お肉屋さん」「八百屋さん」の言い方に、私は差別語になるのでは、との同紙の杞憂を感じてしまう。特に「お肉屋さん」にそれが顕著だ。この社説がいつの社説か分からないので(探したが見付からない)何とも言えないのだが、普通はこうした言い方はしない。特に新聞の記事ではしない。私のブログごときでも「八百屋さん」などとは書かない。
 八百屋はしっかりと信念を持ってその商売に励んでいる。「八百屋」の名前に誇りを持っているはずだ。「青果店」でなければ誇りの持てない八百屋なら、私は買わない。余計な斟酌は無用である。
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