ずっと ずっと前から
秋が 好きだった
野山が 秋色に染まると
心がはずんだ
寒い 寒い 冬が近づいていることも忘れて
ずっと ずっと前から
あなたが 好きだった
あなたが 山に咲いていると
心がはずんだ
長い 長い 冬が近づいてくるのも忘れて
大好きな秋
大好きな山りんどう
もう一つ
秋が似合う
大好きな場所を見つけた
( azumi)
昨夜から冷え込み方が違う。
朝歩きも手袋が必要になった。
朝霧が立ちこめるようになって、秋の訪れを実感する。
明日まで晴れるようなので、せっせと客布団を干し、洗濯物をたくさん干し、片づけものをし、母の病室に向かう。
気のせいなのか、孫が何度も見舞いに行くようになったからか、すこぶる母の顔色がいいのだ。透明感のある子供の声は、母の心の中にやさしく浸透していくのかも知れない。
主治医が退院間近だと告げた。
我が耳を疑ったが、さもありなん、という気がしないでもない。
昨日、一昨日と半ば目を閉じていたが、顔色が日毎によくなって来ている。あと1ヶ月以内、場合によっては1週間ということもあり得る。そう宣告されたのは何だったのか。
その問いに、寿命は寿命ですからね、との答えが返ってきた。
寿命。寿の命。
心臓も脳も、ぎりぎりのところまで来ているのに、母はまだ生きる力があるのだろうか。物も云わぬのに、すごい人だ。頭を撫で、頬寄せて、「お母さんまた明日」と言って病室を出る。
母の目が、私を追ったような気がした。
晴耕雨読。晴れた日に田畑を耕せるわけでもないし、雨や雪の日に好んで読書をするわけでもないが、自分らしく、のんびりと、悠々自適な日常を過ごすのが私にふさわしいかな、と思っている。
母の病室に通い、母が眠っている間、文庫本を読むのが日課となっている。それも書店で購入せずとも、再読という読み方で。20年も前に読んだ原田康子の作品が11冊あった。「満月」、「恋人たち」と読み進み、現在「風の砦」。
母が退院すると、読書欲は減退するだろう。あるいは中断するかも。気持ちに張りがあるときは何かに集中できる。だが、箍がはずれたように腑抜け状態になるのが目に見えている。
しばらくしたら、物置にしまい込んだスケッチブックなども引っ張りださなくてはと思う。下手くそで、落書き帳でしかないのだが。
今朝の散歩途上の川。霧が濃かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/10/b3c1ac5950f5f5c0be71ace3e32c63cf.jpg)
ミゾソバ(タデ科)まだ色が薄い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/14/575a2681693af532172925b28abecc85.jpg)
今朝の一品。
切り干し大根と油揚げの煮付け。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3e/81eb869cde52077da28b6da6c22f146b.jpg)