夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

新聞の信頼度って意外に高いらしい

2009年03月18日 | Weblog
 「生活者一万人アンケート」を野村総研が定期的に行っていると言う。東京新聞の14日夕刊のコラム記事だ。記事の内容その物は「オフレコの真実」と題して、西松建設にまつわる漆間官房副長官と新聞記者の対立に言及している。まさに「オフレコ」なので証拠は無いが、十数人のプロの記者達が「言った」と報じているのだから間違いないだろう、とあるが、多くの人が同感だろう。
 オフレコとは文字通り「記録にとどめない」であり、それは漏れてはならない事項だからであり、従って真実に近いはずである。その約束を守るのは取材者としては当然の義務である。それを破った。その事自体は問題がある。ただし、真実を国民には明かさず、取材者にだけ暗黙の了解で話す事もまた問題である。
 私も漆間氏を信じていないが、この記事で面白かったのは、そのアンケートによる「職業別に見た国民の信頼度」だ。
 最も低いグループに属するのは国会議員の10・9%と官僚の19・4%。
 信頼度の高いのは医師の80・6%と新聞の78・4%。
 国会議員に対する信頼度がたったの11%とは驚きだが、さもありなん、と納得してしまう。そこが悲しい。それに対して官僚が19%もあるのもまた驚きである。口先だけではなく、実行しているからか。それにしても国民年金を使い込む、無駄な物を造って浪費する、国民を犠牲にして大企業の肩を持つ、まあまあ、挙げたら切りが無い悪者どもばかりなのに、日本人は本当にお人好しである。
 医師の信頼度が高いのは頷ける。
 
 さて、新聞が78%。ほとんど医師に近い。この数字を見て、私はへーえ、と感心してしまった。記事の書き方は微妙である。信頼度に関して「反対に信頼度の高いのは医師(80・6%)、新聞(78・4%)とある」と続き、直後に「国民の勘は鋭いから、発言論争の真実も見抜いているだろう」とある。
 つまり、国民は鋭い勘で新聞に78%もの信頼度を持っている、と言う展開にならないだろうか。意地悪な見方だろうか。
 で、私はついでにテレビに対する信頼度も知りたかった。インターネットで検索するが、記事で取り上げている野村総研のアンケートがいつのどのようなアンケートなのか分からない。色々と見て、中に一つ、メディアの信頼度に言及している報告があった。それによると、2006年と古いのだが、テレビに対する信頼度は、「非常に信頼する、やや信頼する」で男性64・5%、女性61・0%となっている。
 「やや信頼する」まで入れてしまっているから、あまり信用ならない。「やや信頼する」は「信頼しない」よりちょっとだけ良いくらいの事である。結局、「どちらかと言うと信頼する」ぐらいの感じではないのか。それでさえ60%を少し上回る程度なのである。
 同じアンケートではなさそうだから、新聞とテレビの数字を比較しても意味が無いだろうが、テレビの信頼度が低いのはこれまた頷ける。
 
 このアンケートの答え方だが、例えば新聞に対して、10の記事に関して約8割の程度で信頼している、と言うのか、新聞その物に関して約8割の人が全面的に信頼している、と言うのか、どちらだろう。普通は後者のやり方だろう。
 私なら、10の記事に関して6割くらいの程度で信頼していると言う所である。とても全面的には信頼出来ないし、政治や経済の記事以外は信頼出来ると思っているからだ。とは言っても、政治や経済の記事が4割あると言うのではない。文化面や社会面なら、信用出来ない記事があったって構わないと思っている。見方、感じ方はそれぞれ違うのだから。
 しかし、政治や経済は我々の生活に直結している。だから信用の置ける内容でなければならないのだ。そうした意味で、はっきりとは言えないが、まあ、半信半疑と言う所なのである。
 国会議員に対する信頼度での11%だが、これも100人の国会議員の中で11人は信頼出来ると言うのか、国会議員を信頼出来るとする人が100人中11人なのか。
 これは新聞と同様、似ているようだが、大きく違う事だと思う。前者は信頼出来る議員が1割は居る、後者は議員を信頼している人が1割しかいない、と言っている事になる。
 考えてみたら、国会議員が信頼出来ますか、出来ませんか、と質問するのはとても危険である。十把一絡げになる。そして答はイエスかノーになる。だが、あなたは国会議員の中にどのくらいの割合で信頼出来る人がいますか、との質問ならかなり正確な答えが出るはずである。
 だが、たいていのアンケートが前者のイエスかノーのスタイルだったと思う。それが、「大いに・やや・普通に」イエスである、との選択肢と「やや・大いに」ノーである、との選択肢がある程度の事である。そうした曖昧な回答を小数点以下一位まで出して数字にすると、これが曖昧ではなく、明確な答に見えてくるからまか不思議である。
 だからマスコミはアンケートを頻繁に取るのである。世論調査もまた同じである。