千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

哀しい色だね

2012年02月24日 | 日記


       
哀しい色だね
あなたの心は
哀しみに染まっているね

昨日のあなたは
夏の陽のような明るい声で
オレンジ色に染まっていたよ
その色が
何によってもたらされたものか
私はすぐに察知したよ

おととい
たずねてくれたあなたは
赤い色がよく似合って
固い決意を見せた瞳が
未来に向かって燃えていたよ

哀しい色だね
あなたの心は
哀しみに染まっているね

声を聞いただけで
あなたの色を感じてしまう

ああ
人生とは
さまざまな色を織り込んで
丹誠こめて仕上げる
一枚の布のようなものさ
                            (azumi)

 私は脳天気だから、何事もサバサバと処理してしまう。
 サン・チャイルド。太陽の子。
 よく言ったもので、人前では陽気で明るくくったくがない。
 だが内実はどうだ。結構重い鉛を抱えていた友人。
 私自身も、絶壁に立たざるを得なかった日々がある。

 人生、
またたくまに過ぎた感がある。
 いろんな思いが交差する。
 過ぎた日々が脳裏をよぎる。

 いつかためいきをつかなくなった。

 人生、
ここまできたら、
私欲は捨て、
情熱を掬い上げ、
心の花が咲いてくれる日を
しずかに待とう。

 私、
現在静養中。


 お家ご飯。
 塩麹入り豆腐ハンバーグ。

 (昨年ブログに載せたが詳細を書かなかったようだ。Eメールにてレシピの要望あり)




 木綿豆腐一丁。鶏挽肉150㌘。玉ねぎ大半分。ショウガ少々。塩麹スプーン2。醤油。味醂。片栗粉。オリーブオイル。
 木綿豆腐は水切りをしておく。我が家はミニ水切り容器を使用。ペーパータオルで包み、一昼夜冷蔵庫に。玉ねぎはみじん切り。オリーブオイルで色がつく程度に炒める。冷まして、豆腐、鶏挽肉、すりおろしたショウガ、塩麹(なければ、塩、胡椒などで)をよく混ぜ合わせる。木綿豆腐一丁は多すぎるかも知れない。小さめのハンバーグが8個できるので、翌日にも応用できる。味醂と醤油と水で、タレを煮ておく。片栗粉は水で溶いて混ぜる。
 塩麹は焦げやすいので、フライパンの火は中火くらい。蓋をして、調節しながら焼く。
 塩麹を使用した豆腐ハンバーグは絶品。ホントに美味しい。

 鶏のむね肉を3日も塩麹に漬け込んでしまった。
 少々味が濃くなって失敗。ソテーにして食べたが写真撮りを忘れた。

 若鶏もも肉の唐揚げ。




 懲りずに、塩麹(スプーン2)を30分前に混ぜ合わせてみた。すりおろしたショウガも少々。これも塩麹の味だ。ホクホクのとき食べたかった。
 テーブルの支度が出来てから、私の入浴の番なので、ノロマな私は遅くなるばかりである。
 何でも塩麹で試している我が家の今。

 まだ外歩きが出来ない。
 夕陽だと思っても、冬の陽はあっけなく沈んでしまう。
 残念!
 悔やまない!悔やまない!
 山に沈んだ夕陽は、どこかで誰かの心を染めているはずだから・・







気ままな風に

2012年02月17日 | 日記

    
あいつに出逢ったのさ
あいつという
気ままな風に

ふっと
忘れかけていた頃に
やってくる
気ままなあいつに

気づかぬふりをしていたかったのさ
もう めんどうだから
知らん顔をしていようと思ったのさ

気ままなあいつは
恋を運ぶ天使みたいに
まっすぐな瞳でみつめるから
あるときは
知らない者を見るような
そっけない眼をするから

もうめんどうなのさ
風なんて どこにでも飛んでゆける
自由な存在なのだから

あいつという風に出逢ったのさ
もうどうでもよかった
気ままな風
あいつに
                        (azumi)


 思い出は、ふっと忘れた頃にやってくる。気ままな風のように・・・
 少しどころか、かなり無気力になってしまった自分がいる。
 一月前の私・・・希望をつないでくれていた心の深層に内存していたはずの泉・・・
 湧いてくる泉がなかったら、何にも書けない。滑るように湧いた言葉の泉がない。
 そんなとき、ある本と出逢った。とぼけたような私と何となく類似しているような、してないような、だが、吸い込まれてゆく。続きを読みたいのに、こんなときに限って来訪者が多い。
 ああ、そうか、四十九日忌明け法要も終われば、話好きなご近所さんは待っていたようにやってくるのだ。目当ては夫だ。

 法事で膝を痛めた。
 温泉に浸かり、膝サポーター装着。治癒も早いはずだ。





 さくり温泉健康館の温泉に入ってきた。料金370円。あったまるいい温泉だ。
(泉質:アルカリ性単純温泉、掛け流し・循環)



 帰り道。雨降りの山。雪解けを見ると、春もそう遠くないことを感じる。山つづきに、カタクリ、コシノコバイモが咲く場所がある。昨年の豪雨でこの一帯も山が崩れた。春の芽吹きが危ぶまれる。

 朝食前に、ずうっと食べつづけているものがある。
 手作りヨーグルト。
 種菌で増やした。
 バナナやきな粉は、身体にいいと聞いた時点でヨーグルトに混ぜて食べている。
 寒い朝は、レンジで軽く温める。







 朝の一品。膝関節痛でつくる気がしなかったとき、塩麹やヨーグルトでつくってみた。小松菜。湯洗い。小口切り、塩麹(スプーン2)を混ぜて置く。軽くオリーブオイルで炒め、蓋をする。蓋をした時点でガスの火は切る。余熱で、色よく美味しく出来上がる。卵三個も、塩麹(スプーン2)ヨーグルト(スプーン2)を混ぜ合わせておく。油は使わずふんわりとしたかき卵の出来上がり。ウインナーは塩分が多いので、フライパンで茹でて、水分を切り、焦げ目がつく程度にから煎りする。



 当節流行の塩麹だが、塩分控えめ、美味しく、簡単に調理できるので、病み上がりの私は随分重宝している。
 十日目の塩麹が明日完成予定だ。
 法事にも漬物を出した。カブ、キュウリ、木綿豆腐・・・
 好評だったし、塩麹に関心が高いことを知った。

 いいお天気だが、また冬型なんて信じがたい。
 深呼吸!深呼吸!

 さて、本の続きを・・・



送り婆さん

2012年02月11日 | 日記



 上越線が湯沢まで開通し、村にやっと電灯がついた。口で息をふきかけて消そうとしたこともあった。水道もガスもなかった。
 大正の末期、私は小学校一年生であった。
 通学路は西の山から里を蛇行し流れる川の土手道であった。自転車が通るとき、人がよけて歩いた。道両側には所々に稲架に役立つ杉の木が植えられ、藪が多く、藪苺の実を食べたり、野花を摘んだり、木陰もあり、楽しめる道のりであった。
 雪の積もる冬の間は、町から、あるいは村から手当があったらしく、一、二年生のために学校まで送り婆さんを頼んで送ってもらった。
 塩沢町の中心から離れた集落十二ぐらいから、五つぐらいの村に送り婆さんがつけられた。豪雪地で一晩に三十センチも雪が積もることがある。村々には雪踏み当番というのがあって、男衆が四、五人一組となり、朝六時頃から、蓑、笠、もんぺ、藁の手製の深編靴、かんじき、スカリのいでたちで出かける。勤め人や学校にゆく子供達に間に合うよう各々の区間ごとに雪を踏みつける。とても重労働であった。
 「よんべな(ゆうべ)いっぺえ降ったすけ、送り婆ぁのどこへ(所へ)行げや」十二月の雪の朝のことであった。母に起こされ、長兵衛どんの家の前に行く。
「婆ぁ、学校へ行ごう」つぎつぎと子供達が集まってきた。
 その頃を思い出すと、婆ぁはずいぶん老けて見えたが、皺だらけの顔に手拭いを頬被りをし、腰はシャンとしていた。綿入れの手縫いの地味な縦縞のきものを尻紮して、もんぺを履き、白髪の乱れ髪を無造作に後ろでくるくると巻いていた。
 当時の子供達の服装は、みんな手縫いの木綿の綿入着物にもんぺ履き、鞄を提げる子は珍しかった。ほとんどの子は風呂敷包みを肩からかけていた。靴下もなく、男は黒、女は赤い足袋だった。上等の品はビロードであったが、きんてんなどと私共は言った。また、男の子は丸刈り、女の子は下げ髪であった。何人も女の子のいる家では、朝早いのに大変だったと思う。
 子供達は着物の上にマントを着る。古着屋から買ったと思われるような穴のあいた所に別の布を縫いつけているのを着ている子、釦がとれて、縫いつけた紐で結んでいる子など、さまざまであった。その頃、ゴムの長靴、短靴、だるま靴が流行した。長靴を履く子は少なかった。降り積む雪の日は手製の藁靴を履く子もあった。貧富の差の激しい時代であった。
 「学校へいごう」子供達がつぎつぎ集まってきた。「みんな来たか。じゃあーいごう」婆ぁの声に十二人ぐらいが、婆ぁを中にはさんで七時頃町に向かって歩き出す。「ホーラやべ(歩け)、ホーラやべ」励ましながら歩き続ける。
雪が吹き付けると、婆ぁはマントを展げて身の囲りに引き寄せ、かばってくれる。「つべてえ(つめたい)、つべてえ」泣き出す子もあった。しもやけの赤く膨らんだ手の私は泣いた一人かもしれない。
 三十分も四十分もかかって学校に着くと、婆ぁは子供達の雪を振り落とし、教室に送る。もんぺや足袋が濡れると、小使室の大きな囲炉裏の上に吊して乾かしてくれた。子供達の授業中は炭箱をさげて教室に炭をつぎ足したり、お昼のお湯を大きな薬罐に入れて配った。また、四、五人一列に並んで箒で運動場」を掃くこともあった。
 ある時、私は弁当を忘れてしまった。「婆ぁ、まんま忘れたて」涙声でいうと、「俺の半分やるすけ」お昼時、婆ぁは、でこぼこの古いアルミの弁当箱に飯を半分入れて持って来てくれた。ご飯の上に南蛮の油味噌がのっていた。舌に辛くつらかったが、腹がへっていたので、みんな平らげた。
 遠い遠い日の南蛮の油味噌が、温かい老いの心とともに、ひもじかったであろうおばあさんを思い出す。
 その後町道が開かれ、川土手の道を行くこともなくなった。そして、その川土手の道も今はない・・・・・。
 通学の折々に見た塩沢上町にはいろいろの店があった。蹄を打ち付ける蹄鉄屋、丸太に首を繋がれた馬に蹄鉄を打ち付ける。異様な金具の音にまじって、ひひん、ひひんと悲しげに泣いていた。格子戸の障子に米と書かれていた米の仲買屋。この家のご主人は暮れになると我が家によく来ていたので顔見知りであった。鋸鍛冶。大きな障子に鋸の絵があり、天気のいい日は戸をあけて、鋸の目を引いていたような気がする。表具屋、仕上がりがよく有名だった。粉屋、機織り屋、開業医、薬局、村のおことさんが嫁に行った散髪屋、染め物屋。

 昨年町の旧道を車で通った。
 昔の面影は何もない。町を歩いても知る人に会うこともないだろう。
 思い出もすべて遠くなってしまった。

              (母の作文 平成九年 老人文集から)

 明日は、
母の四十九日忌明けの法要。
雪は降りつづいている。
そして母の写真。
 少し若いときの着物姿で微笑んでいる。

 母の文を打ち直していると、お下げ髪の女の子が、少し気恥ずかしそうに、だんだん大はしゃぎで雪の中を飛び跳ねている映像が見えてきた。


 写真 大月トンネルから五十沢へ




大雪

2012年02月03日 | 日記



 昨夜、八時頃玄関戸の鍵を閉めに行った。
猛烈な勢いで、外灯の上から雪が降ってくる。いや、落ちてくる。
予報通り、尋常な降り方ではない。外気の冷たさは肌を刺した。
夜半目覚めた。寒い。階下に降りて用を足す。水道水を飲む。冷たい。三時を回っていたので寝室のストーブを点火。今日は節分、季節の分かれ目で、明日は立春・・・だが、この頃が一番寒い季節。
 早寝なので、目覚めも早い。四時近く、除雪車の音が近づいてくる。相当な積雪量と予測・・・部屋が暖まるのに時間がかかる。

 玄関戸は凍りついていた。
仏間のストーブで玄関を暖めた。

 開いた玄関戸の向こう側、
新聞配達人の踏み跡のみがくっきりとあり、積もった雪が垂れ下がっている。




 屋根や家の周囲に配置してある井戸水のパイプから水が出てこない。豪雪になる度に人々は困り切って自宅の井戸を掘り、道路の消雪パイプの井戸も渇水状態になることがよくある。

 雪国の暮らし。
 豪雪。
 いつもなら感受するものが多いのに、混迷の中に自分を置いている。
何日も続けたトレーニングを今日は休んだ。筋肉痛がある。疲れやすい。

 ゆっくりと、ながく行うとよい。
たまには休むことも大切。そう言われている。

 退院して、二十一日目の私である。

 あせるな。ゆっくりと。

 塩麹をつくった。
 麹300グラム 塩100グラム 水400ml
 手をきれいに洗う。麹を素手でもみほぐす。麹に塩を混ぜる。手の中で握り混むように。水を入れ手のひらですり合わせる。これを繰り返す。ミルク状になったら密閉容器に移しかえる。
 冬なら10日間、夏は常温で熟成させる。
 1日1回かき混ぜて、空気に触れることで麹の甘みが増す。手はきれいに洗っておくことが大切。
 で、熟成した塩麹(冷蔵庫保存)




 お家ご飯。あさ。




 塩麹で漬けた、カブ、木綿豆腐。
 ホーレン草と卵のさっと油炒め。塩麹スプーン2杯使用。
 キャベツ、レタス、トマトのサラダ。
 左手前にあるのは百均で買った噴霧容器。醤油を入れている。醤油一吹き(0・5カロリーの塩分率)でサラダを食べる。
 この方法は入院中、偶然にも隣り合わせた湯沢町有名イタリア料理店のオーナーから教わった。以前からの知人。娘夫婦がお世話になった方。ご縁の不思議さを又も実感したことである。
 柚子マーマレードジャム。退院して、夫に手伝って作った。焼いたパンに塗るのでマーガリンは使わない。

 塩麹を使用した一品。

 卵焼き。ふっくら、あっさり味。



 豚肉のオリーブオイル焼。豚肉に塩麹スプーン1杯を混ぜ、10分置く。あっさり味。



 サラダ。 マカロニ、ハム1枚、胡瓜1本、ミニトマト、橙(だいだい)の皮、柚子マーマレードジャム、塩麹、混ぜ合わせただけだが美味しい。



 具沢山の薄味味噌汁を毎朝飲む。
筋肉の元となるアミノ酸(タンパク質)をしっかり摂取するように日々心がけている。

 1月31日。
南魚沼市坂戸で。