新聞にキム・ジョンウンの登場の記事の枕として「名」の漢字の由来が書かれている(読売新聞・編集手帳・9月29日)。「手元の漢和辞典によれば」と断って、「夕方の暗い時に自分の名前を告げる」事から、と言うような事が書かれている。なるほど、分かり易い話だ。私は手元の漢和辞典を全部で7冊持っている。すべて手元にあるからすぐに引ける。そしてその5冊に同じ事が書かれている。その内の1冊には藤堂明保氏の『漢字語源辞典』も入っている。
しかし別の2冊、それは同じ著者だが、そこには全く別の事が書かれている。
「夕」は「肉」の省略形で、「口」は神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器。子供が生まれて一定期間を過ぎると、祖先を祭る廟(みたまや)に祭肉を供え、祝詞をあげて子供の成長を告げる名と言う儀礼を行う。その時に名を付けたので、「な。なづける」の意味となった、とある。
「名と言う儀礼」の説明が納得が行かない。祖先に子が生まれた事を報告し、そこで付けたから「名」であって、それを行う儀礼が後に「名」と名付けられた、と言うのが順序ではないのか。
それは別としても、私はこの由来の方が納得が行く。先の記事が引いているように、日本では夕暮れの暗い時に「誰(た)そ彼」と聞いたので「たそがれ」の言葉が生まれた、との話は分かる。そしてこれは日本語である。だが「名」の由来は、中国でのしかも漢字の話なのである。そこに神への祈りの文である「祝詞」や祖先への報告などが出て来るのは当然と言える。古代には神に祈る事や祖先を祭る事は、現代より遥かに重要な事だったはずなのだ。漢字がそうした事から生まれるの当然である。
「口」を祝詞を入れる器であると説明しているのは、私の数少ない見聞では、この著者、それは白川静氏しか居ない。そして数々の「口」を伴った漢字の由来がそれで明解になる。
「夕」は「肉」の省略形とあるから、「肉」を見ると、象形文字では「夕」の点が二つになった形が載っている。正確には二つの点を丸く包むような形なのだが、それは大きな肉片で、柔らかい肉の中に筋目がある形なのである。
こうした説明が、中高生にも分かるようにと書かれた『常用字解』にある。上に引いた説明をもっと詳しくすると、次のようになる。
子が生まれて一定の日数が過ぎ、養育の見込みが立つと廟に出生を報告する儀礼を行い、幼名を付ける。それを「小字」「字(あざな)」と言い、更に一定期間が過ぎると廟に成長を告げ、命名の儀礼を行う。また実名を呼ぶ事を避けるために、名と何らかの関係のある文字が選ばれて、字が付けられ、通名として使用した。
ただしこの説明は分かりにくい。この説明では、幼名が「字」であり、それは実名ではなく、通名であり、その後に命名する事になる。その順序がきちんと書かれていない。始めの方の説明と後の方の説明とでは矛盾とも思えてしまう。
私は白川氏の辞書を信頼しているのだが、『常用字解』にはこうしたちょっと分かりにくい、うっかりすると誤解を生んでしまうような説明が少なくない。本人は分かって書いているからそれで通じるのだろうが、初めて読む人間にはそれでは正確な事が伝わりにくい。私はこうした説明に何度もつまずかされている。惜しいと思う。編集者の力が足りないのである。いくら白川氏が優れた学者であっても、「先生、それでは分かりにくいのではありませんか?」と疑問を呈する事が出来なくて、何が編集者か。
漢和辞典だが、たいていは1冊しか持っていないだろう。たとえ2冊持っていても、説明が全く同じようなら、2冊持つ必要は無い。しかし多くの漢和辞典とは違う説明の漢和辞典を持てば、どちらが本当なのか、と迷う事はあるだろうが、より知識が広がる事は間違いない。ただ、そうした漢和辞典を見付けるのは簡単ではない。私のお勧めする『常用字解』は白川氏のほかの大辞典とは違い、2800円と、買えない値段ではない。多分「目からうろこ」の事が一杯あると思う。
しかし別の2冊、それは同じ著者だが、そこには全く別の事が書かれている。
「夕」は「肉」の省略形で、「口」は神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器。子供が生まれて一定期間を過ぎると、祖先を祭る廟(みたまや)に祭肉を供え、祝詞をあげて子供の成長を告げる名と言う儀礼を行う。その時に名を付けたので、「な。なづける」の意味となった、とある。
「名と言う儀礼」の説明が納得が行かない。祖先に子が生まれた事を報告し、そこで付けたから「名」であって、それを行う儀礼が後に「名」と名付けられた、と言うのが順序ではないのか。
それは別としても、私はこの由来の方が納得が行く。先の記事が引いているように、日本では夕暮れの暗い時に「誰(た)そ彼」と聞いたので「たそがれ」の言葉が生まれた、との話は分かる。そしてこれは日本語である。だが「名」の由来は、中国でのしかも漢字の話なのである。そこに神への祈りの文である「祝詞」や祖先への報告などが出て来るのは当然と言える。古代には神に祈る事や祖先を祭る事は、現代より遥かに重要な事だったはずなのだ。漢字がそうした事から生まれるの当然である。
「口」を祝詞を入れる器であると説明しているのは、私の数少ない見聞では、この著者、それは白川静氏しか居ない。そして数々の「口」を伴った漢字の由来がそれで明解になる。
「夕」は「肉」の省略形とあるから、「肉」を見ると、象形文字では「夕」の点が二つになった形が載っている。正確には二つの点を丸く包むような形なのだが、それは大きな肉片で、柔らかい肉の中に筋目がある形なのである。
こうした説明が、中高生にも分かるようにと書かれた『常用字解』にある。上に引いた説明をもっと詳しくすると、次のようになる。
子が生まれて一定の日数が過ぎ、養育の見込みが立つと廟に出生を報告する儀礼を行い、幼名を付ける。それを「小字」「字(あざな)」と言い、更に一定期間が過ぎると廟に成長を告げ、命名の儀礼を行う。また実名を呼ぶ事を避けるために、名と何らかの関係のある文字が選ばれて、字が付けられ、通名として使用した。
ただしこの説明は分かりにくい。この説明では、幼名が「字」であり、それは実名ではなく、通名であり、その後に命名する事になる。その順序がきちんと書かれていない。始めの方の説明と後の方の説明とでは矛盾とも思えてしまう。
私は白川氏の辞書を信頼しているのだが、『常用字解』にはこうしたちょっと分かりにくい、うっかりすると誤解を生んでしまうような説明が少なくない。本人は分かって書いているからそれで通じるのだろうが、初めて読む人間にはそれでは正確な事が伝わりにくい。私はこうした説明に何度もつまずかされている。惜しいと思う。編集者の力が足りないのである。いくら白川氏が優れた学者であっても、「先生、それでは分かりにくいのではありませんか?」と疑問を呈する事が出来なくて、何が編集者か。
漢和辞典だが、たいていは1冊しか持っていないだろう。たとえ2冊持っていても、説明が全く同じようなら、2冊持つ必要は無い。しかし多くの漢和辞典とは違う説明の漢和辞典を持てば、どちらが本当なのか、と迷う事はあるだろうが、より知識が広がる事は間違いない。ただ、そうした漢和辞典を見付けるのは簡単ではない。私のお勧めする『常用字解』は白川氏のほかの大辞典とは違い、2800円と、買えない値段ではない。多分「目からうろこ」の事が一杯あると思う。