夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

値段で買った本は結局は読まない

2010年08月11日 | 暮らし
 私には安いとつい本を買ってしまう癖がある。元々の値段が安いのではなく、元は2000円以上とかの本が500円以下だと買いたくなる。特に105円とか210円などの値段が付いていると理性を失ってしまう。たいていは新聞などで一度広告や批評を読んで、面白そうだな、と思った本である。あるいは著者の名前に引かれて良さそうだ、と店頭でざっと見て買う。
 ところが、それらの本は実際に読んでみると、難しかったり、易しいのだが、内容がいかにも安直だったりする事が多い。真面目に取り組んでいるな、と思ったが、きちんと読んでみると、意外と考え方の底が浅かったりする、論理が杜撰だったりする。
 それでちょっと読んだだけで放り出してしまう。しかしだからでもあるのだが、内容に対するそうした記憶がしっかりと残らない。そこでいつまでも本棚に鎮座まします事になる。あっ、この本はまだ読んでいなかったっけ、と。

 そろそろ引っ越しを控えているので、そうした本を整理した。50冊ほどは簡単に出る。近くには区立の図書館が3館もあるから、たいていの本はそこで読める。一度に20冊まで借りられるし、2週間は借りていられる。持っているシリーズ本、例えば日本の歴史とか、日本語とかも、そこにある。だからしょっちゅう調べる巻以外は持っていなくても事足りる。なにしろ、私の著書でさえあるのだから、定評のある本が無い訳が無い。
 こうして考えると、きちんと定価で買った本でさえ処分の対象になる。そうした本を入れれば、あと30冊くらいは処分が出来る。そうそう、百科事典もCD-ROMのを持っているから、書籍になっているのは処分してもいい。まあ、簡単に調べられるのは利点だが、何しろ場所を取る。

 こうした事で何が問題かと言うと、単に物理的な場所の問題ではない。頭の中での場所が問題になる。目に付くからいつかは読まなければ、と思うくせに、一向に読もうとはしない。それが負担になっている。決断力の無さがこうした結果を招いているのだが、これは何ぶんにも持って生まれた性分だから、なかなか直らない。あるいは物の無い時代に育った環境のせいもあるかも知れない。

 そう言えば、前にも何かを大量に捨てた事があったっけ。でもいつの間にか、今度はほかの物が増えてしまっている。まあ、それだけ暮らしが複雑化しているのだろうが、流されているのもまた確かな事なのだ。