千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

(十六歳の創作) 微風

2011年08月22日 | 日記


 七

 八千代にも思春期が訪れていた。いつまでも末っ子で甘えん坊の八千代ではなかった。
庭でスピッツと遊んでいて、時々門の前を通る高校生をひそかに想うようになっていた。想うといっても、あの人がここを通ってくれないかな、そんな願いからだった。いつからだったか、家の前を通る高校生をすこし意識するようになったのは。最近のことのようでもある。
ここのところ高校生の姿を見かけなくなったので、小さな胸を痛めていた。
お兄さまにこんな話をしたら笑われるだろう。いいの、お兄さまに秘密にしておくの。ママにも・・・
勇のいない日は、八千代はスピッツとよくたわむれていた。
広い芝生の庭には花壇あり、テニス場もある。
級友を家に招待するのは一月五日の誕生日以外なかった。部活も苦手、内弁慶で、母の由起子に甘えたり、勇をからかったりしているが、実際どういうものか、八千代は一人ぼっちでいるのが好きだった。誰に似たのだろうか。
勇は高三だが、大学もある私立高校なので受験がいらない。バスケット部の選手で試合も間近いため、猛練習で帰宅が遅い。
由起子もいろいろな会合に出席することが多く、父の明も夜にならないと帰ってこない。
八千代はそういう時、晴れていれば庭にでて、スピッツと遊んでいた。
美子も町子も、勇の帰りが遅いことを知っていて家には来なくなっている。
八千代さん、いますか? 町子はよくそう言って来る。勇がいなければつまらなそうにすぐ帰ってしまうことくらい気づいている。
美子も町子も高一。ずっと遠くの私立高校へ通っている。彼女らは勉強よりもおしゃれが大事らしく、いつも着飾っている。
美子はつめにマニキュアを塗っていた。透明だからまあよいのだが、なんでも品よくすることばかり考えて、みょうに大人ぶって見え、少女らしさがなく高一には見えない。
八千代はこの二人を好いてはいない。まだ二回しか会っていないが、野村里子という少女の方が好きだった。
テニス場の隅に行ってみた。細長い長屋が四棟続いて、その端に一軒家があり、屋根にテレビアンテナが立っている。長屋の一隅から煙りがゆらゆらたちのぼっている。洗濯物が風に舞っていた。
セーラー服姿の少女が丘の右端から現れた。白いセーラー服が清潔に見えた。よく見ると学校帰りの里子らしい。
八千代は思わず叫んだ。
「里子さ―ん」
その声はこだましたが、小さかったのか里子には届かなかった。
里子は軽快な足取りで、一番左側の手前の屋根の下に姿を消した。
はるか遠くの山々がぼうっとかすんで、その上を白い雲が弧を描いていた。

 八

 里子は汗ばむ顔を水道水で洗うと、ひっそりとしている四畳半に入った。
ムンムンむし暑い。ガラス戸を開けると心地よい一風が入ってきたが、またむし暑くなった。
机の上に一通の封筒があった。
野村里子様― 急いで裏を見ると、思いがけなくも博一からだった。手紙を寄こすのは何か訳があるのだろう。里子は少し期待を持って封を開けた。あきらかに博一の筆体だった。
中学の時よりずっとうまくなっているが、きちんと字画をとるのは博一のものだった。

 拝啓
夏がやってきましたが、里子さんはお元気でお過ごしのことと思います。
何度も言うようですが、里子さんが身長が伸びたのには今でも驚いています。ここへ舞い戻った当時、あのバンビのような里子さんに会うこともあるかなって、いくぶん期待していたんです。
高校はちがうけれど、里子さんは今でもクラスの花じゃないかな。僕の想像は当たっているでしょう。
撲の学校は、昨日試験が終わったばかりです。夏休み前の試験はへとへとです。
休みに入ったらバイトをします。なんなら里子さんも一緒にと言いたいところだけれど、ぶしつけで図々しすぎるからやめておきます。
撲の生活も大阪に行ってから一変しました。
里子さんも、撲の様子に何か気がついた事があるでしょう。撲自身も自分の変わりようにあきれてはいます。
それについて話したい、話を聞いていただければと思います。
七月七日、七夕の夜はいかがですか。花火の日だし君の都合もあることでしよう。
その日でさしつかえがなかったら、つつみ橋のたもとで八時はどうでしょうか。撲は先に行って待っています。

野村里子様
                七月三日            博一拝

 そう書かれていた。
大阪に行ってから生活が一変した?どういう事だろう。何か博一の生活をさまたげる一身事があったのだろうか。野村君ではなく、里子さんと書いてきた。それほど私を信用していいのだろうか。博一に信用される事に、里子はすくなからずほこりを抱いた。

 九

 七夕の夜が来た。
町には夕方から花火が打ち鳴り、祭り気分を盛り立てていた。里子の家でもささやかな七夕かざりをした。
里子は短冊に[愛]と書いた。どんな小さなことでも愛だと思って受け入れ、心のポケットにたまった愛を分けてあげればどんなにいいだろう、そんな願いをこめて。
そっと新吾の方をのぞいたら、テレビが買いたい、と何枚も書いていた。新吾らしい。新吾は見るものがあればそれでいいのだから。

 夕食がすむと、久しぶりに父を交えて、一家四人町へでた。
里子は去年新調してもらった白地にわすれな草の模様のゆかたを着た。フサエのゆかたは、里子が中学の家庭科で手縫いした紺地の小花柄。娘の仕上げは上出来ではなかったが、心がうれしくて大切にしまっておいた。少しばかり生活が安定した家族そろっての初の外出である。
花火までには三十分ほど時間があった。四人は祭り気分絶頂な町をぶらぶら歩いた。四、五人、級友がえしゃくをして通った。
川の堤はぼんぼりの灯も点って、たくさんの人が集まっていた。里子たちも茣蓙を敷いて腰を下ろした。ほどなく花火の打ち上げが始まった。
アナウンスが、「いずもや商店さま、スターマイン」と声をはりあげる。真っ赤な火の球があがって、上空で幾重にも割れた。さまざまな色になって飛び散る。
五つばかり打ち上げたあと、里子はそっと父の腕時計を盗み見た。うすあかりの中で八時少し前だと分かった。
「あたし、友達と待ち合わせておいたの。ちょっと行ってくる」
「いいよ」
父母が同時にうなずいた。
里子は群がる人の波をかきわけて、やっとの事でつつみ橋のたもとに出た。ここにもいっぱい人の波があった。博一がどこにいるのか見当がつかなかった。
「野村君」ポンと肩をたたかれた。博一だった。
「あ、博一さん」里子はホッとした思いがした。
「まだ三分もあるよ。八時まで」
「いやだわ、人の波をかきわけてやっと来たっていうのに」
「ごめん、ごめん、向こうへ行こう」
博一は里子をうながして、人影もまばらな反対側の堤に下りた。こちらは二人連れが多かった。やはり恋人同士は静かな方がいいのだろうか。
二人は人目につかない所に腰を下ろした。花火がズドーン、ズドーンとあがって大地をゆさぶる。腰を下ろしたまましばらく黙って花火をみつめていた。
「君に話したい事があるっていっただろう。君には話せると思ったんだ。まだあまり顔を合わせていないけど、君には人を寄せつける力があるんだ。信用していいような」
「あたし?自分では分からない。信用されても困ってしまう」
「だから君は人気者なんだ。親近感を与えなくて、どうしてクラスの花になんかなるんだろう」
「そうかしら」
「そうさ」
里子はクルっとよく動く目で博一をみつめた。博一も里子をみつめていた。二人の間にほのかに暖かい交流があった。
「撲、大阪へ行って生活が一変したっていっただろう。一変とは大げさだけど、自分がそう思いこんでいるだけかも知れない。こんなことを話すのは学校の親友と君しかいないよ。」
里子はうなずいていた。
「大阪に行って、一年たって姉が結婚したんだ。姉は九州に行っている。あとに取り残されたのは父と撲だけ。女の姉が嫁いでしまって、家の中がガランとしてしまった。姉がいないだけで、空気もずいぶんちがうんだ。
撲も父を好きだった。ところがどうだ。父はある日酔っぱらってきて、博一、お前にお母さんができるぞ、綺麗でやさしいお母さんだ、なんていうんだ。冗談かと思ったけど、四、五日して女が来たんだ。二十六、七歳の女なんだ。着物を着た派手な女だ。そんな若い母があるかっていうんだ。
撲は中三になったばかりだったから、女がどんな商売だったかなんて知らない。ある日、通いで家の手伝いにきてくれているおばちゃんたちの話を耳にした。あの化粧の仕方はどう?着物の着方はどう?あの女は芸者に決まっているっていうんだ。事実そうだった。だらしがなくて、食べたり飲んだりもそのまま、家の片づけもやらない。父とは何年も前から関係していたんだそうだ。あの女は父の内縁として納まった。父とは酒ばかり飲んでいる。派手な着物を着る。化粧もすごくて髪も染めているんだ。
僕は父を恨むようになった。おばちゃんたちはあの女に、奥さまなんていうんだ。女も得意になって父の妻になっているよ。博一ちゃん、なんていっているけど決して母なんかじゃない。全てがうわべだけで撲はたまらないんだ・・・
里子さん、こんな話聞いて驚いた?」
「ううん」
里子は首を振った。世間にそんなケースのあることも知っている。
「博一さんの気持ちも分かるわ」
「そうさ、分かってもらえると思った」
「で、その女(ひと)まだずっといっしょに?」
「いるんだけど、この頃父とけんかばかりしているんだ。父にまた別の女ができたとかなんとか、父の行いもみにくいと思っている」
「・・・・・・・・・・」
里子は黙っていた。世間にありがちな話。自分の生活とは無縁だが、博一の話には考えさせられた。
「博一さん、大人の世界は難しすぎる。話をしてくれたことはうれしいけど、どうすればいいのか私には分からない。博一さんが困っている気持ちだけは分かるけど」
「僕はあきらめているけれど、世間体というものもあるだろう。父の信用がつぶれたりしないかと思って・・・」
里子は川の流れに目を転じた。黒く光ってみえる川面に、打ち上げ花火が映っては消えた。
「話したからどうにかなるっていうんじゃないけど、少し心のうっぷんをはらしたかったんだよ・・・」
「分かるわ、その気持ち」
「これで、もうこの話はおしまいだ」
博一は大きく息を吸い込んで、両手を組んで背伸びをした。
「博一さん、あたしね、短冊に愛って一文字を書いたの。どんな小さな愛でも両手いっぱい受け入れて、多くの人にその愛を分けてあげればいいなって。
つまり、愛受け入れ窓口。あたしは大人じゃないし、世の中の事何にも分かっていない未熟者だけど、博一さんが困り果てて、私の胸に飛びこんできたら愛を持って話しを聞いてあげる」
「里子さん、ありがとう」
二人は手を取り合った。二人の間に新たな友情が芽生えたようであった。
「里子さん、その着物似合うよ」
「あら、さっそくおほめにあずかるってわけね」
「ほんとうだからいったんだぜ」
「ではでは、おほめいただきありがとうございます」
里子は笑いながらおどけて言った。事実、ゆかたは色白な里子によく似合っていた。
「アルバイトの件だけど、この夏逗子海岸でバイトするんだ。アイスクリーム屋のバイトで友人たちとやるんだけど、店では明るい女の子もほしいっていっている。なんなら君もやらないか。同じ店でなくともいいんだ・・・」
「バイトはするつもりだけど、海岸のバイトは嫌いなの。変な不良もいるでしょう?」
「里子さんは目につきやすいからな」
「そんな意味じゃないけど、どうも海岸は気がすすまない」
「無理にとは言わないさ。ただちょっと残念だな」
「どうして」
「友人に里子さんを公開できないからさ」
「公開だなんて、いやだわ」
「ふざけただけだから気にしないほうがいい。撲は大体・・・」
「ユーモラスなところがあるっていいたいんでしょう」
里子がやりこめた。博一は明るく笑った。
「撲もう帰るよ。君はお母さん達と来たんだろう?」
「ええ」
「じゃ、さよなら」
「お父さまにやさしくしてあげてね。愛を持ってね。博一さんだって決してお父さまを嫌いじゃないはずよ」
「わかった、わかった」
博一はこの言葉を何気なく聞いてうなずいたが、歩きながら身にこたえるものがあった。決してお父さまを嫌いじゃないはずよ。里子はやわらかく言ったのだが、この言葉は考える余地があった。そうなんだ、父は母亡きあと、小学生の博一をどんなにかわいがってくれたか・・・

 八千代は母の由起子、お手伝いと三人で堤に来ていた。なぜか浮かない顔をしていた。
来る途中、つつみ橋のたもとに、あの高校生がたたずんでいるのを見つけた。八千代は胸が高鳴った。だが少年はゆかた姿の少女を見つけると、二人で暗い方の土手に行ってしまった。
八千代は見たのだ。少女の白い横顔を。八千代の胸の中にあった、ある文字はかき消されてしまった。ほのかな思慕という文字を。
由起子はお手伝いと話しをしていて、八千代の顔色にも気づかない。
孤独な八千代は、ボーイフレンドも持てなかった。里子がうらやましかった。里子の明るい性格が、人をひきつけるのだということは八千代にも分かる。勇も八千代もその一人なのだから。
アナウンスが、「しかけ花火、みちのや用品店様」と呼びかけた。
見事なしかけ花火が始まった。
八千代は、ただ目で追っているだけだった。
 
                             つづく。


 朝の風景 川土手に捨てられたままのローラー



 朝の風景 夏休みの校庭




 昨夜九時半、家は静けさを取り戻した。
プール熱を持ってきた小一の孫。熱はお盆すぎに出た。
長い間、疲労感のなかにいた私は熱中症と診断を受ける。小一の孫が元気になって、私を除いた家族八人は津南のひまわり畑に出かけた。ひまわりも見ないで五歳の孫も具合が悪くなる。やはりプール熱の感染。一足早く帰った大阪の孫、三歳と一歳にも感染が判明。

 五十沢キャンプ場にみんなで遊びに出かけるはずだった。
予定は狂ったが、キャンプ場は立ち入り禁止とか。この間の集中豪雨であちこちの山が傷つけられてしまった。
 楽しみにしていた裏巻機トレッキングも当分の間見合わせか。
 今年は予期せぬことが次々と起こる。猛暑の後は冷たい雨に変わる。
 神よどうか怒りを鎮めて。未来をになう子らのためにも平穏な日々を。