千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

日だまり

2012年11月29日 | 日記

    
あなたから奪いとるものなんて
何にもないのです
そんなつもりもないのです

冬を前にして
晩秋の日だまりを
少しだけ心に残しておきたかったのです

冬の陽は
大切なものだから
みんなのものです
だから晩秋の日だまりを
少しだけわけてもらったのです

あなたが頬に
ぬくもりを感じてくれたら
それは
あなたにも
日だまりをわけてあげたいと願った
私の心なのです

言葉で伝えなくても
分かってくれたかも知れない
心のメッセージです
                     (azumi)


 母の一周忌法要が無事終了した。
 親戚や娘夫婦が手伝ってくれたにも関わらず、前々からの準備もあって、抜け殻みたいに気力を失った。言い知れぬ脱力感が襲う。
 天候が不順だったが、その日は曇り後晴れになった。

 そして今日、雪になってもおかしくない寒空である。


 お家ご飯

 大根とホーレンソウの塩麹サラダ



 ホーレンソウは生野菜用。ハムを少々。塩麹をまぶすだけのあっさりサラダ。
 畑から抜いたばかりの大根は水分が多いので、早めに食べきったほうがいい。


 油揚げ、ヒジキ、人参の煮付け



 料理酒、味醂、醤油、水を加えて落とし蓋。弱火でコトコト煮る。
 油揚げの油抜きを怠たらないこと。コンニャク、大豆を加えたりの我が家の定番。


 野菜の煮込みスープ



 適宜に切った鶏もも肉、人参、ジャガイモ、キャベツをオリーブオイルでさっと炒め、水を加え弱火で煮込む。アクを取る。スープの素を入れる。ブロッコリーは硬めに茹でておく。野菜が柔らかくなったら牛乳少々、塩コショウで味を調える。ブロッコリーを加えて火を止める。


 ブリ大根



 大根二本。皮を剥き、三センチくらいの厚さに切る。面取りをし、十字に包丁を入れた。米のとぎ汁で柔らかくなるまで茹でる。茹で上がったら、そのまま茹で汁ごと粗熱がとれるまで冷ます。冷めたら、冷水で洗う。何度か水を替えながら、たっぷりの冷水にさらしておく。
 ブリのアラは、兜を割ってあるパック詰めを使用。粗塩をふって混ぜ合わせてから流水で洗う。
 沸騰した湯を、ザルにのせたアラにゆっくりと回しかける。表面が白くなった霜降り状にする。
 これをたっぷりの冷水で、何度も丁寧に洗いきれいにする。

 霜降りにしたアラを鍋に入れ、酒、水を加えて、強火にかける。
 沸騰したら強めの中火にして、出てくるアクをとる。沸騰が続いた状態で、アクが出なくなるまでこまめにとる。
 アクが出なくなってきたら、中火にして、薄くスライスしたショウガを加える。

 下茹でをして水にさらしておいた大根を入れ、五分ほど中火で煮る。
 大根が温まったら、みりん、砂糖を加えさらに三分ほど煮る。
  醤油を加えて、落とし蓋をして、火を弱め、コトコト煮る。
味加減は、薄目にして、時々加減を確かめる。ストーブでの煮炊きが多い。時間がたっぷりあるほど、美味しい煮物ができる。
 皿に盛ったのは、一人一食用。
 刻んだゆずの皮をブリ大根の上にのせた。美味しい。




 一昨日、病院で。
 雪が舞い降りてくるので、積もるのかと思った。
 この木を病室から眺めていたのだ。早いものだ。もう一年になる。

 雪は積もらずに、昨日は晴天。
 八海山がこんなにはっきりと間近に見える。






 そして、今日は朝から暗い雨の一日となった。
 私、整形外科のリハビリが終了した。
 まだ釈然としないが、自宅での復習と、自分の身体は自分で守るということなのだ。
 そうだ、腑抜けになどなってはいられない。

 深呼吸をして、大きく背伸びをした。

伊勢正三コンサート

2012年11月18日 | 日記


 伊勢正三「風」ひとり旅コンサート
       ~時は流れて~

 何年ぶりだろう。
 市民会館大ホールに入るのは。
 座席数1224。もう満席に近く、次々と人で埋まっていく。
 開演前から熱気を感じた。
 伊勢正三。
 TVのBSで歌声を聴いて間もない。

 22才の別れ
 なごり雪
 海岸通り
 ささやかなこの人生

 これらの曲はよく知っていた。

 開演。

 アコースティックギターを抱えて伊勢正三が登場。

 前の方の座席だったせいか、もの凄い音響。



 皆さん、こんばんは。
 伊勢正三です。
 お忙しい中、平日にもかかわらず万障お繰り合わせいただいて、ようこそお出で頂きました。
 南魚沼と言えば、魚沼米で有名なところ、この会場にもお米農家の方がいらっしゃいますか?

 大拍手。

 トークがいい。ギター演奏と歌が流れる。

あなたに「さようなら」って言えるのは
きょうだけ
明日になって またあなたの
暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして
わたしには鏡に映った
あなたの姿を見つけられずに
わたしの目の前にあった
幸せにすがりついてしまった
          (伊勢正三作詞作曲 22才の別れ)

 音楽の世界からしばらく遠ざかっていた頃、
ここの魚野川ですか、その支流の五十沢川によく来てたんですよ。
 渓流釣りにね。
 勿論、誰も知らないはずですが・・・
 音楽の世界にまた引っ張り出されて、暇がなくなってしまいました。

 客席は、へぇ~っというどよめきと笑いと拍手。
「しょうや~ん」
のかけ声もかかる。

 トークは面白かった。

 歌ではなく、ラジオ局のパーソナリティーをやったことがあるんですよ。
 大源太に来ましてね。あそこの川は大源太川ですね。などなど。

 長岡でコンサートをやったときね、ちょうど大林宣彦監督が映画を撮っていらっしゃって、会場にお招きしたらお出で下さって、映画の主題歌をやらせてもらえることになったんですよ。などなど。

 最後に近く、会場は熱い熱気と音響に総立ち状態。
 両手を上げ、叩く、腰を振ってリズムを取る。

 私・・・

 伊勢正三さん、しっとりとした大人の歌を聴きたかった。
 私の心の声は届かない。

 伊勢正三「風」ひとり旅コンサート
 南魚沼市民会館大ホールのコンサートはこうして終わった。

 近くの居酒屋で、遅い食事と生ビールでお腹を満たす。

 女3人。

 ギターをやっている友は、伊勢正三のギターは抜群に上手い、飾らない人間性がよかったと言う。

 伊勢正三、61才。私と同い年だ、と彼女。

 もう一人の友と私は、よかったの声がでなかった。

 昨日は睡眠不足で書けなかった。
 そして今日、
 You Tubeで伊勢正三を聴いた。
 TVの声と同じだった。

 いい声だった。


 冷たい雨が降っている。
 市長選挙の投票日だった。

 寒空の朝散歩。八海山も寒そうである。





旋律のような

2012年11月10日 | 日記

 
再び
深い秋が訪れて
さまざまな色を寄せ集め
私のまわりで
旋律のような糸を紡ぎはじめる
ルン ルン ルン
ルン ルン ルラ ルラ ラ

再び
深い秋が訪れて
秋は
さまざまな色を呼び集め
私のまわりで
私の思い出までを紐解こうとする
ルン ルン ルン
ルン ルン ルラ ルラ ラ

私のまわりで
秋は
人恋しげな旋律を奏で
たった一つの思い出糸さえも
もつれさせようとする

一体何のために
そんなことは知ったことではない
とでも云うように

                        (azumi)





 一時間ほども斜面を登りつづけ、体は汗ばんでるのに震えが来た。肉体と魂が粉々になって、森の養分になっちゃいそうだ。自分がだれで、どこにいて、何を目指せばいいのかわからなくなるぐらい、俺は山の空気に圧倒されていた。
「勇気」
 と清一さんが呼びかけてきたのは、そのときだ。
「ほら、きれいだろう」
 清一さんのチェーンソーが指さしたさきを見る。大人が一抱えするのもやっと、というほど、大きな杉の切り株があった。朽ちて苔むした切り株のまわりは、森の密度が少し低い。
 切り株のそばで、二メートルほどの高さの木が枝を広げていた。細い枝はすでに葉を落とし、かわりに小さな赤い実を無数にぶらさげている。やさしい炎だ。 遠くから見る街の灯のようだ。
「マユミという木だよ」
 清一さんは言った。「山は近寄りがたくて恐ろしいばかりじゃない。だれも見ていなくも、こんなきれいなものを、毎年ちゃんと実らせる」
 清一さんは、はじめて本格的に神去山に足を踏み入れた俺を、注意深く見守っていてくれたんだろう。おかげで、落ち着きを取り戻すことができた。俺は清一さんを振り返り、「もう大丈夫です」とちょっとうなずいてみせた。
                  (三浦しをん著『神去なあなあ日常』より)

 高校を出たら、適当にフリーターでもしてと、人生の展望も持たなかった都会の若ものが、三重県の神去村に送り込まれることになってしまった。林業を生業とする過疎の村。会社組織で構成され、村じゅうから働きにくる。こんな山の中、逃げだそうとも試みた若ものが、いつか変わっていく。「なあなあ」な神去村の生活になじんでいく。

 神去の神さまを祀る四十八年に一度の大祭が今年ある。神去山の巨木を一本切り倒し、山腹まで運び下ろす。選ばれるのは千年杉。
 ふだんの祭りは樹齢百年~二百年ほどのを切り倒す。
 初冬ともいえる十一月の半ば、男たちは夜中の神去川で禊ぎをし、白装束で身を包み、山を登る。
 訳あって、晴れて大祭参加を許された若ものが、難行に耐えかねているときに背後から声をかけたのがおやかた(社長)の清一だ。

「マユミという木だよ」

 文字を追う私の涙腺が緩みだし、止まらなくなった。
 マユミの実への思いがこみあげて、最終章を一気に読んでしまった。

 千年杉が、男たちを乗せたまま加速度を増し、山腹を滑り降りるシーンは感動だ。


 マユミ(ニシキギ科ニシキギ属)




 初めて山でマユミを見たのは2007年11月5日。
 湯沢トレッキングコースを歩いていた。
 晩秋の山中。葉は落ち、丈の短い枝にくっついていた濃紅が目に入った。
 何の実だろう。分からないだけに可愛らしく、目に焼き付いた。
 帰宅してすぐに調べた。
 果実は枝にぶらさがるようにしてつき、小さく角張った四裂の姿。
 秋の果実の色は、白、薄紅、濃紅と異なるが、どれも熟すと果皮が四つに割れ、鮮烈な赤い種子が現れる。

 その後も何度か、晩秋の山をマユミを探して歩いた。
 会いたいと思うとなかなか会えない。
 一途である。
 清津峡にも紅い実をいっぱいつけた木があった。だが山中で見た可憐ではかなげな風情はなかった。

 マユミ(真弓)

 生を受けてまもなくこの世を去った私の双子の妹の名前。
 山でマユミの実に出会って以来、真弓に重ねてしまう私である。

 晩秋の山を歩きたい。


 お家ご飯。

 カキノモト。
 好みのタレでいただく。沸騰した湯に酢を入れて、さっと湯がく程度に。シャキシャキ感がいい。




 豆腐ハンバーグ。



 我が家の定番。水切りした木綿豆腐。玉ねぎ、鶏挽き肉、塩麹、いずれも少々。オリーブオイルでじっくり焼く。塩麹を加えるとふっくらやわらかハンバーグになる。醤油、味醂、水溶き片栗粉でタレをつくる。


 豚肉とピーマンの塩麹炒め。



 緑のピーマンが畑で赤くなる。色鮮やか。塩麹をまぶして少しおいて、オリーブオイルで炒めた。

 むかごご飯。




 庭の山芋のツルからむかごがたくさん採れた。
 ご飯にするのは初めてなので、レシピを検索。
むかご      百五十グラム
米            三合
昆布        十センチ片
酒          大さじ一
塩       小さじ三分の二
醤油      小さじ二分の一
 むかごは水で洗っておく。炊飯器に研いだ米三合、水も三合の目盛りに合わせる。昆布はそのまま。酒、塩、醤油、むかごを入れる。炊き終えたら昆布を取りだし、むかごを混ぜ合わせる。ふっくらとおいしいむかごご飯が炊けた。

 大根葉のふりかけ。



 大根一本分の葉。洗った葉を細かく刻んでサラダオイル(あるいはごま油)で炒める。水分を飛ばすように。醤油、みりん、和風だしで味を調える。美味しい。


秋山郷から奥志賀へ

2012年11月02日 | 日記


 平日なのに、秋山郷は観光客でいっぱいだった。
土産物店、休憩所には立ち寄らなかった。

 切明。
橋の下を流れるのは中津川。
雑魚川(ざっこがわ)は秋山郷から中津川となり信濃川に合流する。



 ふところに秋山郷を抱き、中津川を挟んで苗場山と対峙する山が鳥甲山(とりかぶとやま)である。



 上信越の山々。



 車を駐車して、名瀑大滝(おおぜん)まで歩く。20分くらいと聞いたからである。



 ブナ林を歩く。



 途中で景観が変わった。

 右下には雑魚川が流れている。渓谷である。途中、谷川のような支流がいくつもあった。木の橋を渡った。イワナらしき魚が泳いでいた。水も澄んでいた。




 危険防止のロープが。要注意。リハビリ中の私である。




 遊歩道になっているのだが、滝に降りる道は急勾配で、梯子にロープが渡してあった。
夫が下の方で、私の様子を窺っている。
ゆっくり、ゆっくりと歩を進める私。

 大滝(おおぜん)に到着。
(落差25M 幅10M)とある。
以前の私ではない。さすがに足が竦んだ。



 帰路がきつかった。
言葉は汚いが、
「コンチキショウ!」
「コンチキショウ!」
と、自分にかけ声をかけて山道を登った。
喉の渇きと、鼻の辺りまで血が上ってくる感覚。



 谷川の水を汲める場所があった。水筒に汲んで、水分補給をした。たくさん飲んだ。水がこんなにも美味しいとは。
勾配がない平地になったら、平常心に戻っていた。山登りとも、トレッキングとも言い難いのだが、あの疲れは何だったのだろう。やはり無理は禁物ということなのだろう。
平素の自己管理、自己トレーニングの重要性を再認識したことである。
20分では行けなかった。
ネットには40分と書いてあった。
私は、その倍かも。

 駐車場前のブナ林。
奥志賀、秋山郷の紅葉は今が盛りである。
来年はもっと足を伸ばして、志賀高原の秋を楽しみたいものである。



 車の往来が少なくなる時間帯、狸や猿が道路に出没して木の実などを食べていた。
山は本来、動物の住処がある場所だということを忘れてはいけない。

 夕陽も山を下る途中で見た。おぼろな秋陽が、心の目に残る。