夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

駅のホームの拡声器は誰のためにあるのか

2010年08月27日 | 社会問題
 一昨日の仕事の帰り、またも電車がベタ遅れになっていた。けれどもそのようなアナウンスは何も無い。私がホームに到着してからも10分以上は居たと言うのに、まるで無言なのである。しかし駅員同士の連絡は頻繁にあり、それがホームにある拡声器を通して行われている。もっとも、内容は分からない。専門用語もあるし、第一明確な発音がされていない。それはいつだって同じである。乗客のための大切なお知らせであるはずなのに、言葉は極めて不明瞭なのである。多分、話す事の訓練が出来ていないのだろう。まあ、声には個性があるから仕方が無いが、聞きにくい声でがなり立てられたって分かりゃしない。
 そうしたホームでのアナウンスにそもそもは大きな欠陥があるのだが、今回はもっと重大な問題があると私は思う。ホームの拡声器は本来は乗客のためにある。駅員の仲間同士の連絡手段ではないだろう。駅員同士の連絡なら、例えば携帯電話だって良い。病院では医者や看護士、あるいは事務の人も、医療機器に影響を及ぼさないからと、一昔前のPHSを使っていると聞いている。
 当日のホームで聞こえて来たのは後続がどこどこの駅、と言う言葉である。それこそ乗客が一番知りたい事ではないか。それを乗客にはまるで知らせず、自分達の内輪だけの会話にして連絡をし合っている。根本が間違っている。

 よほど、駅長室にまで行って、何で説明してくれないのか、と聞こうと思ったのだが、そんな事をしていては家に帰るのが遅くなる。一刻も早く家に帰りたい。
 翌日に聞こうかな、とは思ったが、やはり時間の無駄だからとやめた。聞いてどうにかなる事ではない。済んだ事だからではない。改善される見込みなど無いからである。
 駅員としては列車の安全運行が一番の仕事だろう。しかしそれだって、乗客が居るからこその話である。その一番大切な乗客の事をすっかり忘れている。多分、普段からそうなので、いつもの習慣が出ただけの事に過ぎないのだろう。
 私もそうだが、自分の仕事に夢中になると、その仕事にばかり気を取られてしまう事が少なくない。何のためにその仕事をしているのか、その仕事の向こうにはどんな顔がその仕事を待っているのか、をすっかり忘れてしまう。
 だからこそ、どの職場にも責任者が居て、そうした情況にきちんと対処出来るような指示をするはずである。それが出来ていない。つまり、職場の長も単なる仕事人の一人に成り下がってしまっているのかも知れない。そうそう、ある駅では、人手が足りないもんで、と言って、駅長が車いすの世話に掛かり切りになっていた。要らない所には人手が余っていると言うのにね。