医療用語の言い換えを国立国語研究所が提案した。医療用語に限らず、私は常々、何でこんな難しいカタカナ語を使うのかと疑問に思っている。疑問と言うよりも、怒りを覚えている。使っている本人がきちんと理解出来ているかははなはだ疑わしい。ほとんどが英語だから、母語が日本語である日本人が日本語のように理解出来ているとはとても思えない。ここで言う理解とは、単に知識としてだけの理解ではなく、語感とか言葉のすべての理解の事である。もちろん、それが人それぞれで、その理解度には大きな違いがある事は承知の上。それでも、母語と外国語との理解の差はあるはずだ。
●難解なため日常語で言い換え
「寛解」などは、使っている日本語変換ソフトでは変換不能だが、持っている小型国語辞典の中には「精神分裂症の症状が消えること」などと説明しているのがある。比較的信頼している辞書では「病気の症状が軽くなること」とある。
国語辞典でさえ間違うような言葉が大手を振って歩いている。もっとも、これは国語辞典の責任なのかも知れないが。それにしても難しい言葉である。この言葉を最初に使った人の知能を私は大いに疑う。確かに知能指数は高いのだろう。だが、それは象牙の塔でしか通用しない知能である。そして猫も杓子もと追随した人々のあほらしさ。
同研究所は「症状が落ち着いて安定した状態」を言い替えとしているが、医療で使う言葉なのだから、「症状が」などは不要だと思う。簡単に「安定状態」と言い替えたって良いではないか。
「予後=見通し、今後の病状についての医学的な見通し」と東京新聞の表にはあるが、この「、」は「。」の間違いではないのか。これは「今後の見通し」で良いではないか。
●誤解、混同がないよう明確に説明
この中に「ウイルス」があるが、その説明は「細菌よりも小さく、電子顕微鏡でないと見えない病原体」とある。えっ? と多くの人が思うのではないだろうか。大体「病原体」その物が難しい。それに「細菌よりも小さく」と言われたって、それで分かるようにはならない。「細菌」それ自体が分からないのだ。
「インスリン」は「膵臓で作られ、血糖を低下させるホルモン」とあるが、じゃあ、「ビタミンA」は分かるのか。これだって、我々は「ああ、ビタミンAね。ほうれんそうの根に多いとか、不足すると鳥目になるやつね」とぐらいにしか分からない。
「ウイルス」にしろ「インスリン」にしろ、日本語に無い概念の言葉はそのまま使うしか無いではないか。下手に言い換えると余計に分からなくなる。
「頓服」は「症状が出たときに薬を飲むこと」とあるが、「症状が出た時に飲む薬」の意味もあり、普通、我々はこちらの意味で使っている。医者だって「頓服を処方する」と言っている。そしてこれだって、「症状が出たとき」が非常に紛らわしい。何をもって、「症状が出た」と判断するのか。
先に「寛解」でおかしな意味を挙げているのは『新明解国語辞典』だが、同書はこの「頓服」では正しいと思われる説明をしている。「何回かに分けて飲むのでなく、その時一遍だけ服用すること(薬)。「頓服薬〔=多く、解熱剤〕」
説明だけでは分かりにくいが、「頓服薬(多く、解熱剤)」の用例で少し分かり易くなる。多分、鎮痛剤なども入ると思うが。
『岩波国語辞典』は「日に何回ときめず、その時一回に服用すること、また、そういう薬」。ただ、それでも、はい、分かりました、とは言いにくい。
つまり、「頓服」はどのように説明しても分かりにくいのである。それは言い換えても同じだ、と言う意味である。こうした言葉は言い換えるのではなく、医師なり薬剤師なりが薬を渡す時にきちんと説明をすればそれで済む事だと思うし、それ以外に良い方法は無い。まさか研究所は医師が患者に「症状が出たときに飲みなさい」とだけ言え、と言っているのではなかろう。痛み止めなら、「どうしても我慢できないようだったら、飲みなさい」と言うのだろうし、熱冷ましなら、「熱が○度以上になったら飲みなさい」と言うはずだ。下手な言い換えはかえって危険になる恐れは無いのか。
「熱中症」は私は前からおかしな言葉だと思っている。「熱中」には別に大変良い意味がある。それなのに「命にかかわる危険性のある症状」に使うとは、使い始めた人間は何と言葉を知らない奴なのか、と驚き呆れる。これなどは、説明を要するのではなく、完全に言い換えが必要な言葉だろう。昔は「日射病」とか「熱射病」と言ったのではなかったか。
「貧血」が誤解、混同のないよう、と言うのは分かる。血液その物が不足する事と間違うからだ。しかし、この言い換えの主旨である「病院で使う難解な言葉を分かりやすくし、患者の理解を助ける」を考えれば、「貧血」を候補に挙げるのがナンセンスである事は容易に分かる。「貧血」をきちんと正確に説明する義務は病院側にある。それが出来ていれば何も問題は無い。こうした事は「言い換え」ではなく、医療に携わる者の心得として当然に備わっているべき事なのである。何を血迷っているのか。
●新しい概念のため、一般に定着するよう工夫
ここに「インフォームドコンセント」や「プライマリーケア」が入っている。工夫が必要なのではなく、言葉その物を変える必要があるはずだ。この表の説明にもあるように「インフォームドコンセント」は「納得診療」でも良い。そして「納得診療」とは「患者自身が納得出来るような医療を自分で選ぶ事」と説明すれば良いだけの話である。何も難しくしかも長ったらしいカタカナ語を使う必要は毛頭無い。
以上、同研究所が提案している「主な言い換え例」は非常におかしい。これでも国立国語研究所か、と言いたくなるほどである。何よりも日本語に対する愛情が感じられない。そして患者の立場に立っていない。役不足の役人に日本語をいじられるのは不愉快である。
それにしても、これをそのまま報道する新聞もいかがなものだろうか。
今朝、10月27日朝のフジテレビの「めざましテレビ」ではアナウンサーが「食品添加物に消費者が敏感」の字幕に対して「消費者がナーバス」と口にしていた。結局、医療用語だけの話ではないのだ。視聴者に直接話し掛けているテレビがこのざまなのだから、医療用語が難しくたって、一向におかしな話ではないのである。立派な日本語があるにも拘わらず、こうして安易にカタカナ語を口にする人間を私は全く信用していないが、そんな事で済む問題ではない。
●難解なため日常語で言い換え
「寛解」などは、使っている日本語変換ソフトでは変換不能だが、持っている小型国語辞典の中には「精神分裂症の症状が消えること」などと説明しているのがある。比較的信頼している辞書では「病気の症状が軽くなること」とある。
国語辞典でさえ間違うような言葉が大手を振って歩いている。もっとも、これは国語辞典の責任なのかも知れないが。それにしても難しい言葉である。この言葉を最初に使った人の知能を私は大いに疑う。確かに知能指数は高いのだろう。だが、それは象牙の塔でしか通用しない知能である。そして猫も杓子もと追随した人々のあほらしさ。
同研究所は「症状が落ち着いて安定した状態」を言い替えとしているが、医療で使う言葉なのだから、「症状が」などは不要だと思う。簡単に「安定状態」と言い替えたって良いではないか。
「予後=見通し、今後の病状についての医学的な見通し」と東京新聞の表にはあるが、この「、」は「。」の間違いではないのか。これは「今後の見通し」で良いではないか。
●誤解、混同がないよう明確に説明
この中に「ウイルス」があるが、その説明は「細菌よりも小さく、電子顕微鏡でないと見えない病原体」とある。えっ? と多くの人が思うのではないだろうか。大体「病原体」その物が難しい。それに「細菌よりも小さく」と言われたって、それで分かるようにはならない。「細菌」それ自体が分からないのだ。
「インスリン」は「膵臓で作られ、血糖を低下させるホルモン」とあるが、じゃあ、「ビタミンA」は分かるのか。これだって、我々は「ああ、ビタミンAね。ほうれんそうの根に多いとか、不足すると鳥目になるやつね」とぐらいにしか分からない。
「ウイルス」にしろ「インスリン」にしろ、日本語に無い概念の言葉はそのまま使うしか無いではないか。下手に言い換えると余計に分からなくなる。
「頓服」は「症状が出たときに薬を飲むこと」とあるが、「症状が出た時に飲む薬」の意味もあり、普通、我々はこちらの意味で使っている。医者だって「頓服を処方する」と言っている。そしてこれだって、「症状が出たとき」が非常に紛らわしい。何をもって、「症状が出た」と判断するのか。
先に「寛解」でおかしな意味を挙げているのは『新明解国語辞典』だが、同書はこの「頓服」では正しいと思われる説明をしている。「何回かに分けて飲むのでなく、その時一遍だけ服用すること(薬)。「頓服薬〔=多く、解熱剤〕」
説明だけでは分かりにくいが、「頓服薬(多く、解熱剤)」の用例で少し分かり易くなる。多分、鎮痛剤なども入ると思うが。
『岩波国語辞典』は「日に何回ときめず、その時一回に服用すること、また、そういう薬」。ただ、それでも、はい、分かりました、とは言いにくい。
つまり、「頓服」はどのように説明しても分かりにくいのである。それは言い換えても同じだ、と言う意味である。こうした言葉は言い換えるのではなく、医師なり薬剤師なりが薬を渡す時にきちんと説明をすればそれで済む事だと思うし、それ以外に良い方法は無い。まさか研究所は医師が患者に「症状が出たときに飲みなさい」とだけ言え、と言っているのではなかろう。痛み止めなら、「どうしても我慢できないようだったら、飲みなさい」と言うのだろうし、熱冷ましなら、「熱が○度以上になったら飲みなさい」と言うはずだ。下手な言い換えはかえって危険になる恐れは無いのか。
「熱中症」は私は前からおかしな言葉だと思っている。「熱中」には別に大変良い意味がある。それなのに「命にかかわる危険性のある症状」に使うとは、使い始めた人間は何と言葉を知らない奴なのか、と驚き呆れる。これなどは、説明を要するのではなく、完全に言い換えが必要な言葉だろう。昔は「日射病」とか「熱射病」と言ったのではなかったか。
「貧血」が誤解、混同のないよう、と言うのは分かる。血液その物が不足する事と間違うからだ。しかし、この言い換えの主旨である「病院で使う難解な言葉を分かりやすくし、患者の理解を助ける」を考えれば、「貧血」を候補に挙げるのがナンセンスである事は容易に分かる。「貧血」をきちんと正確に説明する義務は病院側にある。それが出来ていれば何も問題は無い。こうした事は「言い換え」ではなく、医療に携わる者の心得として当然に備わっているべき事なのである。何を血迷っているのか。
●新しい概念のため、一般に定着するよう工夫
ここに「インフォームドコンセント」や「プライマリーケア」が入っている。工夫が必要なのではなく、言葉その物を変える必要があるはずだ。この表の説明にもあるように「インフォームドコンセント」は「納得診療」でも良い。そして「納得診療」とは「患者自身が納得出来るような医療を自分で選ぶ事」と説明すれば良いだけの話である。何も難しくしかも長ったらしいカタカナ語を使う必要は毛頭無い。
以上、同研究所が提案している「主な言い換え例」は非常におかしい。これでも国立国語研究所か、と言いたくなるほどである。何よりも日本語に対する愛情が感じられない。そして患者の立場に立っていない。役不足の役人に日本語をいじられるのは不愉快である。
それにしても、これをそのまま報道する新聞もいかがなものだろうか。
今朝、10月27日朝のフジテレビの「めざましテレビ」ではアナウンサーが「食品添加物に消費者が敏感」の字幕に対して「消費者がナーバス」と口にしていた。結局、医療用語だけの話ではないのだ。視聴者に直接話し掛けているテレビがこのざまなのだから、医療用語が難しくたって、一向におかしな話ではないのである。立派な日本語があるにも拘わらず、こうして安易にカタカナ語を口にする人間を私は全く信用していないが、そんな事で済む問題ではない。