千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

あの日 あのとき

2014年08月31日 | 日記

あの日 あのとき
叫ばずにはいられなかった
私たちは
たとえ
ときがうつりかわったとしても
何かにかりたてられるものが
今もなお
心に潜んでいることを忘れない
私たちが生きた証は
今だけにあるのではない
あの日 あのときがあったから今がある
今があるから 明日が 未来がある
だから私たちは
いつまでも限りなく生きつづけるだろう

                        (azumi)

 今日は、友の誕生日。
 久しぶりにメールを送った。
 東京暮らしは昨年からだ。
 一年はあっという間に過ぎる。楽しい語らいが待ち遠しい。



 二日間、同じペースで歩いた。
 六時を告げるお寺の鐘の音が少しくぐもった響きを出す。間をおいて打つ鐘の音、しばし荘厳な朝の情景に包まれる。







 6;16
 朝陽が顔をだした。

 前方の小さな橋の袂で手を合わせる人がいた。
 何度も何度も手を合わせ、ご来光にお辞儀をしている。信心深い人なのだろう。その後に体操・・・

 近づくと顔見知りの方だった。
 挨拶を交わした。



 わずか四十分なのに、
朝歩きの間、雲が流れている様に見とれていた。

 長雨の間、伸びた草丈を刈る作業がある。
 これがまた厄介だ。朝だけの作業で、少しずつ、少しずつ刈り取っている。

 雷が鳴っていたのに、途中で止まった。
 午後から雷雨、止んでまた激しい雨、夜も雨という状況がまだつづくようだ。

 野菜の高騰も大変だ。
 我が畑も、水はけが悪くドロドロ状態。ピーマン、シシトウの生育はよいが、ナス、トマトも終わりに近い。
 キュウリは産直市場でもすぐに売り切れる。

 あの日  あのとき
 夏の日々 おだやかな秋
 やさしい季節はどこに行ってしまったの。

こんな日は

2014年08月24日 | 日記

こんな日は旅に出よう
重たくなったトランクを持って

まっすぐ伸びた
レールの上を走る
ガタゴト列車に揺られて
行き着くところが海辺の町なら
夜になってもかまわない

できれば寂れた海辺がいい
潮風と
干し魚の臭いと
かすかに見える朽ちかかった小舟と
素足に冷たい砂浜と

静かな海辺の夜の
潮騒に
全てを脱ぎ捨てた身体を預けて
重いトランクを暗い海に投げ捨てるのだ

こんな日は旅に出よう
トランクが重たくなってしまった
こんな日は

                    (azumi)

 想像の中にいる私・・・
 赤いトランク。物置の奥にあるのかな。
 思い出せない。赤いトランクは被写体として絵になるが、想像上の私は一つ編みのお下げである。重くなった赤いトランクをあっさりと海に投げ捨てるなんて・・・
 あくまでも想像の中の私のなせる仕業などで、お許しを願いたい。

 NHKテレビで写真展のことを伝えていた。

 中俣正義 山内与喜男 二人展
 ~十日町・むらとまちの暮らし~
 会場 十日町市 情報館 ギャラリー

 昨日の晴れ間に出かけてきた。

 中俣正義(1918~1985)
 魚沼の風土と自然、山岳、佐渡の風土を撮りつづけた写真家。
私の叔父である。
 親交があったという山内与喜男氏は十日町市の方なので、写真は観るだけに留めた。十日町の町中行事が多かった。


 中俣正義 作品(一部)

 雪季市   1955・1・15     十日町市




 ほんやら洞   1956・1・14     十日町市




 雪中を行く人びと  1957・1・18     松之山より外丸へ




 松之山の風景   1957・1・18     松之山より外丸へ




  コロ出し   1957・1・18     松之山




 (コロとは、囲炉裏、竃、風呂の燃料に使う丸太のこと)

 情報館 喫茶ルーム メニュー   可愛らしかった






 折り紙で折ったものの数々。思わず笑みが浮かぶ。300円のコーヒーも美味しかった。














 情報館裏側大公開もやっていた。
 普段見ることができない場所を、こどもも大人も一緒に探検?させてもらった。



 災害のニュースで締め付けられていた心を取り戻すことができた。



 山肌をえぐる土砂の傷痕が幾筋も並ぶ映像を見て、神話に出てくるヤマタノオロチを連想した。一つの胴体にたくさんの頭と尾があり、からだは幾つもの谷や峰 にわたるほど大きい。それが年ごとにやってきて人の命を奪っていく。
 広島市の北部を豪雨が襲い、多くの犠牲者が出る惨事となった。わずかな間に平年の8月 の1カ月分以上が降ったのだからたまらない。安佐北区や安佐南区の住宅地を土砂や泥水が覆った。時間帯も災いした。真夜中に荒れ狂った天が恨めしい。
 「忘れまい 大災害」。そう刻まれた石碑が安佐南区の西隣の佐伯区に立つ。 毎年、追悼の集会がある。1999年6月29日にも広島は惨事に見舞われた。今回と同じように、集中豪雨によって土石流や土砂崩れが発生し、多くの命をのみ込んだ。
 国は「6・29」を受けて、土砂災害防止法をつくった。危ない地域を通称イエローゾーンに、特に危険なところはレッドゾーンに指定する。後者では宅地開発などに規制がかかる。広島の教訓が生んだ法律は果たして今回、生きたのか。
 もともと山地の地質がもろいところに山すそまで切り開いた宅地の危険性は、すでに15年前に指摘されていた。「忘れまい」の誓いにもかかわらず繰り返された悲劇に、災害に立ち向かうことの難しさを思う。
 ヤマタノオロチはスサノオの一計で退治されたが、天災は絶えることがない。
 国や自治体はもとより、私たち一人ひとりも生き延びる知恵を確かめ直す必要がありそうだ
                  (朝日新聞 天声人語 8月21日)


 新聞の「天声人語」・・・
 私も、とてつもなく大きな大蛇が荒れ狂う様を連想した一人である。
 神は大蛇に身を借りて怒り狂っておられる。
 何故なのか・・・
 それは・・・

 花崗岩が風化してできたもろい地質「まさ土」、夫の郷里山口県防府でもまさ土による集中豪雨で甚大な被害が出ている。
 2009年のことだ。
 水はけがよく、校庭の敷土に使われたと聞く。
 丘のような低い山が多い。
 広島のように開発が進んでいたなら、同様の土石流災害が起こらないとも言えない。



 7月31日以降各地で発生した大雨を、
 「平成26年8月豪雨」とした。

 多くの犠牲者が出た。
 未だ、行方の分からない方々がいる。

 ご冥福をお祈り申し上げるとともに、
命の火が消えないでいて下さる方がいらっしゃるのではないかと祈らずにはいられません。

夏休み 2

2014年08月10日 | 日記

 8月10日(日)

 6;10 部屋の整理。早朝からあちこち片付けている。



 昨夕到着した孫たちの荷物と既存の荷物が合体。
 大分片付いていたが、更に整理・・・

 花瓶の花は、畑で摘んだもの。
 お花は、咲いたあとタネになって、そのタネがまた花になるんだよ、と眼を輝かせていた孫たち・・・
 お猪口に活けた花はヒメジョオンっていうんだよ。知っていたかな。こうやってながめると野の花はけなげに咲いているね。コスモスは枯れたし・・・

 大きい子たちがきたら、お花の存在を忘れたみたい。
 Aruやruuの存在が大だよね。
 ついでにいうなら、ばあばの存在もうすくなっちゃった(苦笑)

 昨夜は、はじめて訪れるお寺の庫裏で、ある打ち合わせ会があった。
 長いこと訪れていない地域なので下見に出かけ、確認をした。
 にもかかわらず、夜は雨降りで車の運転の方向を見誤った。車をバックしてきた道を引き返す。すぐに分かったが、山のそばで街灯はあるものの暗い。
 街灯が暗いとマイマイガも異常発生はできないようだ。

 真夏だというのにお寺の庫裏は寒かった。
 外は真っ暗で何も見えなかったが、猿が里に下りてきて、田畑を荒らすので爆竹を鳴らしている。熊も下りてくるそうだ。ええ~っ!!
 お寺に住んでいたが、近くに家を建て家族と暮らしているという。子沢山の家庭だと聞いたことがある。

 ちなみに、我が家の近辺はマイマイガ対策で大変だった。
 街灯を消す措置をとってしばらくになる。外壁に大量に産み付けた卵を落とす作業をつづけた、長袖のシャツ、ゴムの手袋、手っ甲、帽子、マスク、長靴姿で。早朝歩き、草取りも中断。


 南魚沼市環境交通課も、8月1日付けでに市の広報誌を通して、各戸にやっと御願い文を配布した。

 『「マイマイガの発生について   南魚沼市環境交通課」

 市内の一部地域でマイマイガと呼ばれる蛾が大発生しています。マイマイガは10年に一度くらいに大発生し、2、3年継続すると言われておりますので、来年の発生を抑えるために皆さまには卵塊の駆除へのご協力を御願いします。

 マイマイガの生態

 7月から8月頃に卵の状態で産み落とされて越冬し、翌年の4月頃にふ化して幼虫(毛虫)になります。7月から8月にかけてさなぎが成虫になり、数日のうちに産卵します。成虫の寿命は、1週間から10日ぐらいといわれています。

 特徴

 卵は500個くらいまとまった卵塊で産まれ、木の幹や建物の壁などによく見かけられます。毛虫は糸を出し、風に乗って拡散することがあります。成虫は水銀灯の白っぽい外壁を好み、その付近に卵を産み付けます。

 人体への影響

 皮膚の弱い人、幼児などが毛虫に触れると体毛が刺さるなど、痛みがあったりかぶれることがあります。成虫の羽にあるりん粉が肌につくと、人によっては発疹が出ることがあります』

 卵の除去、成虫対策などの項目もあったが省く。

 我が家、燐家、近辺の住民は駆除に苦慮してきた。ジョークではない。
 ようやく市が対策に声を出してくれた。

 外壁の高い場所にはまだ卵塊が付いている。
 一件落着といいたいところだが、見つけた卵塊を駆除する方法しかないようだ。

 7月31日に孫たちがきた。
 街灯の消えた夜空の美しかったこと・・・

 話が横道にそれた。台風がそれてくれればいいのだが・・・
 風が強くなってきた。

 8:50  昨夜の疲れで朝寝坊の子供たち。まず宿題から・・・





 みんなでお勉強。三歳児は何のお勉強かな。



 8月7日

 19:57 久しぶりの絵画教室。



 モデルの女の子、かっこいいな。
 化粧もしていない。彼女のルックスと自前の自転車が素敵。
 風雨が強かったり、大気の変動がつづいて体調が整わないときはさぼってばかり・・・
 デッサン帳に鉛筆を走らせて誤魔化している(苦笑)


 8月5日(火)

 15:01  魚沼の里

 八蔵  本がいっぱいの場所。避暑に最適。お絵かきを楽しめる。



 広々とした空間。じいじ、ばあばと4人で。







 Suiに読んであげようかと聞いたけど、しずかにページをめくっていたので、そのままにしておいた。眠そうだ。





 Nagoも眠そう・・・

 そのあと八蔵の1Fへ。
 子供たちはスタンプ押しに夢中になって、すっかり睡魔も飛んだ。
 携帯を家に置いたまま出かけた私たち夫婦、帰宅したら娘がたたんだ洗濯物を抱えて階下に降りてきた。
「お帰り」

 風が強まってきた。

 孫たちがお出かけしているので、ブログが書けた。
 そろそろ帰ってくるのかな。



夏休み 1

2014年08月03日 | 日記

 7月31日(木)
 15:27 新幹線とき 越後湯沢着。
 大阪を午前8時に出て、東京で友人家族と昼食を共にした後の帰郷となった。

 次女と子供たち二人、八ヶ月ぶりの再会で孫たちははにかんでいる様子。首をこくんと振るだけで言葉がでてこなかった。
「お母さんも一緒だなんて」と、娘に驚かれた。

 ふるさとの山々、緑の絨毯のような田んぼ。
 やっと孫たちの笑顔と会話が出てきた。
「綺麗やなあ」
「遠い山と近くの山って色が違うんやな」
「毎日、毎日、新潟じいじとばあばの所に行きたい、と言ってたんだよね」
 母親の言葉に嬉しそうに頷く孫たち。

「aruとruuちゃん、いつ来るのかな~」

 8月1日(金)

 蝶々が見たいというので、
Nagoと一緒に八海山へ行った。
 昆虫の図鑑を買ってもらったらしい。
 夫が写真で説明をしていた。
 山も猛暑で無風状態。
 蝶は飛んでいなかった。



 丈が伸びた雑草の合間にヤマユリが咲いていた。

 八海山神社に水を飲みに行く。







 八海山神社



 ご神木



 19:10 南の空の夕景




 デジカメを取りに階下に降りるちょっとした合間に、赤い夕陽が反射した雲の風景が変わった。感動の刹那を逃がして残念だ。



 お風呂あがりのsuiがお絵かきを始めた。
 ピンクのタオルを頭に巻いてあげた。やっぱり女の子だね。




 8月2日(土)

 Suiの紙芝居
 「ネコのこゆりちゃん」



 Suiも「想像の翼」を広げることが好きらしい。
 お絵かきに夢中になっているので、
「何を描いてるの?」って聞いたら、紙芝居をやってくれるらしい。
「もうすぐ終わるから、そこに座って待っててや」だって。
 何枚も描きたしたので、何度も「紙芝居」を聞いた。
 想像力が豊かだ。家でも紙芝居をつくって家族に聞かせているそうだ。
 将来は芸大?
 いずこの親も子供に夢を託すようだ。

 明日、天気になあれ!!



 夕立があったので、
寝る前の子供たちは「てるてる坊主」をたくさん作った。
 Aruやruuの分もい~っぱい!!

 早く来てほしいな!