妹が帰国。
母の墓参と、姉妹のミニ旅行も計画。
妹も、体調を崩して検査入院。退院後も回復が遅れた。
私も同じようなものである。
一泊旅行も自信がなかった。
元気な妹たちがプランを立てた。
前々日は湯沢に行った。
私は整形外科の予約日だったので、時間があまりなかった。
妹の運転する車中での会話が弾んだ。
大源太川?巨岩がゴロゴロしていた。水が少ない。
湯沢大源太湖、ダムサイトの下。豊富な水が滝になって流れ落ちていたの
に・・・
旅の初日は大雨。
行楽を楽しむことも出来ず、やむなく宿に直行。
谷間の温泉宿。
川を挟んで宿が連なる。
情緒もあったのだが、期待は見事に外れた。
ネットで申し込んだ妹が詫びた。
宿の、客への対応にも問題があった。
大した客ではない。
だが、おもてなしの心は大切である。
古い宿でも、それなりのぬくもり、清潔感がなかったら・・・
正座がきつい私のために椅子を用意してくれた。
接客のおばさんもニコニコしていた。
食べ始めようとしていた時、サイレンが鳴った。
10月23日。17時56分、中越地震発生の時間だった。八年目である。
宿の料理。
イワナの塩焼き、ニジマスの刺身、カレイの煮付け、車麩の煮物、カキノモト和え物、越後もち豚のシャブシャブ、ウドのキンピラ、等々。
何かが足りない。味つけだ。
妹たちも同じことを言った。
八年前の、あの日、あの時を思い出して、語りながら食べた。
八年前のあの前日、
母を祝って、大源太のビッチーニで食事をした。母と姉妹、大源太湖で写真を撮った。
その夜は、ナスパニューオオタニホテルで温泉を楽しみ、みんなで食事をして、私だけ家に帰った。
地震は翌日起きた。
家にいた私共は勿論、大パニックが起きたのは言うまでもない。
ごう~っという地鳴りのような音が先に来た。後は恐ろしいほどの揺れ・・・
妹たちも母も、ナスパニューオオタニホテルにいた。
東日本大震災時も、池袋の東武百貨店にいた妹が言う。
地震災害の恐ろしさを。
母に、顕著な異変が起きたのは中越地震後からだった。
八年・・・
母との日々が走馬燈のように駆けめぐる。
だが、思い出さなくてもよい。
忘れることだ。そう決めていた。
宿の家庭風呂。
露天風呂。(翌朝撮影)
写真だけ撮って、広い温泉に入った。
少しぬるめであたたまる、いい湯だった。
翌日もぱっとしない天気。降ったり、止んだりの。
国指定重要文化財、佐藤家。中越地方の豪雪地に分布する中門造りの形式を持つ民家。(1738年建立)
目黒邸にも行ったが、工事中だった。それにしても寒い日。
以前よく訪れた絵本の家も、留守のようだった。
山古志に向かう。
アルパカがいた。人なっこい顔で寄ってくる。
山古志の紅葉はこれからのようだ。
魚沼めぐりをして来たが、天候が悪くて残念だった。
アグリコア越後ワイナリー・レストラン「葡萄の花」で遅い昼食を食べた。
ピザもスパゲッティも美味しかった。
ワイナリーで、ワインのお土産を買う。
試飲コーナーで、何杯も試飲した。美味しかった。
翌日の県境の写真。妹から届いた。紅葉が綺麗だ。
昨日から風が強かった。山々の赤みが増した。
今は冷たい雨に変わった。