今日、文化の日の東京新聞の朝刊の読者の投稿欄に、米国を「米」と書くくせに、日本人の大切な「米」を「コメ」と書く事への批判が載った。投書者はその表記に違和感を覚え、「お米はどこへ行ってしまったのか」と嘆いている。
私が「笑止な」と言うのは、それに対する「応答室だより」と題するコメントにある。しかも、この投書者の声は先週末に掲載の予定だったのだが、紙面への読者の疑問を掲載するなら、それにすぐ答える工夫をすべきではないか、との整理部からの提案を取り入れて、答も一緒に掲載した方が親切な紙面構成と判断して、急遽組み替えたのだと言う。その答とは次のような事である。
漢字同様、カタカナでも表記しています。米国と紛らわしくなるときは「コメ」を使うようにしています。決してお米とそれを生産する農家の方々をないがしろにしているわけではありません。
これが投書者の疑問に対する答だと言うのか。とんでもない。何も答えてなどいないではないか。単に自己弁護をしているに過ぎない。米国と紛らわしい場合には「米国」と書けばすれで済む。投書者の言う「アメリカ」の表示は、米雇用法案、米大統領、米議会上院、米景気、米政府、などである。
これらを、米国雇用法案、米国大統領、米国議会上院、米国景気、米国政府、とすれば済む事である。簡単で、しかも明確になり、「米」を「コメ」などと表記する必要も無くなる。何でこんな簡単な事が出来ないのか、そしてそれに気付かないのか。なるほど、米を大切に考えず、米国にべったりの気風がこうした表記になるのか。まあ、これは嫌みに過ぎないが。
同紙は次のようにも言う。
読者の声にできるだけ向き合った紙面にしようと、各部とも、部の役割を超えて積極的に気付いた点を言い合っています。投稿した読者の気持ちにどこまで寄り添えたかは分かりませんが、日々のそんな工夫のひとつでした。
投稿した読者の気持にどこまで寄り添えたかは分からない、などと言っている。もちろん、上記の答では読者の気持に寄り添える事など出来る訳が無い。何を馬鹿な事を言っているのか。これが、積極的に気付いた点を言い合った結果だと言う事に、私は呆れると同時にがっかりしてしまう。何だ、そんな程度なのか、と。「笑止な東京新聞」と言っている意味がお分かり頂けると思う。
私はここ数年、東京新聞の定期読者になっている。好きだから読んでいる。広告のページが少ないので、購読料が易い事もあるが、三大新聞のような傲慢な記事が少ないから好きなのである。それに以前、東京新聞のある出版部の雑誌の校正を外部スタッフとしてしていた事もあって、東京新聞には親近感がある。だから、批判もしている。
言うまでも無いが、食べる米を「米」と書くのが、日本語の真っ当な表記である。アメリカを中国語では「亜美利加」と書き、美国と表記している。私はその方がずっとアメリカに対しても心ある表記だと思っているが、今更日本でそれは出来ない。「亜米利加」で「米国」と書くしか無い。だから、明確に「米国」とすれば良いだけの話である。日本人の最も大事にしている米を「コメ」に貶めてまで、アメリカを「米」とする事は絶対に許されない事である。
漢字で書ける言葉をカタカナで表記するのは日本語を貶めている事である。カタカナは現在では外来語の表記が主で、そのほかには、漢字を制限したせいで、仮名表記になってしまい、平仮名では紛らわしいのでカタカナ表記にしているだけの事である。漢字が日本語の正統な文字であるのは、日本語が漢字を完全に日本語の文字として使いこなす事が出来ている事、そして漢字抜きでは日本語は成り立たないからである。10月31日のブログに書いた、朝鮮で漢字を全廃した事とは完全に対極的な立場に日本語はある。
簡単に結論を言えば、東京新聞には漢字に対する正しい認識が無い。それに尽きる。それは上記のブログで私が書いた「東京新聞の、漢字を忘れた韓国人、の記事に反論する」とも共通している。
私が「笑止な」と言うのは、それに対する「応答室だより」と題するコメントにある。しかも、この投書者の声は先週末に掲載の予定だったのだが、紙面への読者の疑問を掲載するなら、それにすぐ答える工夫をすべきではないか、との整理部からの提案を取り入れて、答も一緒に掲載した方が親切な紙面構成と判断して、急遽組み替えたのだと言う。その答とは次のような事である。
漢字同様、カタカナでも表記しています。米国と紛らわしくなるときは「コメ」を使うようにしています。決してお米とそれを生産する農家の方々をないがしろにしているわけではありません。
これが投書者の疑問に対する答だと言うのか。とんでもない。何も答えてなどいないではないか。単に自己弁護をしているに過ぎない。米国と紛らわしい場合には「米国」と書けばすれで済む。投書者の言う「アメリカ」の表示は、米雇用法案、米大統領、米議会上院、米景気、米政府、などである。
これらを、米国雇用法案、米国大統領、米国議会上院、米国景気、米国政府、とすれば済む事である。簡単で、しかも明確になり、「米」を「コメ」などと表記する必要も無くなる。何でこんな簡単な事が出来ないのか、そしてそれに気付かないのか。なるほど、米を大切に考えず、米国にべったりの気風がこうした表記になるのか。まあ、これは嫌みに過ぎないが。
同紙は次のようにも言う。
読者の声にできるだけ向き合った紙面にしようと、各部とも、部の役割を超えて積極的に気付いた点を言い合っています。投稿した読者の気持ちにどこまで寄り添えたかは分かりませんが、日々のそんな工夫のひとつでした。
投稿した読者の気持にどこまで寄り添えたかは分からない、などと言っている。もちろん、上記の答では読者の気持に寄り添える事など出来る訳が無い。何を馬鹿な事を言っているのか。これが、積極的に気付いた点を言い合った結果だと言う事に、私は呆れると同時にがっかりしてしまう。何だ、そんな程度なのか、と。「笑止な東京新聞」と言っている意味がお分かり頂けると思う。
私はここ数年、東京新聞の定期読者になっている。好きだから読んでいる。広告のページが少ないので、購読料が易い事もあるが、三大新聞のような傲慢な記事が少ないから好きなのである。それに以前、東京新聞のある出版部の雑誌の校正を外部スタッフとしてしていた事もあって、東京新聞には親近感がある。だから、批判もしている。
言うまでも無いが、食べる米を「米」と書くのが、日本語の真っ当な表記である。アメリカを中国語では「亜美利加」と書き、美国と表記している。私はその方がずっとアメリカに対しても心ある表記だと思っているが、今更日本でそれは出来ない。「亜米利加」で「米国」と書くしか無い。だから、明確に「米国」とすれば良いだけの話である。日本人の最も大事にしている米を「コメ」に貶めてまで、アメリカを「米」とする事は絶対に許されない事である。
漢字で書ける言葉をカタカナで表記するのは日本語を貶めている事である。カタカナは現在では外来語の表記が主で、そのほかには、漢字を制限したせいで、仮名表記になってしまい、平仮名では紛らわしいのでカタカナ表記にしているだけの事である。漢字が日本語の正統な文字であるのは、日本語が漢字を完全に日本語の文字として使いこなす事が出来ている事、そして漢字抜きでは日本語は成り立たないからである。10月31日のブログに書いた、朝鮮で漢字を全廃した事とは完全に対極的な立場に日本語はある。
簡単に結論を言えば、東京新聞には漢字に対する正しい認識が無い。それに尽きる。それは上記のブログで私が書いた「東京新聞の、漢字を忘れた韓国人、の記事に反論する」とも共通している。