診察日に市民バスを使った。
朝は夫に送ってもらった。
まだ8時前、病院はガラガラだった。
時間はたっぷりある。
本箱の角川文庫「良寛」をバッグに入れて・・・
良寛を再読しょうと思ったのは、与板の良寛ゆかりの徳昌寺を訪れたことを思い出したからである。写真も撮ったがPCに残っていない。
幼名は山本栄蔵。出雲崎で生まれた。
生家の屋号は「橘屋」という廻船問屋だった。古くからの由緒正しい家柄であり、世襲によってこの地の町名主を受け継いでいた。石井神社の神官を兼務する名門の権勢を誇っていた。出雲崎は江戸時代に北前船が寄港港町で公益が盛んだった。佐渡金山、徳川幕府直轄の天領として代官所が置かれ、狭い土地でありながらも当時の港町はとても賑わっていた。
長男として生まれた栄蔵だが、後に山本家は代官所の申し渡しで取りつぶされることになり、古い記録が散逸しまったようだ。
栄蔵は学問に秀でていたが実務にうとかった。父は栄蔵に、豪農関根家の娘を妻にめとらせた。名門であっても金策で困窮していた橘屋は栄蔵の妻の実家にも足繁く訪ねて借金の申し入れを重ねたため、迷惑した関根家では娘を引き取ってしまう事態となった。
栄蔵に苦しい立場が続く。
家出。
出家への道・・・
大家の息子が簡単には寺に入れない。親に出家の意思は曲げられないと伝えたが、その間に入って取りなす人があり、親の許可が得られると共に、橘屋の後継者は栄蔵の弟由之に決まった。だが、由之は使途不明金で訴えられ橘屋は消滅することになる。
栄蔵は「良寛」の法号を与えられ、ようやく念願の出家得度することができた。
22歳で人生の再スタートを切ったその後の道のり、決して平坦なものではなかった。
玉島の円通寺から始まって、長い、長い修行の道が続いた。
修行から帰郷・・・
名門橘屋の消滅・・・
国上山の草案に移住。
霞み立つ 永き春日に 子どもらと 手まりつきつつ この日暮らしつ
(良寛)
子どもらと遊ぶ良寛はやさしさにあふれている。
晩年の貞心尼との出会い。
君にかく あい見ることの嬉しさも まだ覚めやらぬ 夢かとぞ思ふ
(貞心尼)
夢の世に かつまどろみて 夢をまた 語るも夢も それがまにまに
(良寛)
なんと美しい恋の歌だろう。
帰りは市民バスに乗る。
乗客は4人。
3人目の女性が下車するとき、運転する方は「クロッカスが綺麗ですね」と言った。
クロッカス?
庭を見ると真っ赤なグラジオラスが咲いていた。
「そうですかね~。ありがとうございました」
バスが動き出してから、一番前の座席にいた私は、思わず間違いを指摘してしまった。
「ああ、そうでしたね。クロッカスは春の花」そう言って笑い出した。
「すみません。私もよく間違えます。名前がでてこなかったりで・・・」
それから、その方と楽しいおしゃべりをした。
「りんどう好きなんですよ」
「あら、私も」
「山のそばとかね」
「私も、夫と西山に行ったとき山のりんどうに出会って大好きな花になりました」
「西山ってどこですか」
指さして「あっちの山です」と私。
「小出に住んでいるので分かりませんね」
「お宅まで送ってあげればいいのですが規則でね。到着です」
昼間は暑くなる、予報どうりだった。
「ありがとうございました」
暑くなった昼下がりの道を20分、25分?歩いた。
さすがに疲れた。お腹も空いた。
ホソバヒマワリ
天候不順のせいか花がよく育たない。
何日かおいて、市民検診のため市民バスに乗る。
越後交通もだが、利用者が減少しているのでバスの本数が少ない。
坂戸橋橋詰めから市民会館まで結構な距離を歩く。
市民会館駐車場で知人に出会う。
「乗せてあげようと思って車を止めたのに気がつかなかったみたいだね」
「気がつかなかった」
検診会場で、帰りは一緒に帰ろうと声をかけてくれたが断った。彼女のやさしさは嬉しいのだが、市役所に寄らなければならない。
だが、内心足腰が痛くてガタガタなのだ。公民館文化祭が近づいて、変な姿勢で作業?をしていることもある。
市役所を出ようとしたら、駒澤大学生に捕まってしまった。バスの時間がない。2分でいいですのでアンケート調査にご協力お願いします。駅前まではバスの時間は無理と諦めた。簡単なアンケート調査だった。
もう夕方のバスしかない。越後交通の。
図書館で時間をつぶした。
その日も、ガタガタ、クタクタになった。
りんどうが咲いた。
市民文化祭に出展する油絵
「ひまわりの約束」を歌う少女 F15
大源太 F15
昨日描き終わったばかりなので乾いていない。
相次ぐ大気の変動は眼を覆うばかりだ。
地球温暖化
海水の温度上昇により、今まで経験したことのないようなさまざまな現象をもたらすという。
自分の命は自分で守る・・・
命 守れますか。