千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

冬の風船

2014年01月26日 | 日記

あなたに
謝りたいことが
いっぱいあります
あまりにも
小さな 小さな人間だからです

あなたに出会うこともなく
それでも
謝りたい言葉を探しています

いつの日か
あなたに出会っても
探した言葉を想い出せないでしまうでしょう

心がはちきれて
言葉の一つ一つは
意味をなさず
どこかに飛んで行ってしまうでしょう
                        (azumi)





真っ青な空
真っ白な雪

こんな広い空間に
色とりどりの風船が飛ぶ
ふわふわと
大人も子供も
ふわふわと
風船を追いかける

老人も動物たちも
ふわふわと
風船を追いかける

真っ白な雪の上を
ふわふわと

 一瞬の夢心地から解き放たれたような私・・・
 白い世界には何事も起きなかった。

 来た道を帰る。
 雪のない車道を帰る。

 歩道に、側溝からの水を流している家がある。歩道の雪が解けるし、一石二鳥ではある。だが気温低下の日は、午後になっても凍結したままだ。滑ると怖いから、避けて通る。

 行きも帰りも、車道のはじっこを歩いた。




 晴れた日の好きな情景。
 真っ白でまんまるな雪と、その下を流れる川。
 雪面がキラキラ光っていた。




 桜の木の間に八海山が見えた。
 昨年の大雪で、あちこちの桜木の枝が折れた。
 我が家の木も折れた。ずらりと並ぶ添え木に大雪対策が窺える。



 白菜と鯖水煮缶の蒸し煮



 白菜、七、八枚、ザク切りにして鍋にいれる。その上に、鯖水煮缶、醤油、味醂、料理酒、輪切り唐辛子、いずれも少量を加えて、蓋をして中火で加熱。十分ほどで蒸し上がる。鯖は味噌味でもよい。簡単で美味しい。

 雪の下で自然貯蔵しているせいか、水分と甘味があって、雪国ならではの美味しい野菜になるのかもしれない。





書けなかった日記

2014年01月19日 | 日記

 八海山へワラビ採り  2013・5・29(水)

 確か、この辺だった。
 雑木林に隠れたような登り口だ。
 夫が鎌で枝切りをしながら先導してくれなかったら、私の体力では登れそうもない。いや、登れなかった。腰椎すべり症のせいだ。
 木の枝に捉まりながら、一気に登った。登れた。何くそ、という根性はある。
 夫はすでに到着か。
 話し声が聞こえる。

 雑木林の急勾配を抜けたら、そこは営林署管轄の杉を伐採した広大な山地。
 目の前の切株に、汗びっしょりの女性が腰をかけていた。
「こんにちは。早いですね」
「五時にここに来たんですよ」
 女性は、真っ赤に上気した顔の汗を拭いている。
 そばに、ワラビが入っていると思われる重そうなザックや袋がいくつも置いてあった。
「凄いですね。これ全部ワラビですか」
「まあまあです。早く来ましたから」
 向こうから、もう一人の女性がやってくる。
 少し恥ずかしそうだ。
 夫は、その先を歩いていた。
「見られたかもしれない」
 私は、すぐに納得した。
「大丈夫ですよ。山に入れば、こんなことよくあることです」
「でも、慌てました」
 気持ちをほぐすように、少し話しをした。
「地元の方ですか」
「地元です」
「都会から来た方だと思いました」
「えっ、冗談でしょう。地元の人間です。山菜採りは下手ですけどね」
 彼女たちは、塩沢方面から来たようだ。
 ここでの山菜採りはうるさくないと聞いていた。だから、何度も来ていると言った。
 国有林地だ。山菜採りは、誰が入ろうと自由だと思う。山菜採り禁止の立て看板のある地域が、魚沼のそこかしこにある。山野草を乱獲され、絶滅危惧種となった経緯はあるが、山を荒らすこともない山菜の採取はいいのではないかと思う。根こそぎ採らなかったら、再生するのだから。


 小さな花、キジムシロ(バラ科)が咲いていた。



 杉を伐採した後に、植林した杉の子が直立できないままでいる。冬の豪雪のせいだ。あちこちに芽を出しているワラビ。それも少ない。腰を曲げると疲れるので、切株で休み休み、夫とは反対方面に進んだ。
 昨年はいっぱい採れたが、今年は少ないのかもしれない。



 眼の前に見える八海山。
 まだ残雪がある。
 左手も国有林の杉林。正面の杉林の下は、八海山スキー場へ向かう道路。右手は登ってきた山の、杉を伐採した原っぱ、原っぱの斜面の上にはこの杉林・・・



 歩くほどに、ワラビの芽がヒョンヒョン伸びている。腰の痛みはどこかに吹き飛んだ。



 このワラビは摘み始めた頃撮った。重くなったので、リュックサックに収納。 そのとき、携帯電話も入れた。手にも袋を持つ。
 私にしては大収穫だった。

 シオデ(ユリ科)



 さて、八海山が目の前に見える杉林にきた。左手は営林署の車の轍の跡、右手はスキー場への道路の真上で通せんぼ。その上の杉林を抜ければ、近道だと思い込んでしまった。
 杉林は、けっこう急な斜面だった。雑木の枝に掴まりながら降りたら行き止まり。しかも下は暗い崖に見えた。その場所で、夫に携帯電話で助けを求めた。夫は夫で、電話しても出ない私が崖から落ちたか、救助隊でも要請しなければならないと真剣に考えたそうである。リュックサックの電話音にも気づかず、頭が混乱してしまっていた最中のことである。方向を見誤ったのである。
 そこで待っているように、と言われたにもかかわらず、必死で這い上がった杉林を抜けたすぐそこに夫が立っていた。





 教訓 通った道を帰るべし。

 この日記はボツにしようと思っていたのだが、後日、夫も同じ体験をしてしまった。同じ山で。
 知人に話すと、知人が子供時代、ぜんまい採りが好きで山に出かけていた母親が、道に迷って、恐怖心からか、以後山菜採りをしなくなったそうだ。

 山を下りて、道路横の側溝をまたごうとしたら、なんのはずみか側溝に落ちてしまった。水は流れていなく、ふくらんで重いリュックごとはさまった状態。

 教訓 最後まで気をゆるめるなかれ。



 追記

 腰椎すべり症は、現在安定した状態。
 筋力も復活してきた。
診療所でのリハビリと、家でのストレッチが効果をあげた。

 昨年、右足の親指が外反母趾と皮膚科で診断された。新たな爪が四分の三まで伸びてきた。残りの爪が取れるのはもう少しだ。
 外反母趾の痛みがこんなにひどいとは・・・

 理学療法士は、トレッキングなどで足指に力を入れすぎ、大分無理をしてきたのではないかと言った。思い当たる節がある。

 雪のため、ウォーキングもストップ。
 太極拳は、昼間の教室が廃止になって、以来やめている。

 近々、ディスポート南魚沼トレーニングルームに出かけようと思う。




いつの日かあなたに

2014年01月12日 | 日記



いつの日か
あなたに
再びめぐりあうことがあったら

こんにちは

何のこだわりもなく
まっすぐ
あなたをみつめられる

そんな女でありたいと
いつの日も思ってた

ずっと昔から
そんな女でいたいと思ってた

逢えることの嬉しさも
逢えないことの哀しさも
別れることの苦しさも

ずっと昔に
知っていたから

いつの日か
あなたに
再びめぐりあうことがあったら

まっすぐ
あなたをみつめて
こんにちは!
                         (azumi)


 詩をつづるようになったのは、ずいぶん前だ。
 詩を書く人は、本質的に暗くて眼を通す気がしない。中傷とも言える拒絶の言葉を耳にして、以後、詩をつづることをやめていた。
 ところがある友に出会ってから、心に封印したものから解き放たれた。
 外観も明るく、密かに心の声をつづっていたとは気がつかなかった。
 社会に対する怒り、人間としての生きるべき道を、端的に表現していたのである。
 私のように、一冊のノートを埋めていく書き方ではなく、その辺にあった紙切れを破いて、その時の心を吐き、紙片をポケットに、という表現方法。
 忙しく店を切り盛りしていた彼女ならではのやり方である。

 昨今は、詩を書く比率が減ってしまった。
 あきらかに情熱の欠損である。
 心に燃えるものがない。

 寒波が来て、心までも震えがきている。
 太陽が出てくれれば、心も晴れ晴れとしてくる。



 西の海辺で育った夫は、雪国の気候変化に身体が順応できず、困惑していた時期がある。知らず知らずの間に体質改善されてきたようである。畑づくりをする。地域にとけ込み、いろんなイベントにも参加、人との和にとけ込んでいる。



 遠藤ケイの、「熊を殺すと雨が降る」を読んでいるのだが、一向に進まない。
 新書版ではなく、文庫版だったから、字体が小さく、山の民俗学なので、尚いっそう読みにくいのかもしれない。すぐに眼が疲れる。
 テレビ新潟、「新潟一番」月曜日に、(山人やまんちゅ)として登場。雪の越後を離れて、長野、群馬の、低い山を紹介している。人間的なあたたかみもあり、イラストも上手い。
 いつまでかかるか分からないが、最後まで読破しなければと思う。

 あたたかくなったら旧下田村を訪れてみたい。
 このことは、夫が言い出した。


      (上の写真は昨日撮った。一晩の積雪50センチ)


 下仁田ネギのとろけるチーズ焼き




 評判がよかったので、この次はもっと植えたいそうだ。

 願っていた、太陽が顔を出した。

 さっきまで雪が降っていたのに・・・


2014年 初日記

2014年01月05日 | 日記

新春の八海山






            孫娘の晴れ姿





 暮れの29日、我が家に来た。
 茨城と大阪の孫たち、待ち遠しかった再会。
 嬉しくって、嬉しくって、興奮して、笑って、ちょっとのことで泣きわめいて、収拾がつかなくなったりする。

 でも、いとこ同士。
 すぐに元のさやに収まって、仲良く遊んでいる。

 30日は正月料理づくり。
 娘たち、婿たちもいっしょだ。
 やっぱり、我が家の味がなつかしくなるのだという。
 料理人の婿がいる。手際よく何でもこなす。昨年から紅白なますも彼に依頼して、大助かりだ。
 それを見ているもう一人の婿は、いろんな調理法の伝授を受けていた。


 畑の下仁田ネギを、雪の中から掘り出して水洗い、食べやすい長さに切り、フライパンに油を敷かないで焦げ目をつける。耐熱皿に並べ、とろけるチーズをかけ、10分ほどオーブンで焼く。これがネギかと思うほど、とろけるような絶妙な味になる。写真に撮ればよかった。

 アウトドア、キャンプの話しで盛り上がる。
 登山の話しが出たので、若い頃、八海山の八つ峰の鎖場を登ったことを言うと驚ろかれた。鎖を持って、岩場のへこみに足をかけて登っている写真を見せてやった。地元山岳会の人が写真に撮った。あの頃は、スリルが楽しかった。
 登山は夢の一つだった。


          小さなかまくら



 雪は少し降っては止む。
 太陽も顔をだして、孫たちは橇遊びや、庭で小さなかまくらをつくった。
 その中で、お餅を焼いて食べたかったと5歳の孫。
 残念ながら、積雪量が少ない。

          かまくらの横は雪だるま?




 昨日、大阪の親子がお昼過ぎに帰った。
 残ったみんなと見送る。
 3歳の孫が、帰りたくないと大泣きをした。
 別れのときは寂しいものだ。
 この前は、小3の孫が泣きじゃくっていた。
 別れは、辛く寂しいものだが、会うときの希望や夢を育んでくれる。
 そうやって、1年、1年、成長していく。
 人を思いやる、愛情豊かな子供に育ってほしい。