千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

(十六歳の創作) 微風

2011年08月12日 | 日記

   
 五

 ようやく三軒長屋にも陽がさしてきた。
 里子はお昼のおかずを何にしようか、店で買いながら決めようと思い家を出た。
 坂道に出る石段を登った。八百屋でもやしと玉ねぎとさつまいもと、安かったキャベツを買い、豆腐屋で油揚げを三枚買って買い物かごに入れた。夕飯は天ぷらにしようと思っていた。一緒に揚げるちくわは夕方にする
 里子の家にはまだ冷蔵庫がなかった。今時冷蔵庫がないと・・・母のフサエは懸命に内職をしている。洗濯機とテレビもほしいのだったが。
「里子さ~ん」
 級友の市川初子が自転車で声をかけた。
「買い物?」
「ええ、そうよ」
「私もお昼前のお使い。またね」
「さよなら」
 初子は行ってしまった。
 里子が買い物にでて、めったに級友に出会うことはなかった。
 級友といっても、中学からの知り合いが多い。誰とも仲良くしたが、親密な友人関係はつくらなかった。経済的に恵まれていない自分を恥じるでもなかった。
 坂を上り始めると、ぐうぜんなことに、向こうから博一が歩いてくるのが見えた。一瞬のことだが、里子はパッとほほを染めた。
 街灯の下で出会った博一と変わりはなかった。
「やあ、また会ったね」
博一は笑顔で近づいてきた。茶色のセーターがよく似合う。
「買い物?」
「そうなの。吉川さんは?」
「図書館・・・」
「だって、もうお昼よ」
「お昼どきはガラあきだろ。だから」
「ああ、そうか。M高校ってすごく競争が激しいんでしょう?」
「うん、すごいんだ。だから撲も嫌でも勉強させられちゃう」
「そんなこといって、吉川さんは何でも優秀なんだから」
「うそ、だよ!」
「じゃ、図書館に行ってらっしゃ~い」
「行ってきます」
 ぐうぜんな会話に照れて、照れたことがおかしくて二人は声をたてて笑った。
 博一と顔を合わせたのが、今日で二回目だった。
 里子は空をふりあおいだ。まっ青な空が眼にしみて痛かった。

 六

 夏がきた。
 里子も半袖のワンピースだ。母のお手製である。
 フサエはみちのやでミシンを踏むようになった。編み物の内職は夏場は少ない。仕事熱心なフサエを見込んで、店主から声がかかった。縫子が一人辞めたので、ミシンもできる器用なフサエに声がかかった。
以前より少し家計が楽になった。小さいが念願の冷蔵庫も増えて、里子の日々にも張りがでてきた。
 人間の生活というものは思わぬところで変わるものだ。みちのやが、フサエを拾ってくれなかったら大変困っていたのに。ぎりぎりの食費にしばられなくてもすむ。
父の一郎は、相変わらず不規則な生活が続いている。
コップに手づくりのえぞ菊がいけられるようになった。里子がりんごのあき箱に土を盛って、春、種をまいておいたのが花を咲かせた。白、赤、紫と、三種ある。

 フサエは、早番の日、遅番の日とある。
里子が学校から帰ると、母は遅番の日で、父は寝ていた。
眼を覚ました父とこんな話をした。
「お父さん、事故おこさないでね。会社のためがんばっているのはよくわかるけど、お父さんが万が一けがでもしたら困るもの」
「働けなくなるからかい」
「そんなんじゃないの。お父さんの命が大事なの。お父さんはあたしのマスコット。こわされたら大変。あたし、すごくお父さんが好きなんだもの。高校にだしてもらったこと感謝しているわ」
「マスコットか。わしの方がお前をマスコットといいたいよ」
「実際はそうかもしれないけど、あたしは反対にしたいの。あたしは若くてピンピンしているもの」
「なんだ、わしはこわれやすいセトモノっていうわけか」
「タクシーの運転手しているあいだはね」
「お前は親思いだな」
「どうして?誰だって、親は子を思い、子は親を思う、あたりまえでしょう」
「お前はいい娘だな~」
「また・・・」
「お前に比べてわしは親不孝だったよ。小さい時から親に反抗ばかりしてた。親の死に目にも涙一つ流さなかった。何一つ不自由しない百姓家に生まれてか甘い夢を描いて東京にでてきた。ところが理想と現実は大ちがいさ。自動車修理工場で働いて、田舎者だ、チビだって、いつもこっぴどくたたきのめされた。くやしかったさ。こんなわしにお前のような娘ができるなんて・・・」
一郎は下を向いた。
「お父さん、やめて」
 里子は涙を流していた。父を親不孝だとも思わない。時代のせいもある。家の環境もある。戦後、人間は自分を生きることでせいいっぱいだったかもしれない。
 父のざんげにも似た言葉をはかれるとつらくなる。
「お父さん、もういからもう一寝入りしたら。健康第一でしょう」
「分かった、分かった、じゃあ、また寝るよ」
「どうぞ、どうぞ」
 父を寝床に追いやると、夕食の準備をする前の勉強を始める。
 里子の成績は高校に入ってもクラスで首位にある。もっと頑張らねばと思うのだが―自分の生活を勉強としばりつけるのがいやだったから、一日にせいぜい一時間、頑張ったときで三時間がやっとである。

 博一とも顔を合わすことが少なくなった。
 みちのやの帰りに出会ってから一月半。もう七月だ。
 あれから四、五回顔を会わせたが、里子も手頃な会話も浮かばず、あいさつていどで別れてしまうことが多かった。
 博一が少し変わったことに気がついていた。
ユーモラスな表情のどこかによそよそしさがある。男の世界が分からないからかも知れない。里子と話しているときの博一は、わずか数分でしかないのに心はそこにないような気がした。はるかかなたを望むような眼をしていた。
 勇とは何度も顔を合わせた。
二回、彼の家に行った。八千代と三人でテニスを楽しんだ。里子の劣等感など消えてしまうようないい人達だった。だから木俣家からの帰りは清々しくなっていた。
 門から入ったことはない。急な斜面を登り下りした。
 八千代も好感の持てる少女だった。
 里子はずっと前、ほんの一瞬、印象に残った少女が八千代だったとは思いもしないでいた。

                       つづく。



 朝の花 盆花といわれるミソハギ(ミソハギ科)



 六万騎山 地蔵尊山門



 石段を登るとロープが張られていた。
 ここも、集中豪雨で山が削られたのだろうか。


 つたないブログをお読みいただき、ありがとうございます。
 お盆に入ると我が家もにぎやかになります。
(十六歳の創作 微風)は、静かな環境に戻るまでしばらくお休みします。
 十五から十六歳まででしたが、勉強もせず幼稚な文章を綴っていました。原稿用紙ではなくノートに書いたもので、短いからキーに打ち直してみようと始めてみました。、思いの他長くて閉口しています。つまらない創作文で大変失礼申し上げております。少女の頃書いたものは、「微風」で最後といたします。

 ありがとうございました。

(十六歳の創作) 微風

2011年08月10日 | 日記

 三

 また日曜日がやって来た。一週間は早い。
 陽がさしていない三軒長屋。六世帯一つの共同井戸で洗濯を済ませ、物干し竿にかけ終わると、すみれを摘みに丘の中腹まで登った。
この丘がなければと思う。そうすれば一日中長屋に陽がさすのに。
だが、この丘に感謝をせねばならない時もある。台風がやって来るのは決まって丘の向こう側からで、長屋を通り越して去ってしまう。
紫のすみれを摘んで、里子はそっとにおいをかぐ。かすかなにおいが何ともいえなかった。どんな高価な花よりも、野に咲く小さなすみれに愛着を感じていた。
すみれを摘みながら、花に愛の心を投げかけることを惜しまなかった。
自分のくたびれた水色のセーターに、紫の花を散らしたらどんなだろうか。いつでもすみれや野の花と共にいたい里子だった。
ふいに博一のことを思い出していた。
博一さん、どうしているかしら。
里子は博一の家を知らない。丘の上には、どっしりと広い庭を構えた屋敷が五十もあると聞いている。屋敷町に足を踏み入れたことがなかった。
街灯の下で会った博一が男らしく端正な顔立ちになっていたので驚いていた。中一のときは坊主頭でしっかりした者だが、茶目っ気とあどけなさがあった。

 と、テニスボールが里子の脇を転がり落ちてきた。落ちた場所を認めると、里子は急いで丘の中腹を駆け下りた。ボールを拾うと上を見上げた。ラケットを抱えた少年の姿があった。里子はボールを高くさしあげてみた。少年は頷き、急な斜面を下りて来た。里子も登りだした。
「どうもありがとう」
手渡したあとで、少年は里子にじっと目を注ぐ。
「君、この下の人?」
「ええ」
又もやコンプレックスが彼女を襲った。少年の顔など見てはいられなかった。彼は、乙女のはじらいと感じとったことだろう。
「撲、すぐ上の家の者だけど、この下に君のような人が住んでいるなんて知らなかったな」
どういう意味でそれを言ったのだろう。
「君、高校生?」
「ええ」
ショートカットの髪を見てそう言ったのだろうか。
「撲、高三で木俣勇っていうんだ。よろしく。君の名は?」
あまりにぶしつけすぎる。だが、少年の顔は浅黒く引き締まった眉、清潔そうな眼、Vネックの白いセーターが似合う整った顔立ちだった。とっさに里子も自分の名前を告げてしまった。
そのとき、上の方から少女の声がした。
「お兄さま~ 早く来てよ~」
お揃いのセーターにプリーツのスカートをはいた少女だった。
「妹なんです。二人でテニスやってたんだけど、里子さん、やりませんか。テニスできるでしょう?」
「ええ、少しなら。でも今は」
「そう、じゃまた」
勇は坂をかけ登って行った。
その肩はがっしりとしていて、いかにもスポーツマンらしかった。

 四

  勇は妹のもとにかけ登った。
「八千代、待たしてごめん、ごめん」
「お兄さまのばか、知らない人に話しかけるもんじゃないわ」
「だから、ごめんって言ってるじゃないか」
「ううん、知らない」
八千代はくるりと後ろを向いてしまった。長い髪をポニーテールにしている。
「でもね、お兄さま・・・」
と、今度は笑顔になって兄の方を振り返った。
「あの人、見たことあってよ。先日パパと買い物に出たでしょう。あのとき、帰り道だったけど、ヘッドライトをあびた人がいたの。今の人だったわ。すごく印象に残っているの。ただ美しい人だからじゃないと思うの。
美しい人なら、幸田さんの美子さんだって、今井さんの町子さんだっているわ。一瞬にして親近感を抱いた人よ」
「我が妹姫にしてはすごくいいことを言うね」
「ほんとなのよ。あたし、あこがれちゃったの。あの人があそこに住んでいるって分かってもよ。どんなに貧しくても、人間は心が美しくあることが大切よね。きっと、あの人すごくやさしいんだと思うわ」
「八千代は立派なことを言うんだね」
「だってママがいつもそう言っているでしょう。ママだって貧しい家の生まれじゃないの。社長の息子のパパに見そめられたんでしょう」
「そうだったな」
「だからさ、またお兄さまがパパの椅子を継ぐことになるでしょう。だから、あの人を見そめて結婚すればいいのよ。そしたらあたしのようなかわいくてやさしい女の子が生まれるわ。きっとよ」
「こいつ!僕はまだ高三だぜ」
 勇は妹をなぐるふりをする。
「ごめんなさい。だってあたし、そう思ってしまったんだもの」
「もういいよ。テニスをやろう」
「もうボール落としてもあの人は拾ってくれないわよ」
「こいつ~」
「キャ~」
 逃げる八千代を勇が追う。ただ妹をからかっているに過ぎないのだが、里子に対して初対面で自分の名を告げたのは悪かったかと思い起こす。
木俣家は、大丸製菓会社社長の木俣明を筆頭に、妻の由起子、長男勇(高三)、次女八千代(中二)、お手伝い一人(※女中を改め)、他家に嫁いでいる長女千代子(二十四歳)がいる。
 皆、友達のような、いつも笑いの絶えない一家である。
 勇と八千代はおにごっこみたいなことをしながら、ベランダにかけ戻って来た。
「あ~、暑い。お兄さまのおかげよ」
「ばか言うな」
「二人とも何を言っているの。コーヒーでもあがりなさい」
 ベランダの奥から母親の由起子が二人に声をかける。
「お兄さまったらねえ~」
ベランダの椅子にラケットを置きながら、八千代が母に話しかける。
「八千代~」
 勇が少々照れぎみに八千代をたしなめた。
 八千代は赤い舌をだした。
 由起子は、そんな二人を涼しそうな顔で見ている。
「勇が照れくさい話なら、八千代、ママは聞かないわよ。ね」
由起子は勇に眼をやりながら微笑した。
と、玄関のチャイムが鳴った。乙女の祈りのメロデーを奏でている。お手伝いが出て行った。
「勇さま、幸田さまの美子さんでいらっしゃいます」
勇は眉をしかめた。そっと母の方を振り向く。由起子も、息子が美子を好きではないことを知っていた。
美 子は幸田産業の一人娘で、わがままいっぱいに育てられている。木俣家とは遠縁なものだからしょっちゅうやって来る。
その目的は勇にあることを、由起子はずっと前から勘づいていた。時々勇を誘ってにぎわう街まで出かけていた。ここのところ、美子の誘いに応じなくなっている勇だ。
 それでも木俣家にやって来る。彼女は高一である。
 由起子の目が言った。
(ここに通したら?ママがよいようにするから)
 勇もうなずいて玄関に向かった。
 美子は、黒いコールテンのツーピースを着て、美しい顔がなおひきたって見える。冷たい美しさだった。
「八千代さん、いらっしゃる?」
「いるよ」
「ピアノの連伴やりたいわ。八千代さんと」
「・・・・・・」
 二人は居間に入った。
「おばさま、こんにちは、またおじゃまします」
「いらっしゃい」
 由起子はにっこりえしゃくする。
「八千代さん、いいものあげるわ」
「何?」
「はい、これ」
 美子は細長い包みをだした。
「まあ、なんでしょう。開けてもいい?」
「ええ、どうぞ」
 八千代は丹念に包みを開きにかかった。開けてみると、流行の船舵型のペンダントだった。
「まあ、すてきなものをありがとう」
 八千代はうれしそうだった。Vネックのセーターには合わないので、箱の中にしまった。
 由起子も、
「八千代に贈り物までいただいて、すみませんね」とほほえんでいる。
 八千代と美子、母の由起子の語らいを後にして、勇はベランダからそのまま庭に下りた。
 春ののどかな風が勇のほほをなでる。
 三軒長屋にはまだ陽はさしていない。

                      (つづく)

 朝の一品
ナスのオリーブオイル焼



 朝の月見草(アカバナ科)





 昨夜九時就寝。
熱帯夜。
寝る前にコップ一杯の水を飲む。
夜半に目が覚めたら、汗びっしょり。
ヒグラシまでも時間を間違えたのかカナカナカナと三度鳴いた。
時計零時五十分。
透き通るような悲しい音色で鳴いて、遠ざかってもかすかに聞こえた。
午前四時。
まだ暗い。
カナカナカナカナカナカナカナ。
 秋の気配を感じるような涼風が入ってきた。

(十六歳の創作)  微風

2011年08月08日 | 日記

  一

 丘の赤い屋根の上から、やっと太陽が顔をだした。
 洗いざらした洗濯物が太陽に反射してキラキラ光っている。太陽の出現にこおどりしているようだ。
 三軒長屋の一隅から、秋刀魚を焼くにおいがあたりにたちこめて―
 時計はもう十一時二十分をさしている。
 太陽を受け入れた長屋は明るく一変した。思いなしか、急に人々の心も晴れ晴れとしたようだ。
 瓦を積んだ屋根の下では、何家族かが生活を営んでいる。
 丘の上のお屋敷町と、丘下のこの三軒長屋と―
 その屋根の下で生活を営んでいる事には違いはない。たとえ一方が自家用車を乗り回していようとも。
 丘下の人々は、絶えず劣等感にさい悩まされてきている。

 野村里子とその家族も、この三軒長屋の一隅に住んでいる。
四畳半二つと、粗末な台所、及び便所、全てが黒ずんでいる。
 だが里子は一日としてコップに花をさす事を忘れない。小さなすみれやタンポポの花でしかないのだが―
 里子は高校生になったばかり。人生に希望を持って生きようとしている頃だ。彼女の周りが全て美しいものに見える。この小さな我が家だって、見方によれば美しく見えるものだ。
 里子が、あこがれの高校生活に入ったばかりだからかも知れない。
 父はタクシーの運転手だが、小さな会社で月給も少ない。母は編み物の内職で手も離せない。二人で働いても、家計は火の車だった。わんぱく盛りの弟新吾がいる。
 高校へ出してもらえるなんて思いもかけなかった。ただ、遠くからあこがれていたにすぎなかった。
 父母から高校へ出してくれると聞かされた時、どんなにうれしかったか。父母は満足な教育を受けなかったため、いくたびとなく周囲から圧迫を受けたという。子供にはそういう思いはさせまいという親心だったし、里子の成績がよかったという理由もあった。
 高校に入って一ヶ月―
 里子は父母に感謝せずにはいられない。たとえ身なりは貧しくとも、理解ある父母だった。
 父の名は野村一郎、母はフサエ。
 丘の上の人々に、劣等感を感じる時があっても、里子の生活は健全で明るい。花のような少女とは里子の事かも知れない。

 二

 夕食の献立についても里子はひとしきり頭をひねってしまう。ついつい、フサエの助言を求めてしまうのだが、この頃は忙しい母を考えさせまいと決めた。
 食費にかける負担を少なくするため、朝は納豆、漬物、味噌汁と決めている。安くなった頃合いを見て揚げ物を買ったり、大きな大根一本買うだけで、いろいろ工夫することも覚えた。
 三軒長屋の左手の石段を登って、坂道を下る。すぐ近くが商店街だ。従って坂道を上ると屋敷町である。
父は今頃、どの辺りを走っているのだろうか。父の一日はめちゃくちゃで統一していない。時には夜明けの四時に帰ってきてお昼頃まで寝ている。
 新吾は近所の子供と、家主さんの家にテレビを観に行った。家主さんは稀にみる親切者で、ここの貧乏人たちにテレビを観にくるように勧める。つまり、長屋の人達と平等でいたいのかも知れない。

 八時になって、母の用で商店街のみちのや洋品店へ出かけた。みちのやは、母の編み物を世話してくれている。  注文のカーディガンを二着届けるのだ。坂道に上がった時、下の方からの車のヘッドライトがまぶしく、あやうく包みを落とすところだった。道の脇には小川も流れていたから、川に落としたら一大事だった。
 自動車は里子の横を通りすぎた。外灯のあかりの中で、里子をみつめる少女の目とあった。その横に父親らしき 紳士が運転をしていた。美しい少女。丘の上の屋敷町に住んでいるのだろうか。包みを落としそうになったことも忘れるくらい親近感のある少女だった。
 みちのやからの帰路、誰かが後をつけているような気がして、おそるおそる後ろを振り返った。そして、あっと目を見張った。思いがけない人だった。
 吉川博一だった。二年以上も博一を見ていなかった。いつのまにか背が高くなって、髪も伸びていた。
 博一と目が合うと、あわてて里子は前を向き直った。
 博一さんだったなんて、博一さん、いつこっちに帰って来たんだろう。里子はいつのまにか足早になった。
「おい、君、野村君じゃないのか?」
 博一の声が追った。
 里子はうしろを振り向いた。街灯の影になって、博一の整った顔が美しく描かれていた。里子はにこっと笑った。
「あ、やっぱり。さっきからそうじゃないかと思ったんだ」
 博一の表情もほぐれていた。
「お久しぶりね。でも吉川さんがこんなところにいるなんて意外だわ」
「意外?」
「そうよ。だって、ちっとも知らなかったのよ。いつこっちに帰ったの?」
「一ヶ月前さ。また元の家からM高校に通っている」
「そう、二年前の吉川さんじゃないみたい。坊主頭の委員長の・・・」
 里子はしげしげと博一をながめる。
「野村君だって背が低かったのにこんなに伸びてさ」
「あら、いやだ。その事? あたし、そういえばおチビさんだったわね。今は160よ」
「へ~え、伸びたもんだね」
「自分だってすごいじゃないの。170以上はあるでしょう?」
「野村君、今は?」
「あたし?あなたと同じ高校生。名もなく貧しき高校生だけど」
「あとのほうは余計だよ」
 いつのまにか、長屋に下りる石段のあたりに来ていた。二人はつっ立ったまま話しを続けた。
「そう、またお父様がこちらの会社になったのね」
「そう、しかし野村君、伸びたな」
「あら、また?」
「だって、君と僕が委員やっていたときからかわれたじゃないか。ノッポとチビの組み合わせ抜群だよ、せいぜい仲良くやれってさ」
「いやだ、そんなこと覚えていたの」
「でもさ、この町を離れて二年以上も経っているのに全然変わっていないだろう?だからまだ中一の時みたいだ」
 博一は苦笑した。中学一年の時もしっかり者だったが、堂々として大人っぽく見えた。
「じゃ、おそくなるから。書店の帰りなんだ」
「あたしも用足しよ。さよなら」
「さよなら。また会おう」
「ええ」
 博一は丘の上に歩いて行った。

 里子はまだ夢の中にいるみたいだった。博一は工業会社の技師の父を持ち、中学一年の冬、大阪へ転任の父と一緒にこの町を離れた。
 クラスきっての秀才で、同じく成績の良い里子と委員を務めていた。
 屋敷町の息子と、丘下の三軒長屋の娘―
 男の博一はそんなことには無頓着だった。だが女の里子は少なからずコンプレックスを持っていた。二人は十ヶ月、けんかもしないで役目を務めた。二人でガリ版刷りをしたり、博一は時には冗談も飛ばした。
 里子は博一が好きだった。愛情などとは呼べない幼いものだったが、長屋の住人だという劣等感も、博一への気持ちがそうさせるのだと、自分の内面を表に出すことはなかった。
 明朗でユーモアのあるバンビのような少女里子は、いつもクラスの人気者だった。三軒長屋を馬鹿にする者はいない。

 二月になって博一は大阪へ引っ越して行った。
 博一が去って、一時はぬぐいきれないさみしさがあったが、それでも明るく過ごした。
 一年、二年と過ぎて、おチビだった里子は身長が伸びた。

 「ただいま」
「お帰りなさい」
 奥の四畳半でフサエが答える。
 編み機がギーギー音を立てている。
 棚の上の時計を見上げるともう九時を回っていた。新吾がそしらぬふりをして、寝そべってマンガを読んでいた。
 この弟ときたらテレビとマンガしかない。
 ガサゴソと音がした。
「新ちゃん、何をかくしているの?」
「へへへへへ」
 起きあがった新吾は変な笑い方をして、新聞包みを差し出した。
「それ、お隣さんからのおすそわけ」フサエの声がした。
「新ちゃん、もう食べているの」
「へへへ、お姉ちゃんの好きなさつまいも、残しておいたぜ」
「もう~っ」
 里子は新吾のおしりをピシャッとたたいた。
「なんだ、この野郎」
 新吾がむきになったふりをして、二人で取っ組み合いのまねごとをはじめた。
 いつものことだ。
 すぐ終わる。
「お母さん、さっき吉川さんに会ったわ」
「吉川って誰だい?」
「中一のとき大阪に行った子」
 フサエは手を休めて、我が子を見上げた。
 いつのまにか娘らしくなってきた里子に満足を覚えた。

                    (つづく)

 今日の一品 トマト・ジャム



 ヤマウドの花



朱色の風

2011年08月06日 | 日記

     
夕陽の沈む
その刹那が好き

心の中の
忘れかけていた思いが
ぎゅっと押しつけられて
解放されてゆく瞬間

私が私でいたことへの安堵感が
心を離れ 広がってゆく

あなたの元にも 朱色の風が届きますように

                    (azumi)


 一昨日の、フェーン現象による南風には絶えられなかった。
 ブログを書き込んでいるときは、頭のもやもやも忘れている。終えて、洗濯物を取り入れ、たたんでいる頃には抑えきれなくなった。
 文化会館趣味講座の日だ。どうしよう。よほどのことがなければ休まない私。
 痛いのではない。ふらふら感がしているだけなのだ。
 季節の変わり目に来るもやもやした脳の状態のことを、かかりつけの診療所で問いただしたことがある。
 気圧の関係ですよ。私だってありますよ。気にしないでいいでしょう。気にしている訳ではないが素っ気ない返事。K医師ならどういうか。まあいい。
 大したことではないかも知れないが、かなり若いときから南風に弱い私である。
 簡単な夕食を早めに作ったが、身体を横たえていたいほどへたばっている。
 結局、講座は欠席した。
 電話連絡は不要というのだから自由な講座である。
 毎日が早寝みたいな日常だが、ずいぶん早く就寝した。

 強い南風は一日だけで、昨日、今日、風もなく、夜明けから蝉の大合唱だ。
 暑さに夏バテぎみだが、頭のもやもやもなくなった。

 Unicorn。
 ユニコーンとは、娘たちが好きだったユニコーンというグループのことか。
 調べてみた。
 一角獣と呼ばれる額の中央に一本の角が生えた伝説の生きもの。
 非常に獰猛で、乙女の懐に抱かれて初めて大人しくなるという。

 ヒロシマの日。八時十五分。
 地球の平和、核廃絶、脱原発の祈りを込めて、私も黙祷をした。

 朝のユウガオ(ウリ科)



 朝のボタンヅル(キンポウゲ科)





邪宗門と朝会と

2011年08月04日 | 日記

黒光りした
重々しく 太い柱
やすらぎの 空間
私が
求めていたものは こんな空間

分かちあえる友と
語りあえれば
何も言うことはないだろう

太い木で
組み合わされた出窓に寄りかかって
ひとときを過ごす

出来ることなら
テーブルも椅子も
深い年輪があったらよかったのに


私は一人
ただ一人で やすらぎの空間にいる

心に支配しているものを
なだめるために ここに今    (何年か前の夏に)


 石打の邪宗門が好みの店になって、通いだしたのはいつだっただろう。
元来私には、一人になって、一人だけの空間を、一人だけで過ごしたいという癖のようなものがあった。
 東京で過ごした若い時代もそうだ。あの町に、この場所に、お気に入りの店を持った。
 人が好きで、人を求めているのに相反して、誰にも内緒の場所を持つことでホッと安らげた。
 そこで音楽に耳を傾け、熱いコーヒーを飲み、見果てぬ夢を見、雑誌をめくり、文庫本を読み、新たな夢を模索した。

 邪宗門は私好みの店だった。
 夫は、性格的に好きではなかったようだ。
もつ焼き、焼き肉、寿司屋、ラーメン屋、居酒屋好みの人間。
ならば、一人だけでと、娘たちを連れて行ったり、友人とも出かけるようになった。
その邪宗門、昨今出かけていない。
 友人が、シックでくつろげる店を開業したことにもよる。

 朝会。
 これも思い出しついでに書く。
 夏休みの何回か、朝会なるものに招かれた。娘たちは小学生。場所は高原の原っぱ。
 日曜の朝七時集合。
 主催者は、その頃独身のM君。
 私は娘たち、友人たちは一人で参加したり、子供を同伴したりだった。
 それぞれが持ち寄った物を分け合って食べて、高原のさわやかな朝を楽しんで解散というだけだったが、初秋の花が咲き始め、萩の花が風に揺れて美しかった思い出がある。
 子供たちはつまらなかっただろうし、家族たちからブーイングが出た。
 考えてみればおかしな話。
 M君らしい企画。
 私も友人たちも、彼と仲間のおつきあいをしていたのだから。
 結婚して、奥様となった友人と共に、夢街道を歩いている。

 最近母のホームで、M夫人となった友人とばったり出会った。
 私たち、今でもM君と呼んでいる。
「M君、元気?」

 今朝のムラサキツメクサ(マメ科)。




 今朝の川土手。