中国のチベット自治区で暴動が起きている。
中国は旧ソ連と同じく多民族国家である。同じ多民族国家のユーゴスラビアは幾つもの独立国家に分裂した。そして現在、コソボの独立が問題になっている。コソボはまた別の問題があるが、チベットには複雑な問題は無いだろう。単に中国がチベットを支配下に置いているだけの話なのではないか。
ほぼ同じ言語と言えるイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはそれぞれ独立国である。やはり同じ言語とも言えるデンマーク、ノルウエー、スウェーデンもそれぞれ独立国家である。
異なる言語の国家なら、独立していて当然だと考えて少しもおかしくはない。そうした動きがベルギーがオランダ語圏とフランス語圏に分かれる動きにもなっている。
一つの国家の事だから安易な物言いは避けたいが、中国のチベット支配はどうにも合点が行かない。
中国その物がそもそもは国盗り合戦をして来た国である。「中国」がそもそもは国名ではない。単に世界の中央の国との尊大な名称に過ぎない。中国大陸には様々な国が興っては滅びた。それらの国々を総称して、「シナ」と呼ぶ。
「中国」は現在の国名である。だから、「漢」や「隋」などを同じ「中国」と呼ぶ事は出来ない。それでは歴史は正確な事を伝えられなくなる。
日本の奈良時代、と言うのと、中国の隋時代と言うのは天地雲泥の差がある。日本の場合は、単に時代に過ぎないが、中国の場合は、国なのである。しかし、「中国の」と言う以上はこれが混同してしまう。それでは正確な理解は望めない。
我々が古い時代の事でも「中国」と呼ぶのは、それがいちいちどの国の時の事かと認識せずに済むからに過ぎない。「古代中国では」などと言うのは、「古代の周では」とか「古代の蓁では」などをひっくるめて言っているに過ぎない。本当は「古代シナでは」と言うのが正しいのだが、今では「シナ=中国」と思い込んでしまっているから、簡単には改められない。
中国政府は日本が「シナ」と呼ぶのを嫌悪しているが、とんでもない間違いである。ある説には「シナ」は始皇帝の「蓁」を起源とするとあるが、一説には仏典で「シナ」と呼んだとある。欧米でのチャイナ、シーヌ、ヒナなどの語源が何にあるのかが明白になれば、上のどちらが起源かは分かる。
それに中国政府は欧米諸国が「チャイナ・シーヌ・ヒナ」などと呼ぶ事に何の苦情も呈してはいない。他のどの諸国に対しても「シナ」と関わりのある呼び方に文句を付けてはいない。ひとり日本にだけ、文句を付けるのである。
国の呼び方はそれぞれの国によって違う。だからオリンピックでは入場の順序が開催国によって違うのである。同じなのは発祥の国ギリシアが先頭になるのと、開催国が最後になる事だけである。
どの国も、その呼ばれ方に文句など付けない。そんな事をすれば世界中の物笑いになるだけである。その国の文化を尊重すれば、その呼び方に文句を言う筋合いは無い。なのに、中国政府は日本の「シナ」の呼び方に平気で文句を付けるのである。日中戦争の時の名称だ、などと言うのは通らない。「シナ」はずっと古い時代からの呼び名なのである。
何とも思い上がった国である。それがチベット自治区の存在にも繋がっている。
ロシアにしても同じである。中央アジアには「○○スタン」と称する国が多い。パキスタン、アフガニスタンなどと同じ名称である。従って、○○スタンが独立国であって何の不思議も無い。それが今まではソ連邦だった。それがそもそもは不思議なのである。
我々はそうした地域の事には疎い。だから不思議にも思わなかっただけの事である。気が付けば、おかしいと思って当然である。
私は天気予報の地図を見るたびに、あの知床半島と根室半島の間に割って入っている国後島がロシア領だと言う事に全く納得出来ないでいる。アメリカがメキシコ湾に入り込んでいるキューバを許し難いと考えているのとは訳が違う。
日本は何でこんなにも腰が引けているのか。何も戦争を仕掛けよ、と言うのではない。だが卑屈になるから、弱い態度を見せるから相手がつけあがるのだ。日本はアメリカにさんざんにもてあそばれている。何しろ、アメリカのポチなのだから仕方が無い。我が家の犬はたった2歳だが、嫌な事は断じて譲らない。あくまでも我を通す。他人に言わせれば、しつけが悪い。となると、日本はしつけが大変によろしいようで。しつけたのは、もちろん、アメリカだ。
そして、あろう事か、ロシアにさえしつけられている。かつては日露戦争で勝ったではないか。別に軍国主義を唱えるつもりは無い。単に、正論を通せ、と言っているに過ぎない。
結局は、大抵の物を外国に頼っているから弱腰にならざるを得ないのだろう。食糧などはその最たる物だ。中国に多くの食品を頼っているから、へいへいと、言う事を聞いてしまう。今度のギョーザ問題はいまだにどこに原因があるかは明確になっていないが、この事件をきっかけに食糧の自給政策に本腰を入れれば良いのである。
国は八郎潟の干拓で農地を増やした。しかしそこで米を作ってはならない事になっている。では何のために莫大な費用を投下して干拓をしたのか。
米が余って、農家を窮地に陥れるのを防ぐためとも考えられているが、外国からの食糧輸入の妨げになる事も恐れたのではないのか。外国の圧力に負けて。何しろ、平気で東京の地下鉄にフランス語の名前を付ける国柄である。都営の地下鉄の倍ほどの路線網を持つ東京地下鉄株式会社の路線名を「東京メトロ」と呼んで恥じる所が無い。マスコミ先導で喜んで、そう呼んでいるのである。
私は道を聞かれても、「東京メトロ○○線で」などとは口が裂けても言いたくない。「東京地下鉄」と言っても、通じないだろうから、単に○○線で、と言う。理屈ではなく、「東京メトロ」と言うのが恥ずかしいのである。私の第二外国語はフランス語である。高校の時からのフランス語である。英語よりも好きな言語である。でも「東京メトロ」は恥ずかしくて口に出来ない。東京メトロの事は前にも言っているが、何度でも言いたい。
「国家の品格」と言う本がベストセラーになったが、いまだに日本は品格を持てないでいる。第一に、政治家に品格が無い。品格って何だと思いますか?
私は他人に対する思いやりだと思っている。みんな、自分勝手で、自分だけが大切なのである。
中国は旧ソ連と同じく多民族国家である。同じ多民族国家のユーゴスラビアは幾つもの独立国家に分裂した。そして現在、コソボの独立が問題になっている。コソボはまた別の問題があるが、チベットには複雑な問題は無いだろう。単に中国がチベットを支配下に置いているだけの話なのではないか。
ほぼ同じ言語と言えるイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはそれぞれ独立国である。やはり同じ言語とも言えるデンマーク、ノルウエー、スウェーデンもそれぞれ独立国家である。
異なる言語の国家なら、独立していて当然だと考えて少しもおかしくはない。そうした動きがベルギーがオランダ語圏とフランス語圏に分かれる動きにもなっている。
一つの国家の事だから安易な物言いは避けたいが、中国のチベット支配はどうにも合点が行かない。
中国その物がそもそもは国盗り合戦をして来た国である。「中国」がそもそもは国名ではない。単に世界の中央の国との尊大な名称に過ぎない。中国大陸には様々な国が興っては滅びた。それらの国々を総称して、「シナ」と呼ぶ。
「中国」は現在の国名である。だから、「漢」や「隋」などを同じ「中国」と呼ぶ事は出来ない。それでは歴史は正確な事を伝えられなくなる。
日本の奈良時代、と言うのと、中国の隋時代と言うのは天地雲泥の差がある。日本の場合は、単に時代に過ぎないが、中国の場合は、国なのである。しかし、「中国の」と言う以上はこれが混同してしまう。それでは正確な理解は望めない。
我々が古い時代の事でも「中国」と呼ぶのは、それがいちいちどの国の時の事かと認識せずに済むからに過ぎない。「古代中国では」などと言うのは、「古代の周では」とか「古代の蓁では」などをひっくるめて言っているに過ぎない。本当は「古代シナでは」と言うのが正しいのだが、今では「シナ=中国」と思い込んでしまっているから、簡単には改められない。
中国政府は日本が「シナ」と呼ぶのを嫌悪しているが、とんでもない間違いである。ある説には「シナ」は始皇帝の「蓁」を起源とするとあるが、一説には仏典で「シナ」と呼んだとある。欧米でのチャイナ、シーヌ、ヒナなどの語源が何にあるのかが明白になれば、上のどちらが起源かは分かる。
それに中国政府は欧米諸国が「チャイナ・シーヌ・ヒナ」などと呼ぶ事に何の苦情も呈してはいない。他のどの諸国に対しても「シナ」と関わりのある呼び方に文句を付けてはいない。ひとり日本にだけ、文句を付けるのである。
国の呼び方はそれぞれの国によって違う。だからオリンピックでは入場の順序が開催国によって違うのである。同じなのは発祥の国ギリシアが先頭になるのと、開催国が最後になる事だけである。
どの国も、その呼ばれ方に文句など付けない。そんな事をすれば世界中の物笑いになるだけである。その国の文化を尊重すれば、その呼び方に文句を言う筋合いは無い。なのに、中国政府は日本の「シナ」の呼び方に平気で文句を付けるのである。日中戦争の時の名称だ、などと言うのは通らない。「シナ」はずっと古い時代からの呼び名なのである。
何とも思い上がった国である。それがチベット自治区の存在にも繋がっている。
ロシアにしても同じである。中央アジアには「○○スタン」と称する国が多い。パキスタン、アフガニスタンなどと同じ名称である。従って、○○スタンが独立国であって何の不思議も無い。それが今まではソ連邦だった。それがそもそもは不思議なのである。
我々はそうした地域の事には疎い。だから不思議にも思わなかっただけの事である。気が付けば、おかしいと思って当然である。
私は天気予報の地図を見るたびに、あの知床半島と根室半島の間に割って入っている国後島がロシア領だと言う事に全く納得出来ないでいる。アメリカがメキシコ湾に入り込んでいるキューバを許し難いと考えているのとは訳が違う。
日本は何でこんなにも腰が引けているのか。何も戦争を仕掛けよ、と言うのではない。だが卑屈になるから、弱い態度を見せるから相手がつけあがるのだ。日本はアメリカにさんざんにもてあそばれている。何しろ、アメリカのポチなのだから仕方が無い。我が家の犬はたった2歳だが、嫌な事は断じて譲らない。あくまでも我を通す。他人に言わせれば、しつけが悪い。となると、日本はしつけが大変によろしいようで。しつけたのは、もちろん、アメリカだ。
そして、あろう事か、ロシアにさえしつけられている。かつては日露戦争で勝ったではないか。別に軍国主義を唱えるつもりは無い。単に、正論を通せ、と言っているに過ぎない。
結局は、大抵の物を外国に頼っているから弱腰にならざるを得ないのだろう。食糧などはその最たる物だ。中国に多くの食品を頼っているから、へいへいと、言う事を聞いてしまう。今度のギョーザ問題はいまだにどこに原因があるかは明確になっていないが、この事件をきっかけに食糧の自給政策に本腰を入れれば良いのである。
国は八郎潟の干拓で農地を増やした。しかしそこで米を作ってはならない事になっている。では何のために莫大な費用を投下して干拓をしたのか。
米が余って、農家を窮地に陥れるのを防ぐためとも考えられているが、外国からの食糧輸入の妨げになる事も恐れたのではないのか。外国の圧力に負けて。何しろ、平気で東京の地下鉄にフランス語の名前を付ける国柄である。都営の地下鉄の倍ほどの路線網を持つ東京地下鉄株式会社の路線名を「東京メトロ」と呼んで恥じる所が無い。マスコミ先導で喜んで、そう呼んでいるのである。
私は道を聞かれても、「東京メトロ○○線で」などとは口が裂けても言いたくない。「東京地下鉄」と言っても、通じないだろうから、単に○○線で、と言う。理屈ではなく、「東京メトロ」と言うのが恥ずかしいのである。私の第二外国語はフランス語である。高校の時からのフランス語である。英語よりも好きな言語である。でも「東京メトロ」は恥ずかしくて口に出来ない。東京メトロの事は前にも言っているが、何度でも言いたい。
「国家の品格」と言う本がベストセラーになったが、いまだに日本は品格を持てないでいる。第一に、政治家に品格が無い。品格って何だと思いますか?
私は他人に対する思いやりだと思っている。みんな、自分勝手で、自分だけが大切なのである。
中共はチベットを国内問題だとしています。なんたる横暴! 中共はチベットやウイグル、満州などを侵略し、残虐非道な支配下に置いているのです。ですから「中国のチベット」と言うと、国内問題という位置づけを承認していることになるでしょう。
どうしても「中国」の呼称を使うのであれば「中国とチベットの問題」とすべきでしょう。本来、中共とチベットは別の国家です。
「中国のチベット」を認めると、例えば尖閣諸島は「中国の日本問題」と言う言い方を認めることになりませんか。
チベットは独立を求めています。それは正当な要求です。