しつこいだろうが、続きを。謝恩会で先生方が卒業する子供一人一人に呼び掛け、でも、来賓の誰一人として、その話の対象になっている子供の確認をする人は居なかった、と書いた。私は、そんな一方的な話があるか、と憤懣をぶちまけたが、考えてみれば、私がおかしいのかも知れない。
と言うのは、一つにはこれは謝恩会でするべき事柄ではないからだ。これは卒業式にこそふさわしい。だから、来賓達は無視した。そこで一応は先生の言葉を聞く振りをした。振りなんだから、何がどのように語られているかは関係が無い。
一つには、初めっから、形だけの事として出席した。何と言うとんでもない事を考えるのか、と怒られるかも知れないが、私にはそうとしか思えない。
私の謝恩会のイメージは先生と父兄が向かい合うような席で、それぞれに思い出を語り、父兄が先生に「恩を謝する」である。何しろ主催者はPTAなのである。しかしあの謝恩会は誰が誰に対して何をしているのかが、今一つはっきりしなかった。
ただ、進行だけは見事である。まるで学芸会のようにきちんとプログラムが組まれていて、どんどん進行して行く。だから、BGMの音量が大き過ぎて、マイクを使った母親代表の挨拶がまるで聞き取れない情況が生じた時、それが証明されてしまった。みんなそれに気が付いて、先生があわてて音量調節に飛んで行ったが、うまく行かない。やっと調節が出来た時には挨拶は終わっていた。そして会はそのまま進行したのである。
本当は、お母さん、申し訳有りませんが、手違いでお声が通りませんでした。もう一度ご挨拶をお願い出来ませんか、と言うのが筋であり、礼儀である。あるいは、挨拶を途中でとめても良い。母親は真剣にそれこそ悩みに悩んで挨拶の言葉を考えたはずである。
以前、野坂昭如氏が大島渚監督をなぐった事件があった。確か大島氏の受賞か何かの記念パーティーだった。そこで野坂氏は挨拶を頼まれていたと記憶している。ところが、それをすっぽかしたのである。怒るのは当然である。
テレビ時代を反映してか、すべてが番組のような情況で進行して行く。何か、楽しませよう面白がらせようとの思いしか伝わっては来ない。子供達の言葉もすべて学芸会スタイルになっている。決められたせりふを間違いなくしゃべる、そんなつたない演技しかそこには無い。そこには子供達の生の声など微塵も無い。そして、最後まで父兄の生の謝恩の声は聞かれなかった。唯一生っぽかったのが、先生が子供一人一人に呼び掛けたあの挨拶だったのだ。
私は一応は謝恩される立場で招待を受けたつもりだった。しかし全くの傍観者で終始した。別に謝恩されたいとは思いもしないが、看板にいつわりあり、だと思う。来年も同じような情況なら、招待されても私は出たくない。枯れ木が山の賑わいになるとはとても思えない。
と言うのは、一つにはこれは謝恩会でするべき事柄ではないからだ。これは卒業式にこそふさわしい。だから、来賓達は無視した。そこで一応は先生の言葉を聞く振りをした。振りなんだから、何がどのように語られているかは関係が無い。
一つには、初めっから、形だけの事として出席した。何と言うとんでもない事を考えるのか、と怒られるかも知れないが、私にはそうとしか思えない。
私の謝恩会のイメージは先生と父兄が向かい合うような席で、それぞれに思い出を語り、父兄が先生に「恩を謝する」である。何しろ主催者はPTAなのである。しかしあの謝恩会は誰が誰に対して何をしているのかが、今一つはっきりしなかった。
ただ、進行だけは見事である。まるで学芸会のようにきちんとプログラムが組まれていて、どんどん進行して行く。だから、BGMの音量が大き過ぎて、マイクを使った母親代表の挨拶がまるで聞き取れない情況が生じた時、それが証明されてしまった。みんなそれに気が付いて、先生があわてて音量調節に飛んで行ったが、うまく行かない。やっと調節が出来た時には挨拶は終わっていた。そして会はそのまま進行したのである。
本当は、お母さん、申し訳有りませんが、手違いでお声が通りませんでした。もう一度ご挨拶をお願い出来ませんか、と言うのが筋であり、礼儀である。あるいは、挨拶を途中でとめても良い。母親は真剣にそれこそ悩みに悩んで挨拶の言葉を考えたはずである。
以前、野坂昭如氏が大島渚監督をなぐった事件があった。確か大島氏の受賞か何かの記念パーティーだった。そこで野坂氏は挨拶を頼まれていたと記憶している。ところが、それをすっぽかしたのである。怒るのは当然である。
テレビ時代を反映してか、すべてが番組のような情況で進行して行く。何か、楽しませよう面白がらせようとの思いしか伝わっては来ない。子供達の言葉もすべて学芸会スタイルになっている。決められたせりふを間違いなくしゃべる、そんなつたない演技しかそこには無い。そこには子供達の生の声など微塵も無い。そして、最後まで父兄の生の謝恩の声は聞かれなかった。唯一生っぽかったのが、先生が子供一人一人に呼び掛けたあの挨拶だったのだ。
私は一応は謝恩される立場で招待を受けたつもりだった。しかし全くの傍観者で終始した。別に謝恩されたいとは思いもしないが、看板にいつわりあり、だと思う。来年も同じような情況なら、招待されても私は出たくない。枯れ木が山の賑わいになるとはとても思えない。