黒光りした
重々しく 太い柱
やすらぎの 空間
私が
求めていたものは こんな空間
分かちあえる友と
語りあえれば
何も言うことはないだろう
太い木で
組み合わされた出窓に寄りかかって
ひとときを過ごす
出来ることなら
テーブルも椅子も
深い年輪があったらよかったのに
今
私は一人
ただ一人で やすらぎの空間にいる
心に支配しているものを
なだめるために ここに今 (何年か前の夏に)
石打の邪宗門が好みの店になって、通いだしたのはいつだっただろう。
元来私には、一人になって、一人だけの空間を、一人だけで過ごしたいという癖のようなものがあった。
東京で過ごした若い時代もそうだ。あの町に、この場所に、お気に入りの店を持った。
人が好きで、人を求めているのに相反して、誰にも内緒の場所を持つことでホッと安らげた。
そこで音楽に耳を傾け、熱いコーヒーを飲み、見果てぬ夢を見、雑誌をめくり、文庫本を読み、新たな夢を模索した。
邪宗門は私好みの店だった。
夫は、性格的に好きではなかったようだ。
もつ焼き、焼き肉、寿司屋、ラーメン屋、居酒屋好みの人間。
ならば、一人だけでと、娘たちを連れて行ったり、友人とも出かけるようになった。
その邪宗門、昨今出かけていない。
友人が、シックでくつろげる店を開業したことにもよる。
朝会。
これも思い出しついでに書く。
夏休みの何回か、朝会なるものに招かれた。娘たちは小学生。場所は高原の原っぱ。
日曜の朝七時集合。
主催者は、その頃独身のM君。
私は娘たち、友人たちは一人で参加したり、子供を同伴したりだった。
それぞれが持ち寄った物を分け合って食べて、高原のさわやかな朝を楽しんで解散というだけだったが、初秋の花が咲き始め、萩の花が風に揺れて美しかった思い出がある。
子供たちはつまらなかっただろうし、家族たちからブーイングが出た。
考えてみればおかしな話。
M君らしい企画。
私も友人たちも、彼と仲間のおつきあいをしていたのだから。
結婚して、奥様となった友人と共に、夢街道を歩いている。
最近母のホームで、M夫人となった友人とばったり出会った。
私たち、今でもM君と呼んでいる。
「M君、元気?」
今朝のムラサキツメクサ(マメ科)。
今朝の川土手。