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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

朝の連続テレビ小説は面白い

2010年12月04日 | 暮らし
 連続ドラマが私は苦手だ。どうしたって、続きが見たくなる。しかし様々な事情があって続きが見られなかったりすると、大きな損をしているような気がしてしまう。たかがテレビの連続ドラマで自分の生活を縛られるのは嫌だ。それが週一のドラマならまだ救われるが、毎日のドラマだと悲惨である。だから見ていたドラマが終わると、絶対に次は見るまいと固く決意する。そして一、二週間は無事に通過する。
 ところがである。何かの折にふと見てしまう事がある。たまたまつけたチャンネルがその連続テレビ小説だったりして。固く決心したんだから見なきゃ良かろうに、と思うのだが、それがそうは行かない。と言うのは、わずかな場面を見ただけなのに、ひどく惹かれる場面だったりするのである。いつだってそうなのだ。
 何でだろう、と思う。それは脚本が良いからだろうし、画面が良いからだろうし、何よりも原作が良いからだろう。どんどん惹かれてついついその回の最後まで見てしまう。そうなったら、もう駄目なのである。本当に、ああ、明日が待ち遠しい、と言う事になってしまう。
 そしてそれこそ本当に毎回毎回、その手を食わされている。前回の「げげげの女房」もそうだったし、名前も順番もすぐには出て来ないが、「どんと晴れ」とか「ちりとてちん」とか「ちゅらさん」とか、すべて同じで、初めから見た物は一つも無い。みんな途中からである。

 今回の「てっぱん」も同じ轍を踏んでいる。だから途中で初めの頃の話が出て来ると皆目分からない。分からないけれど、何となく分かった気になってしまう。そして作中の人物の言う事がいちいち素晴らしい。含蓄のある言葉がたくさん散りばめられている。一体、この作者はどんな人なのか、と思ってしまう。それは数々の修羅場をくぐり抜けて来なければ出て来ない言葉だ、と私は感じている。実は、私の人生修行が足りないだけなのかも知れないが、多くの言葉が「そうなんだ、本当に人間ってそうなんだ」と思わされてしまう言葉なのである。
それに出演者がまた素晴らしい。特に富司純子が例えようもなく素晴らしい。
 今日は期待の手紙が開封された。誰もが遺書だと思い、何が書かれているのか、と固唾を飲んだはずだ。それが、
 あかりと、
 おかあちゃんのお好み焼きが食べたい
このたった一言だった。何と言う作者か。憎たらしい。何でこんなにも素敵で凄い場面が作り出せるのか。この一言がこのドラマの命なのだ。

 私は今、アルバイトで毎日は見られない。再放送も再々放送も再々々放送も見られない。そこで土曜日に一週間分の再放送を見る。前回の繰り返しと始まりのクレジットの出るシーンが邪魔だが、緊張感が持続出来る。録画して見れば、そうしたシーンは排除出来るが、おかしな事に、録画をすると安心して見なかったりするのである。そう、連続物は視聴者に安心をさせてはいけないのである。言うならば、明日も見なければ生きて行けないんだ、と言う不安感を持たせなければ駄目なのだ。
 そうか、私はこの不安感が嫌で、連続ドラマは見るまいと思うのかも知れない。

都営地下鉄は鉄道交通の危機管理が出来ているのか

2010年11月13日 | 暮らし
 昨日の晩,8時20分過ぎに乗り換えの駅の都営地下鉄新宿線の神保町駅ホームに行ったら、乗客であふれている。また電車が遅れているな、と分かる。しかし事態は最悪だった。6時過ぎに車両が故障して、全線で運転がストップしているのだと言う。結局、事故から2時間半以上経って運転再開となったが、その危機管理に私は問題があると思った。事故の事情は知らない。単に途中駅で車両故障があり、その車両を車庫に引き上げるまでは運行が全線で出来ないのだと言う事だけしか分からない。そんな程度の知識で何を言うか、と言われるかも知れないが、考えられる事があるから言うのである。それにこうした事は暮らしに関わる他のすべての事柄に共通する。

 この新宿線は東京の新宿と千葉県の本八幡を結ぶ全線で24駅の路線である。本八幡駅以外はすべて都内にある。ただ、私鉄の京王線と直通運行をしていて、新宿から先の笹塚までの3駅は京王線である。しかし京王線はこの直通に伴って、その間に駅の無い路線を新設した。京王本線の列車はすべてそこを通り,旧路線を通るのは都営線と直通の列車のみである。
 新宿から千葉方面に向かって3つ目の市ヶ谷で車両が故障した。その車両をその更に12駅先である大島にある車庫に引き上げるのだと言う。さて故障した列車は上り線か下り線か。そのアナウンスは無かった。しかし考えれば分かる。引き上げる列車が通る路線路上に列車があってはどうにもならない。だからそこには列車は無い。それが可能になるのは、事故車両の進行方向の線路だけである。もっとも、市ヶ谷のすぐ先に、上下の線路をつなぐ線路が作ってあれば、どちらの線路上にあっても問題は無いが。
 事故車両を車庫に引き上げる必要があるのは、それ以外に邪魔な事故車両を排除する方法が無いからのはずである。しかしながら、同線には途中に退避の線路があるのだ。故障した市ヶ谷から4つ目の岩本町には3面のホームがある。つまり、そこは3線になっている。通常はそこで各駅停車が急行の通過待ちをする。だから同線は地下鉄では例外的に急行の運行が行われているのである。そこに事故車両を入れれば良い。
 前から待っていた人に聞いたら、通常の8両編成を別の8両が引いて行くので、恐ろしく長い列車だった、と言う。でもその全16両をその退避線に入れる訳ではないから何の支障も無い。4つ先の駅だからそんなに時間は掛からない。しかし、実際には11先の駅の車庫に入れたのである。だから相当に時間が掛かったはずである。通常でも15分ほど余計に掛かるのである。私は乗り換え駅のホームに30分以上居たが、事故車両が通過したのは私がホームに着くよりずっと前だったのである。つまり、どんなに少なく見ても30分以上は掛かっている。それにその大島にも退避線路があるのだ。だから何も車庫まで運ぶ必要は無いだろう。車庫入れが完了した時点で運行が再開されたのだから、事故車両の排除までの時間が死活問題になるのである。

 以上は単なる推測に過ぎない。鉄道マニアなら別の考え方が出来るかも知れない。いらしたら、是非御意見を伺いたい。
 それともう一つ。私は乗り換える前は同じ都営地下鉄の別の路線に乗っていた。しかしその車内では事故の放送など一言も無かった。周辺は、表現はおかしいが「地下鉄の巣」とも言えるような路線の密集した地域なのである。乗り換えホームでは振替輸送の事を盛んにアナウンスしていたが、止まっている新宿線のホームに来る以前にしなければ、十分な意味を持たないのである。同じ都営路線なのに、それが全く出来ていない。
 住んでいる地域の交通事情を日頃から頭に入れておけば、とっさの時に、どのように乗り換えたら一番便利か、は分かる。私の場合で言えば、前の路線でそのアナウンスがあれば、乗り換え駅の一つ手前か一つ先で別の路線に乗り換え、最寄り駅からバスに乗る手がある。乗り換えホームで徐々に事情が分かり、さてそれから振替を、と言うのでは時間が掛かり過ぎる。それなら、そのまま待った方が結局は早かった、なんて事もあるのである。肝心の乗り換えホームでの情報提供は本当にいらいらするようなものだった。鉄道側が、どれほど時間が掛かるのかが読めないからである。だから乗客は動きが取れない。
 故障した車両を誘導する車両が到着するのに何分掛かり、それが退避するのに何分掛かるかは分かるはずである。分かる必要がある、と私は思う。鉄道はあるゆる事故に対応出来るシミュレーションを普段からやっているはずである。

 それにしても、ホームの乗客は2時間以上も待っていると言うのに、誰一人として文句を言わない。もっとも、文句を言うべき相手が姿を見せないから、言おうにも言えないとの事情はある。それに文句を言っても始まらない。中には私はこの路線でしか帰れないんだよ、と言う人も少なくないからだろう。それでも、そうした乗客のためにも、鉄道側は単に申し訳ありませんを繰り返すだけではなく、刻々と情況を説明する義務がある。しかしそれはしない。出来ないのか、故意にしないのか。それは両方あると思う。出来ないのは、先が読めないからであり、しないのは、それが恥だと分かっているからである。

 言うまでも無いが、鉄道はダイヤ通りに運行して安全に客を運ぶために存在する。それだけ出来れば良いのである。何も社内にテレビを付けたりする必要は無いし、うるさく中途半端な乗り換え案内などする必要も無い。その代わりに車両の点検は念には念を入れてしなければいけないのである。たとえ考えられないような故障だったとしても、鉄道の命をないがしろにした事には違いは無い。
 この新宿線のサービスに関して、私は急行の運行に疑問を持っている。全線たかが40分の路線で、果たして急行の運行の必要があるのか。全線乗車する客はほんの一握りのはずである。私はいつもその路線の半分ほどの都心寄りの距離しか乗っていないが、見ている限り、急行の乗客のほとんどが途中駅で下車してしまう。そしてその間に急行が各駅停車を追い抜く事が出来るのはわずかに一駅に過ぎない。通過した駅の数、一駅について1分ほどが短縮されるに過ぎない。
 15分の所が10分なら、その5分は大きいが、その5分をしっかりと享受するには、急行に乗り合わせる必要がある。そのためには時間をやりくりしたりする。それは単に馬鹿馬鹿しいだけの話である。だから多くの場合、たまたま急行に乗り合わせ、急行の停車駅で降りると言う客だけがラッキーなのである。そしてそうした人は非常に少ない。それに、急行に乗って、急行停車駅で先発の各駅停車に乗り換えるなどの芸当は、わずかに一駅でしか出来ないのである。だから節約出来る時間もまた微々たるものに過ぎない。ほとんどの場合に、急行を利用しても、通過駅に行くには、後から来る各駅停車に乗るしか方法は無いのである。そして、そのまた大部分が、それなら初めから後から来る各駅停車に乗れば済む事なのである。
 そんな急行が便利だろうか。更には、急行を通過させるために途中駅で待避させられる乗客は普段より2分か3分も余計に待たされるのである。その駅で見ていると、待っている列車には多くの人が乗っているが、通過する列車に乗っているのは本当に少ないのである。多くの乗客に不便をさせて、少ない乗客の利便を図るなど、筋の通らない事をしている。

 この路線の良い所は、都心部の距離が長く、そこでは駅間距離がとても短い事にある。一駅などは簡単に歩ける。それだけに言うならばサンダル履きのような感覚で利用出来る。階段が長い駅の問題はまた別だ。サンダル履きなのだから、肝心の足を支えるベルトなどが切れたら使い物にならない。サンダルの見て呉れなどに気を使うよりも、安心して履ける事に気を使うべきである。


東京の町名について

2010年10月25日 | 暮らし
 きのう、中学校の同期会に出た事を書いた。学校の名前は「東京都板橋区立上板橋第一中学校」。しかし現在、それは「上板橋町」には無い。学校が移転した訳ではない。町名が変わったのである。元は正真正銘、「上板橋町」にあった。それも一丁目に。私の住んでいた所も一丁目で、番地まで覚えているが、336番地だった。
 学校のぎりぎりの所を私鉄の東武東上線が通っている。そこには「板橋」の付く駅名が三つもある。都心に近い方から、「下板橋・中板橋・上板橋」で、それぞれ、間に一つずつ別の駅がある。学校はその「中板橋」に近いのだが、町名は「上板橋」なのである。「上板橋」と言う地域が非常に広かったのでそうなっていた。
 それを板橋区は町名の地域と名前を変更して各町を小さくした。学校のある地域は「弥生町」になった。友達は「東新町」や「東山町」などに分散し、恩師は「桜川」になった。そうした事をしながら、逆に「小山」「茂呂」「根ノ上」は合併して「小茂根」になった。そして「上板橋町」はずっと縮小して鉄道の「上板橋駅」周辺になった。中板橋駅の近くは「中板橋町」となった。駅名と町名は一応は合致するようになったのである。

 考えてみればこの方がずっと分かり易い。しかし別の区ではそうではない。例えば東京都港区では小さな特徴のある幾つもの町を合併して、一つの「赤坂」にしてしまった。いや、一つではない。赤坂一丁目から九丁目になった。この「赤坂一丁目」と言うのは歴とした町名である。だから「1丁目」とは書かない。いや、書けない。普通には「赤坂1の1の1」などと書くが、それは便宜的な方法なのであって、正確には「赤坂一丁目1の1」などとなる。
 わずらわしいだろうが、元の町名を挙げてみる。
赤坂伝馬町・赤坂田町・赤坂新町・赤坂丹後町・赤坂一ツ木町・赤坂表町・赤坂台町・赤坂新坂町・赤坂檜町・赤坂中ノ町・赤坂氷川町・赤坂福吉町・赤坂溜池町・赤坂榎坂町・赤坂霊南坂町、と言った所である。
 自分の目的地が赤坂表町なのか、赤坂一ツ木町なのかは重要な事である。そしてまるで違う町名なのだから間違えるはずが無い。しかしこれが「赤坂一丁目」と「赤坂二丁目」だったらどうだろうか。どちらだか分からなくなる場合が圧倒的に多いはずである。それは単なる数字の違いにしか過ぎなくなっている。

 町名とは一体何のためにあるのだろうか。庶民の暮らしの場としての便利さがまず第一ではないのか。整然とした所番地は探す人にとっては便利だろう。でも果たしてそうした「よそ者」のための便利さが優先するだろうか。もちろん、ずっと住んでいる人にとっては、一丁目と二丁目の違いは歴然としている。別に「表町」とか「一ツ木町」ではなくても迷ったりはしない。
 そうなると、どうも日常的に住んでいる人のためでは無さそうでもある。しかしである。「赤坂一丁目」と「赤坂表町」とではどちらが親しみの持てる町名だろうか。
 東京都中央区には「日本橋○○町」と言う町名がたくさん残っている。これは多分、元は「日本橋区」だった名残だろう。地元の住民にとっては「日本橋区」の名前が消える事が堪え難かったからに違いない。つまり、地名は住人の大切な財産でもあるのだ。千代田区には「神田○○町」がまだ幾つも残っている。これは元は「神田区」だった。しかし番地の整理が済み次第、「神田」の名前は取ってしまう方針だと言う。現実に隣同士で「神田神保町」「小川町」となっている。くだらない事をしているなあ、と思う。
 幸いに東京都新宿区にはまだたくさんの小さな町が残っている。私の本籍は新宿区神楽坂。元は「牛込神楽坂」だった。古くは「牛込区」だったからだ。昔は戸籍謄本を管轄の「箪笥町出張所」に取りに行った。そのたびに、ああ、箪笥町っていい名前だなあ、と思った。
 そう言えば、「神楽坂町」も一時「神楽町」になった事があった。戸籍謄本を取った母親がそう言ったのを覚えている。「神楽坂」と「神楽」ではまるで違うではないか。そうした歴史も庶民感情も何も考えない、味噌も糞も一緒にしてしまう行政官など要らない。要らないのではなく、居てはいけないのである。

同期会で楽しい思いをさせてもらった

2010年10月24日 | 暮らし
 中学校の同期会に行って来ました。5年ぶりの開催だ。ウン十年も経っているので、多分、道ですれ違っても分からないだろうけれども、会場でなら、あっ、○○くん、○○ちゃん、と当時の面影がよみがえる。当時は1クラスが50人から60人で、それが8クラスもあったから、中にはほとんど知らない友達も居るけれど、途中で3度ほどクラス替えがあったから、知っている顔は多い。何しろ共通の話題がある。
 3時間と言う時間が短いとさえ思うほど楽しい語らいがあった。今回で3度目なのだが、私は初めて出席した。やっと会えたね、と何人かから言われて、嬉しかった。何だ、こんなに楽しいのなら前も出席するんだったと今更後悔しても遅い。幹事は大変だろうが、出来る事なら毎年開いて欲しい、と勝手に思う。そうすれば、今回は都合の付かなかった友達も来られるのではないか。
 みんなそれぞれに様々な人生を生きて来たから、話し出すと切りが無いが、本当にえっ? と思う事ばかりである。自分が忘れていた事を思い出させてくれる友達も居る。今回来なかったけれども、是非とも遭いたいと思う友達がまだ何人も居る。
 ほんのひとときだが、完全に当時に帰っている。そしてトイレに立って、鏡を見て、ああ、と現実に引き戻される。まあ、当時に戻ったままではどうしようもないものね。
 会場は学校から少し離れた所だが、私の住んでいた所から近いので、早めに行って商店街を見て来た。こちらはほとんどの店が変わってしまっているから、当時を思い出させる物は何も無かった。公共的な建物も変わってしまっている。そうか、変わらないのは人間だけなのか。たとえ姿は多少は変わっても、中身は変わってはいない。そして思い出をきちんと持ち続けている。
 来月は高校の同期会がある。こちらも確か5年ぶりだ。こちらは前回も出たから、それほど変わってはいないだろうが、これまた楽しみだ。

 

値段で買った本は結局は読まない

2010年08月11日 | 暮らし
 私には安いとつい本を買ってしまう癖がある。元々の値段が安いのではなく、元は2000円以上とかの本が500円以下だと買いたくなる。特に105円とか210円などの値段が付いていると理性を失ってしまう。たいていは新聞などで一度広告や批評を読んで、面白そうだな、と思った本である。あるいは著者の名前に引かれて良さそうだ、と店頭でざっと見て買う。
 ところが、それらの本は実際に読んでみると、難しかったり、易しいのだが、内容がいかにも安直だったりする事が多い。真面目に取り組んでいるな、と思ったが、きちんと読んでみると、意外と考え方の底が浅かったりする、論理が杜撰だったりする。
 それでちょっと読んだだけで放り出してしまう。しかしだからでもあるのだが、内容に対するそうした記憶がしっかりと残らない。そこでいつまでも本棚に鎮座まします事になる。あっ、この本はまだ読んでいなかったっけ、と。

 そろそろ引っ越しを控えているので、そうした本を整理した。50冊ほどは簡単に出る。近くには区立の図書館が3館もあるから、たいていの本はそこで読める。一度に20冊まで借りられるし、2週間は借りていられる。持っているシリーズ本、例えば日本の歴史とか、日本語とかも、そこにある。だからしょっちゅう調べる巻以外は持っていなくても事足りる。なにしろ、私の著書でさえあるのだから、定評のある本が無い訳が無い。
 こうして考えると、きちんと定価で買った本でさえ処分の対象になる。そうした本を入れれば、あと30冊くらいは処分が出来る。そうそう、百科事典もCD-ROMのを持っているから、書籍になっているのは処分してもいい。まあ、簡単に調べられるのは利点だが、何しろ場所を取る。

 こうした事で何が問題かと言うと、単に物理的な場所の問題ではない。頭の中での場所が問題になる。目に付くからいつかは読まなければ、と思うくせに、一向に読もうとはしない。それが負担になっている。決断力の無さがこうした結果を招いているのだが、これは何ぶんにも持って生まれた性分だから、なかなか直らない。あるいは物の無い時代に育った環境のせいもあるかも知れない。

 そう言えば、前にも何かを大量に捨てた事があったっけ。でもいつの間にか、今度はほかの物が増えてしまっている。まあ、それだけ暮らしが複雑化しているのだろうが、流されているのもまた確かな事なのだ。


電車内の忘物には気を付けて

2010年07月11日 | 暮らし
 電車を降りて、乗り換えホームへ向かって歩き始めて、車内に忘物をした事に気付いた。慌ててホームにある事務所に駆け付けたが、なんと不在で扉も開かない。仕方なく、またまたホームを走って駅員を見付けて事情を話した。処置が早ければ、2駅か3駅行くまでに見付かると思ったからだ。
 だが、事務所とは違うから連絡先なども即座には分からないらしい。それに次の電車が入ってくるから、その対応もしなければならない。それでどんどん時間が過ぎて行く。10分ほど経った頃、やっと駅長が来てくれた。障害者の車椅子を押していたのだと言う。人員が少ないものですから、と駅長は謝るが、必要の無い所には高給取りの人員がたくさん居るのに、こうした所にしわ寄せが来ている。
 手前の駅から始めて次々に遠くの駅へと連絡を取るが、どこでも発見出来ない。私が乗っているのは都営地下鉄で、途中駅で同じ都営の別の路線に乗り換える。私の降りた駅からは普通は8つ目の駅で折り返し運行となる。そこまでが都営地下鉄の電車の運行範囲なのである。けれども運の悪い事には、私のいつも乗っている電車は相互乗り入れをしている私鉄の路線に入って10駅先まで行く。だから、見付けた人が降りるまで発見されないと言う場合もある。
 30分ほど経って、私鉄に入って4つ目の駅で発見されたと分かった。その駅まで引き取りに行かなくてはならない。もっと近くの駅までせめて私鉄の始発駅まで運んではもらえないのか、と聞くと、そうしたいのだけれど、遺失物法に規制されて厳しいのです、と言う。
 仕事の帰りに引き取りに行ったのだが、何と、私鉄路線内で人身事故があって、ダイヤが大幅に乱れていると言う。電車はなかなか来ないし、やっと来たかと思うと、途中で何度も止まってしまう。通常の倍以上も掛かってやっと目的の駅にたどり着いた。
 遺失物法に規制されていると聞いていたから、さぞかし内容の確認も厳重なのだろうと思っていた。私は中に入っている物を残らず的確に説明する自信があるから何の恐れも無いし、本人だとの証明は確実に出来る。
 ところが、何と言う事か、連絡をしてもらった都営線の駅名と私の名前を名乗っただけで、ごく簡単にあっさりと品物を引き渡してくれるのである。私は引き取り書に住所・氏名・電話番号を書くだけなのである。遺失物法に規制されて厳しく管理されている、が聞いて呆れる。まあ、忘れ物をした自分が悪いのだから文句を言っても始まらない。

 人身事故があった私鉄だが、事故は私が乗った1時間前に起きた。だから混乱しているのは分かる。でも今はコンピューター時代である。的確な運行指令が出来てもおかしくはないはずだ。例えば事故で30分、全列車が止まったとする。そうしたら、すべての列車を元のダイヤの30分遅れで運行すると言う手段は取れないのだろうか。都営路線との乗り入れもあるから複雑な事になるのだろうが、だからこそコンピューターの出番ではないのだろうか。
 私が乗ったのは快速列車で、自分の行く先に停車する事は確認してある。だが、途中駅で後から来た急行と接続して、急行が先に発車すると言う。しかし私は急行が目的駅に止まるのかどうか知らない。車内アナウンスは急行が先に、とは言うのだが、その急行がどの駅に止まるのかは教えてくれないのである。いつも乗っている客なら分かるだろうが、私のように始めての客も居るのだ。急行が到着するまで時間的に余裕があったのだから、急行はどこどこに止まる、とアナウンスが出来て当然なのに。
 それでいて、何時何分ころに○○駅で人身事故があり、そのせいでダイヤが乱れていてお客様にご迷惑をお掛けしております、と言うアナウンスをうるさいくらいに何度も何度も繰り返すのである。口先ではご迷惑をお掛けして、などと言っているが、電車がいつごろ来るのかも、途中駅で何分くらいとまるのかも何も教えてはくれないのである。それは決して「ご迷惑をお掛けしている」とは思っていない態度である。事故が起きちゃったんだから仕方ないじゃないか、と言っているように私には思えてしまった。
 だがみなさん、とても人間が出来ているらしく、誰一人として文句を言わない。ただ黙って待っているだけである。慣れっこになっているのか。そう言えば、この私鉄から都営路線に入って来る電車は、私が夕方5時過ぎに都営線のあるいつも決まった駅で乗る時、必ずと言って良いほど遅れて来る。乗り入れの無い純粋の都営路線電車であれば定時運行をしている。乗り入れをしていない列車の方が本数が多いのだから、5分間隔で運行している場合に3分も遅れれば、次は2分後に来る段取りである。だから遅れている電車はぎゅうぎゅう詰めなのに、次の電車はがら空きである。それで私はいつも遅れた電車をやり過ごして、がら空きの電車に悠々と乗っている。
 慢性的に遅れるにはそれなりの訳がある。それをなぜ解決出来ないのか。
 電車に事故は付き物である。そうしたら日頃からそうした場合の予行演習が出来ていて当然である。様々な場合を想定してそうしたシミュレーションがやられているはずである。
 私は運の悪い事に、一日の内に、それもかなりの短時間の内に二度も不運な目に遭ってしまった。実は、その不運はそれだけではないのである。あと二つ不運が重なっている。その内の一つは私の日頃の行動が悪かったからではあるのだが、一日に四つも不運に見舞われれば、ここ当分は不運な目には遭わないだろうと、思っている。

東京には面白い川がある

2010年07月05日 | 暮らし
 住んでいる近くに小名木川と言う徳川家康の開かせた運河がある。西の隅田川と東の中川を結んで、行徳(千葉県)の塩を江戸に運ぶのが主な役目だったと言う。近年まではこの沿線に木場があったから、丸太を組んだ筏が長い列を成して運ばれていた。東西の河川を結ぶのだから、小名木川は東西に流れている。東京で南に東京湾を控えた地域では、自然の河川は北から南へと流れている。
 こうした前提で、小名木川には面白い現象がある。小名木川に南から注いでいる運河の一つに仙台堀川がある。この地域としては自然の河川とは逆行になるが、それは運河だから成立している。
 それは良いのだが、この仙台堀川の水位が実は小名木川よりも高いのである。仙台堀川の水が落差を伴って小名木川に流れ込んでいるのがその証拠である。
 小名木川と隅田川は繋がっている。そしてその下流で隅田川と仙台堀川は繋がっているのである。自然の河川と下流で繋がっている運河が、どうしたら上流で繋がっている運河よりも水位が高く存在出来るのか。

 しかし多くの人はこうした疑問を持たない。私が問い掛けたとしても、別に興味を持つのでもない。そのままうやむやになって終わりである。
 この秘密は小名木川には水門があって、まるでパナマ運河のように水位の調節をしている事にある。だから本来は高くあるべき水位が低くなっているのだ。以前は周辺地域の海抜がどんどん低くなって、小名木川は護岸を高くした。そのせいで道路からは水面が見えなくなった。ずっと続く高い護岸はまるで拘置所の高い塀のようで、とても雰囲気が悪かった。
 それを改修している。積み上げた護岸を削り、道路から水面が望めるようになった。同時に護岸内に遊歩道を設けて、川が憩いの場になった。これで定時運航の水上バスでも走れば言う事はないのだが、多分、水門がネックになるのだろう。

 小名木川にはもう一つ面白い風景がある。横十間川という名の運河と十字交差をしているのである。他の都市にもあるかも知れないが。この十字路に掛かる歩行者専用橋は当然ながら四角形をしている。その横十間川は小名木川よりもっと徹底して水辺を楽しめる運河になっている。掛かっている橋の数も多い。つまり、川が通行のじゃまをしていない。それでこそ、川は生活の中に生きる事が出来る。
 住んでいる近くの小名木川は、以前は1キロ以上も橋が無かった。すぐ目の前の対岸に逝くのに歩いて20分以上も掛かった。その途中に橋が一つ出来ただけで、生活はがらっと変わった。
 東京はもっと全体的に水辺の景観を生かした都市づくりをすべきである。日本橋はもとより、日本橋川全体を屋根のように覆ってしまっている首都高速道路を移転しようとの計画があるが、果たして実現出来るのか。
 高度成長計画時代の効率だけを優先した街作りがいびつな東京を作り上げ、そしてそれは今もなお続いているのだ。やたらに超高層ビルばかりを建てているのが何よりの証拠である。

不真面目なCM

2010年06月09日 | 暮らし
 テレビ朝日で、散歩の番組からごく自然にコマーシャルに入り込んでしまう巧妙な番組がある。もうすっかり慣れ切ってしまっているから、すぐに消すが、午前中に外での仕事が無い時は、パソコンに向かいながら、私は次の時代劇の再放送を見るのでそのままにしている。その時代劇も何度も同じ番組の再放送どころか再々放送、もしかしたら再々々放送もしているかも知れないが、まあ、時代劇を見ると言う事がそもそもは言うならば馬鹿げているのだから、それは措く。
 さてそのコマーシャル番組だが、当然に主婦が対象になるから、商品も家庭向けの物が主になる。今日の商品は抗菌保存容器。日持ちもするし臭いも付かない。それをある主婦を相手にもやしといちごを一週間保存して確認させている。まずはもやしを入れた容器を出して、中身を点検する。
 私がわざわざこのような話を持ち出したのは、その時の冷蔵庫の状態が問題だからである。
 私なら、容器を取り出したらすぐに冷蔵庫の扉を閉める。ところが、このCMでは扉はずっと開けっ放しだったのである。それもすっかりと全開した状態で。更に次にいちごの容器を取り出したのだが、それもまたそのまま開けっ放しで説明が展開するのである。

 家事に関する商品を紹介しながら、その肝心の家事がいい加減にされている。これを仏作って魂入れず、と言う。このCMを作った人々の常識を私は疑ってしまう。この商品を作った人々は何よりも新鮮さをどれほど長持ちさせるか、臭いをいかに遮断するか、に創意工夫を凝らした事だろう。それなのに、一般的な常識をすっかり忘れている。そんな状況で果たして商品の開発が出来るのか。私は出来ないだろうと思う。
 冷蔵庫の扉の開けっ放しなんて、単にちょっとしたミスではないか、などとは言えない。私は少しでも扉の開閉を少なくしたいと、片開きではなく、両開きの冷蔵庫を使っている。それでもなかなか片側だけでは済まない事が多いけれども。

 CMの制作者が不真面目なのか、商品の開発者が不真面目なのか、それは分からない。けれども、どちらにしても不真面目なんだなあ、と思った事だった。

物を捨てるのは楽しい

2010年04月20日 | 暮らし
 長い間使っていないけれどもなぜか取ってある物が結構多い。改めて自分の仕事場の中を見回してみた。使う物は年中使うが、使わない物は本当に永久にと言えるくらいに使わない。それなのにそうした使わない物がごろごろしている。なぜなのか。答は分かっている。捨てられない性格だからだ。物を粗末にしてはいけない、と言う強迫観念がある。物の無い時代に育ち、加えて貧乏だった事もある。途中にはすごく金回りの良い時もあったが、それでも地道に培われて来た性格は直らない。
 使わない物はあちこちに分散しているから目立たない。だからそれらを集めてみた。と言っても動かすのが大変だったり、また置く場所も無かったりするから、そう簡単には行かないが、出来るだけ、目に見えるようにした。
 こうした物を処分して来なかった理由もまた明らかだ。決心したくないのだ。物を処分すると言うのは決断力が要る。それはエネルギーが要る。決断するまでに様々に考えなければならない。それが面倒だ。そこでついつい、一つくらいどうでもいいや、と決断を先延ばしにする事になる。しかしその「一つくらい」が幾つもある訳だ。
 捨ててしまって、もしそれが要る事になったらどうしよう。無駄な出費になるではないか。だが、考えてみれば無駄な出費など様々な所でしている。その内の大きな一つが買いだめである。これは昔「暮らしの手帖」で花花森安治編集長が書いている。「買いだめのすすめ」として。だが、それは常に一つだけ予備を持っておく、との話だったはず。それを私は安いからとか、買いに行く手間が省けるなどの理由で二つも三つも買いだめしていた。
 まだ無駄にはなっていない買いだめ品の例としては、CDのメディアがある。データをCDに焼くつもりで買ったが、MOの方がずっと簡単でしかも安全なので、使っていない。そのMOだって、50枚ほどの予備がある。保存しておくべきデータなどそんなには無い。しかもみな厚さのあるケース入りだから場所を取る。
 買いだめしていた部品や消耗品の中には、肝心の本体が壊れたりして使えなくなり、泣く泣く捨てた事が一体何度あったか。そうした無駄を考えれば、もう一度買い直さなくてはならなくなる場合の損失など、さしたる事ではない。

 そこで、使っていない物を捨てる事にした。中には思い入れの強く残っている物もある。買った時には高かった、とか、欲しくてたまらなかった、などの気持だ。でも、買った時には高かった、は有効な思い入れにはならない。なぜなら、今は様々な高機能品が安く手に入り、価格は問題にはならなくなった。だから残るのは欲しくてたまらなかった、との思いである。これはなかなか消えない。今でも欲しかった気持が続いている。だからこれは処分が出来ない。
 そして、そこまで決断する必要は無い,と私は思っている。欲しい、と言うのは自分の生きている証でもある。そこまで禁欲的になる必要は無い。その分、思い入れの無い物は、たとえ高い物であっても捨てる。
 こまごまとした物を捨てたら、45リットルのゴミ袋が一杯になった。大きな物はその比ではない。これだけの事で、何と気持がせいせいする事か、と今更ながら思った。
 よく、保存しておく場所代が高いので、無駄な物は捨てよう、と言うが、私の場合は精神的な負担が大きいから、の方がずっと強い。場所をふさいでいる、との思いだけではなく、決断出来ない自分にイライラしている。
 私の決断力は更に高まって、今までは捨てられなかった本にまで手を出している。中にはシリーズ本だから、と捨てられない本があるが、日本の歴史シリーズのように、いい加減な考えで書いている本もある。特に古代関係が駄目だ。古代が駄目なら、中世だって駄目に決まっている。何しろ監修者は同じなんだから。
 そうしたシリーズ本は捨てる事に決めた。単行本で捨てる事に決めた本は数えたら50冊以上になった。私自身、本を書いている人間だから、本を捨てる事には大きな抵抗感があるが、古本屋に、などと考え始めたら、せっかくの決心が崩れてしまう。しょせん、捨てられる運命の本はそれだけの事なのだ、と割り切る事にした。
 ついでに百科事典もCDROMになっている別の百科事典を持っているから、本の方は捨てる事にした。これだけで相当すっきりする。百科事典を処分するほどだから、つまらない小物を取っておくような本末転倒な事は絶対にしてはならない、と自分に言い聞かせた。
 考えてみれば、物を捨てるのが楽しいのは,決断が出来る楽しさだった。

床屋へ行くのが苦手

2010年04月16日 | 暮らし
 私は床屋が苦手。あの大きな鏡の前に座らされるのが何よりも嫌だ。自分の家で洗面所で鏡に向かってひげを剃ったりするのは何ともない。そこに映っている自分の顔を見ているのは自分一人しか居ない。でも床屋では違う。たとえ職人が私の鏡に写った顔など見ていなくても、他人の目があるのが違う。
 だからどうしても足が遠のく。散髪し終わった時には、気持がいいものだから、今度は一ヶ月以内に絶対に来よう、と思う。しかしその一ヶ月を目の前にすると、前の覚悟はどこへやら、まだいいか、でずるずると延ばしてしまう。挙げ句、裾の毛が伸びて来て、カールし始める。私はくせ毛なのだ。それで、その部分をはさみで切って凌いでいる。でももうそろそろ、妻から、みっともないから床屋へ行きなさいよ、の声が掛かる時分だ。
 そしてふと、床屋へ行きたくない理由がもう一つあるのに気が付いた。
 人にやってもらうのが好きになれないのらしい。これ以外ではあまり人様の厄介にはならない。歯医者とか外科手術を受けるなどは別だが、それは滅多にある事ではない。だが散髪は日常的な事柄だ。その日常的な事を人にやってもらわなければならないのが、どうにも納得出来ないらしいのだ。
 ズボンの裾上げなども、ジーンズは厚手だから無理だが、普通のウールや木綿の物なら、自分でやる。ウールは針目を出さないように手縫いで、木綿はミシンを掛けてやる。店で短い股下を計ってもらって直してもらうのはあまり嬉しくはない。そう言えば、前はワイシャツの襟も裏返して縫い直して着ていた事がある。
 家のカーテンも以前はすべて自分で布を買って来て、自分で縫っていた。直線縫いだから、基本を知っていれば簡単。きちんと窓の寸法に合ったカーテンが仕上がる。しかし妻が私がミシンを掛けているのを厭がるので、それに安くなったから、既製品を買う。しかし寸法が合わない。それで結局、裾上げしたり、幅が足りなければひだをほどいて調節したりしている。本当は、そんなのカーテンとは言いたくないのだが、長い物には巻かれろ、である。妻の言う事は「はいはい」と聞いているのに限る、とみんなが口を揃えて言っている。もちろん二度返事は駄目だが。

 ただ、先日は大失敗をしたらしい。妻が夕飯は冷やし中華がいい、と言い出した。で買いに行ったのだが、季節はずれだから、どこにも売っていない。そこで普通の中華麺を買って来て、自分で冷やしのたれを作った。妻にも味見をしてもらい、旨く出来たと思ったのだが、遅く帰って来て食べた息子から、翌朝、まずくてどうしようかと困った、と言われてしまった。多分、つけ麺のたれでも良いのだろうが、東京ではつけ麺はあまり人気が無く、私の行った店では売っていなかった。
 それでも、私の作る餃子やマーボ豆腐、カレーなどは定評があるから、別に味音痴な訳でもない。まあ、こうして何から何まで自分でやろうと思っているから、たいていの事では困らない。最近は合わせ鏡で髪の後ろの部分を切り揃えるのもかなり上手く出来るようになった。だからだろうと思うが、もう二ヶ月以上も床屋に行っていないが、妻からまだ苦情は出ていない。