千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

2011年09月28日 | 日記


      
ずっと ずっと前から
秋が 好きだった
野山が 秋色に染まると
心がはずんだ
寒い 寒い 冬が近づいていることも忘れて

ずっと ずっと前から
あなたが 好きだった
あなたが 山に咲いていると
心がはずんだ
長い 長い 冬が近づいてくるのも忘れて

大好きな秋
大好きな山りんどう

もう一つ
秋が似合う
大好きな場所を見つけた
             
           ( azumi)


 昨夜から冷え込み方が違う。
 朝歩きも手袋が必要になった。
 朝霧が立ちこめるようになって、秋の訪れを実感する。

 明日まで晴れるようなので、せっせと客布団を干し、洗濯物をたくさん干し、片づけものをし、母の病室に向かう。
 気のせいなのか、孫が何度も見舞いに行くようになったからか、すこぶる母の顔色がいいのだ。透明感のある子供の声は、母の心の中にやさしく浸透していくのかも知れない。

 主治医が退院間近だと告げた。
 我が耳を疑ったが、さもありなん、という気がしないでもない。
 昨日、一昨日と半ば目を閉じていたが、顔色が日毎によくなって来ている。あと1ヶ月以内、場合によっては1週間ということもあり得る。そう宣告されたのは何だったのか。
 その問いに、寿命は寿命ですからね、との答えが返ってきた。
 寿命。寿の命。
 心臓も脳も、ぎりぎりのところまで来ているのに、母はまだ生きる力があるのだろうか。物も云わぬのに、すごい人だ。頭を撫で、頬寄せて、「お母さんまた明日」と言って病室を出る。
 母の目が、私を追ったような気がした。

 晴耕雨読。晴れた日に田畑を耕せるわけでもないし、雨や雪の日に好んで読書をするわけでもないが、自分らしく、のんびりと、悠々自適な日常を過ごすのが私にふさわしいかな、と思っている。
 母の病室に通い、母が眠っている間、文庫本を読むのが日課となっている。それも書店で購入せずとも、再読という読み方で。20年も前に読んだ原田康子の作品が11冊あった。「満月」、「恋人たち」と読み進み、現在「風の砦」。
 母が退院すると、読書欲は減退するだろう。あるいは中断するかも。気持ちに張りがあるときは何かに集中できる。だが、箍がはずれたように腑抜け状態になるのが目に見えている。
 しばらくしたら、物置にしまい込んだスケッチブックなども引っ張りださなくてはと思う。下手くそで、落書き帳でしかないのだが。

 今朝の散歩途上の川。霧が濃かった。



 ミゾソバ(タデ科)まだ色が薄い。



 今朝の一品。
 切り干し大根と油揚げの煮付け。





秋の彼岸

2011年09月25日 | 日記


         
 敬老の日が19日の祭日。
 20日が彼岸の入り。
 仏壇のある家は結構忙しい。
 祖先を敬う気持ちや、信仰心の篤い家庭では仏様への気配りが大変である。
 母方の叔母3人はキリスト教信者なので、仏壇に手を合わせることはない。
 人それぞれ、無宗教であってもとやかく言う必要もない。
 亡き父は無宗教だった。形だけは世の習いに準じていた。
 肉体は亡びても魂は残る。
 父の魂はまだどこかにいるのだろう。残った妻、娘たちの最期を見届けるまでは、きっと。
 父の考えに賛同した少女期の私。人として生まれて、ある時期訪れる「自我」、自分というものの意識。その意識は少女期にはいっそう強まる。まだよく分からない。私もそのうち、新たな生命の心の中に宿って、「自我」が芽生える時を迎えるのかも。そう考えると、生きるって不思議で面白い。
 こんなことを書くつもりではなかった。
 孫たちが声をかけたり、集金人が来たり、落ち着いてキー打ちなど出来はしない。
 彼岸の入りから彼岸明けの明日まで、仏壇へのお供えを欠かさないので忙しくはある。
 死後の世界、宗教など、未だ分かっていないが、父が仏様になっていようといまいと、お供えをすることだけで、心が安らげる。
 大したものではないが、簡単につくったあたたかいものをあげている。
 地元に嫁いだ女たちは、こうしたことを苦もなくこなすので頭が下がる。

 9月23日。
 彼岸の中日。
 朝歩きはやめて、早くから「おはぎ」の用意。大きい小豆にしたので、半殺しのおはぎになってしまった。
 パック詰めの小豆を利用したこともあったが、娘に見破られた。母がコトコト煮た小豆の味を娘は忘れなかった。以後、自分で煮る。



 仏様たちは、23日の中日に自分のおはぎを持って、仏の集まりに参加。だから、朝早く美味しいおはぎ(春はぼたもち)を作ってあげなければ会合に間に合わない、と言われている。つまり、朝寝坊するような女は、嫁失格というわけだ。



 9月24日。
 早朝歩きで萩の花を見かけた。
 この家の垣根にあったような気がして、歩く道を変えた。
 ご夫婦だけの閑静な佇まい。萩の花が似合う家。
 息子さんたちは、大学教授になっているらしい。



 今朝も散歩を休んで、「炊き込みご飯」作り。
 春、山で採ったネマガリダケ、自家製のゴボウ、人参、コンニャク、油揚げ、ヒジキを入れて炊いた。シソの実を上に。

 ご近所から青いトマトをいただいた。青いトマトのチャツネ、一夜漬けに変身。



 母は顔色もよく、状態が落ち着いて見える。
 午後から病室に行く。



生きているって

2011年09月22日 | 日記

     
生きているって
こんなにも簡単で
ただ人並みな
生き方をしていれば
充分
心地よい
空気を吸っていられるかも知れないのに

生きているって
こんなにも難しく
一つの言葉さえ
あなたに届けるのが困難で

心から
あふれる言葉の代わりに
あなたに
そっと手を合わせた

ありがとう
言葉も交わせないあなたに
私の心など
届いたのだろうか

                      (azumi)

 声をかけてあげようかな、私が声をかけるのはお邪魔虫?
 そんなことを思っているうちに、時間も季節も過ぎてゆく。

 またもや、列島を荒れ狂って横断した台風15号。
 大きな爪痕を残したようだ。
 今年はどうしたのだ。

 季節の変わり目。
 心を通りすぎる風が寂しい。



 私は人を押しのけるのが苦手。出席した会で言われた言葉。azumiはでしゃばらないで、そっと傍らで人の話を聞いている。自分を出すこともない。そこが、いいとこなんじゃないの。そう思ってきた奴が、ここにも何人もいるよ。そうだろうか、そこが欠点の一つのような気もする。目立ちたくない。地味。表とは裏腹に、自己主張が強い内面。


 昨日の台風には参った。
 大雨警報が出る。
 夕方の魚野川は濁った水が満杯状態。
 このまま降れば、7月末の土砂崩れが再び襲いそう。
 台風が直撃した関東の妹の一人は自宅脇の物置が壊れたようだし、もう一人は高速道路を走らなければならないとメールを寄こした。
 落ち着けずにいたが、絶え間なく降っていた雨は小降りになり、ぴたっと止んだ。
 台風状況を確認して床に就いた。

 朝止んでいた雨が、また降り出した。
 お彼岸、父の仏壇にあたたかいものをあげる。

 「しょうたれそうめん」にした。

 しょうたれ。方言である。 不潔、不精者の意味。

 「しょうたれそうめん」というのは、ゆでてそのまま水にさらさないで、醤油などをかけて食べることで、「じごくぞうめん」という所もある。
 集落の会合や青年会の役員会などの数名の集まりや、学校の先生方の残業など、夜遅くなると、何か夜食が食べたくなる、
 そんな時、最も手軽なのが、この「しょうたれそうめん」である。どんぶりに盛り、醤油をかけ、熱いのを吹きながら食べる気分は格別である。鰯の缶詰でも切れば最高である。(「しみわたり 魚沼の方言」 南雲源二著から引用)

 亡き父は「しょうたれそうめん」が好物。
 よく自分で作っていた。
 旨そうに食べていた姿を思い出す。

 明日は彼岸の中日。
 「おはぎ」用の小豆を煮ておいた。

 近所からのお裾分け。イチジク6ヶをジャムに。シナモンをパラっとふりかけた。美味。



 今朝の散歩途上。つかのまの雨上がり。












青いアサガオと虹

2011年09月19日 | 日記

 
 9月18日。
 風がなかった。
 朝から猛暑の予感。
 夜が明けて間もない山は、頂きの向こうに日の光を白い雲に反射させ、すでに快晴の前兆か。
 だがそれは一瞬のことで、山裾から舞い上がった霧はあたり一面山までをすっぽりと覆い尽くす。
 こういう光景に度々出会う。
 日の出が見えそうもない川土手で、9月になって咲き始めた青いアサガオを撮る。
 目にやさしい花。
 青いアサガオ。
 風に乗って運ばれてきたのか、花の青さに心が和む。



 暑い、暑い一日になりそう。
 参加できなかったフリーマーケットの会場を覗いてみた。
 暑い中、よくやっていること。
 客足はまばらだった。
 いる、いる、元気なお仲間たちが。
 元気をもらいに来たと告げたら、たくましい二の腕で、ハイ!タッチ!してくれた。

 今年の私は、なあんにも出来なかった。仕方ないよね。

 そうよ。
 誰もが通る道だもの、夢はいつでも追える。
 終わりっていうことはないんだから、身辺が落ち着いたらまた歩き出せばいいのよ。
 同年配、ロマンあふれた絵を描く大先輩と少し立ち話。
 落ち着いたら、彼女のアトリエを訪ねたい。

 元気な人たちのお仲間に、昨年から参加している私。
 だが、非活動ではある。
 みんなの笑顔に元気をもらって、母の病室に急ぐ。

 母が少し回復したのではないか。気のせいなのか。
 薄目を開ける間隔が長くなった。
 私の気配、人との会話も聴き取っているのではないかとも。



 診療所を出たら、虹が出ていた。
 途切れて見えたが、夢の架け橋みたいで、慌ててデジカメのシャッターを押した。
夕 刻から雨になる。

 娘と孫たちが、3時間かけて車でやって来た。
 お母さんは疲れているだろうから、子供たちと遊んであげて・・・
 言葉に甘えた私は、びちっとくっついてくる子供たちの相手をした。
 5歳の孫とプリキュアの着せ替えをして遊び、
 7歳からはゲーム機のやり方を伝授。さっぱり分からないので、見るだけにした。

 9月19日。
 窓外を見ているような母。見えるのか。
 昨日よりも目が開いている。
 孫たちが来たときは、目や口元に動きがあった。
 おばあちゃん、元気じゃん。
 孫の声が明るかった。
 私はばぁばで、母のことはおばあちゃんと言う。

 母の看取りを診療所にお願いすることに同意した日から今日で8日目。
 原田康子の「満月」を病室で読み終えた。
 20年前の文庫本の再読。
 現実にはあり得ない、夢のような、ファンタスティックな小説。あらすじを忘れかけていたが読み応えがあった。

 青いアサガオ、虹、満月、つなぎとめようと思えばつながらないこともない。
 久々に柔軟な心を取り戻した私。
 雨が気温を下げた。



2011年09月17日 | 日記

          





 靄っているのか、工場の煙があたり一面ただよっているのかわからなくなる。
 日の出前。
 知人が犬を連れて通った。
「霧かな~、煙突の煙かな~」
「霧だよ。霧」
 そうかな~。
 犬に引っ張られるようにして、彼女は角を曲がって行ってしまった。
 一人になって先を進んで、彼女と見た靄の風景は切れ間がない。
 見慣れた風景が遮断されてしまうと、全く違う世界に映るから不思議な感覚。
 時間があればしばし佇んで、湧き出た言葉を頭の中に書き留めるのだが、今の私は心の余裕がない。
 早めにウォーキングを切り上げて、庭の植木鉢の水やり、草取りが待っている。少しの時間PCを開いて、朝食の準備に切り上げる。
 一見、テキパキと行動しているように見えて、やることがのろまなので、自分でもあきれてはいる。
 4時半に起きても、家を出るのが1時間近くも後。時たま、5時過ぎに家を出ることもある。日が短くなって、5時は薄暗い。

 風景が消え、黄金色の田んぼだけがあざやか。
 稲穂の香り。
 実りの秋。
 母は、どんな夢を見ているのだろうか。
 朝陽が顔を出すと、さっと靄は消えてしまった。
 ここまでは、昨日の話。

 母の病室に花が活けられていた。
 今朝、川辺で会った方が届けてくれたようだ。
 心が嬉しい。
 昨日の母を見せたかった。
 夢見るようなおだやかな顔をしていた。
 今日は顔に歪みがある。
 顔色も少し気になる。
 看護士が、テキパキと胃ろうにチューブ食を注入する。
 まだまだ大丈夫。元気、元気。
 意識のない母に言葉がけをしてくれる。
 だが姉妹3人、主治医から話を聞かされたばかり。
 そう長くはないだろう、母の状態を。
 時々薄目を開けるが、目の前に誰がいるのか分かっていないだろうことも。
 時間になった。
 お母さん、またあしたね。
 母の頭を撫でて、軽くほほ寄せて病室を去る。

 夕方近く、雨が降り出した。
 あの猛暑はどこに行ったのか、病室で冷えた身体が持続する。
 とても疲れた。



 最近すっかり忘れていた、揚げ豆腐のあんかけ。
 昨夜作るつもりが、今朝になった。木綿豆腐は水切りしてある。こんがりと油で揚げて、醤油は薄め、料理酒、味醂、白だしで整えた。オクラも添える。
 夫の田舎に行ったとき、豆腐屋の揚げ出し豆腐が美味しかった。店に置いたら、すぐ売り切れる。それも朝のわずかな時間に。
 その後、こちらでも居酒屋の一品に注目されるようになった。
 スーパーのパック詰めは、美味しくない。
 揚げて、すぐに調理するから旨味が出るのだろう。

 陶芸をやっている妹が大量に器を持ってきてくれたので、その一つに盛りつけてみた。
 ううん、なかなかいい。
 食器棚の器の大半が、妹の器に入れ替わった。
 下手な料理でも、器一つで見栄えがするから不思議。

 朝の私は、大気を思い切り吸い込んで元気だ。
 これからは心して、自分の身体も労っていかねばと思う。

 ブログ・・・書けない日々が近づきつつある。