五
ようやく三軒長屋にも陽がさしてきた。
里子はお昼のおかずを何にしようか、店で買いながら決めようと思い家を出た。
坂道に出る石段を登った。八百屋でもやしと玉ねぎとさつまいもと、安かったキャベツを買い、豆腐屋で油揚げを三枚買って買い物かごに入れた。夕飯は天ぷらにしようと思っていた。一緒に揚げるちくわは夕方にする
里子の家にはまだ冷蔵庫がなかった。今時冷蔵庫がないと・・・母のフサエは懸命に内職をしている。洗濯機とテレビもほしいのだったが。
「里子さ~ん」
級友の市川初子が自転車で声をかけた。
「買い物?」
「ええ、そうよ」
「私もお昼前のお使い。またね」
「さよなら」
初子は行ってしまった。
里子が買い物にでて、めったに級友に出会うことはなかった。
級友といっても、中学からの知り合いが多い。誰とも仲良くしたが、親密な友人関係はつくらなかった。経済的に恵まれていない自分を恥じるでもなかった。
坂を上り始めると、ぐうぜんなことに、向こうから博一が歩いてくるのが見えた。一瞬のことだが、里子はパッとほほを染めた。
街灯の下で出会った博一と変わりはなかった。
「やあ、また会ったね」
博一は笑顔で近づいてきた。茶色のセーターがよく似合う。
「買い物?」
「そうなの。吉川さんは?」
「図書館・・・」
「だって、もうお昼よ」
「お昼どきはガラあきだろ。だから」
「ああ、そうか。M高校ってすごく競争が激しいんでしょう?」
「うん、すごいんだ。だから撲も嫌でも勉強させられちゃう」
「そんなこといって、吉川さんは何でも優秀なんだから」
「うそ、だよ!」
「じゃ、図書館に行ってらっしゃ~い」
「行ってきます」
ぐうぜんな会話に照れて、照れたことがおかしくて二人は声をたてて笑った。
博一と顔を合わせたのが、今日で二回目だった。
里子は空をふりあおいだ。まっ青な空が眼にしみて痛かった。
六
夏がきた。
里子も半袖のワンピースだ。母のお手製である。
フサエはみちのやでミシンを踏むようになった。編み物の内職は夏場は少ない。仕事熱心なフサエを見込んで、店主から声がかかった。縫子が一人辞めたので、ミシンもできる器用なフサエに声がかかった。
以前より少し家計が楽になった。小さいが念願の冷蔵庫も増えて、里子の日々にも張りがでてきた。
人間の生活というものは思わぬところで変わるものだ。みちのやが、フサエを拾ってくれなかったら大変困っていたのに。ぎりぎりの食費にしばられなくてもすむ。
父の一郎は、相変わらず不規則な生活が続いている。
コップに手づくりのえぞ菊がいけられるようになった。里子がりんごのあき箱に土を盛って、春、種をまいておいたのが花を咲かせた。白、赤、紫と、三種ある。
フサエは、早番の日、遅番の日とある。
里子が学校から帰ると、母は遅番の日で、父は寝ていた。
眼を覚ました父とこんな話をした。
「お父さん、事故おこさないでね。会社のためがんばっているのはよくわかるけど、お父さんが万が一けがでもしたら困るもの」
「働けなくなるからかい」
「そんなんじゃないの。お父さんの命が大事なの。お父さんはあたしのマスコット。こわされたら大変。あたし、すごくお父さんが好きなんだもの。高校にだしてもらったこと感謝しているわ」
「マスコットか。わしの方がお前をマスコットといいたいよ」
「実際はそうかもしれないけど、あたしは反対にしたいの。あたしは若くてピンピンしているもの」
「なんだ、わしはこわれやすいセトモノっていうわけか」
「タクシーの運転手しているあいだはね」
「お前は親思いだな」
「どうして?誰だって、親は子を思い、子は親を思う、あたりまえでしょう」
「お前はいい娘だな~」
「また・・・」
「お前に比べてわしは親不孝だったよ。小さい時から親に反抗ばかりしてた。親の死に目にも涙一つ流さなかった。何一つ不自由しない百姓家に生まれてか甘い夢を描いて東京にでてきた。ところが理想と現実は大ちがいさ。自動車修理工場で働いて、田舎者だ、チビだって、いつもこっぴどくたたきのめされた。くやしかったさ。こんなわしにお前のような娘ができるなんて・・・」
一郎は下を向いた。
「お父さん、やめて」
里子は涙を流していた。父を親不孝だとも思わない。時代のせいもある。家の環境もある。戦後、人間は自分を生きることでせいいっぱいだったかもしれない。
父のざんげにも似た言葉をはかれるとつらくなる。
「お父さん、もういからもう一寝入りしたら。健康第一でしょう」
「分かった、分かった、じゃあ、また寝るよ」
「どうぞ、どうぞ」
父を寝床に追いやると、夕食の準備をする前の勉強を始める。
里子の成績は高校に入ってもクラスで首位にある。もっと頑張らねばと思うのだが―自分の生活を勉強としばりつけるのがいやだったから、一日にせいぜい一時間、頑張ったときで三時間がやっとである。
博一とも顔を合わすことが少なくなった。
みちのやの帰りに出会ってから一月半。もう七月だ。
あれから四、五回顔を会わせたが、里子も手頃な会話も浮かばず、あいさつていどで別れてしまうことが多かった。
博一が少し変わったことに気がついていた。
ユーモラスな表情のどこかによそよそしさがある。男の世界が分からないからかも知れない。里子と話しているときの博一は、わずか数分でしかないのに心はそこにないような気がした。はるかかなたを望むような眼をしていた。
勇とは何度も顔を合わせた。
二回、彼の家に行った。八千代と三人でテニスを楽しんだ。里子の劣等感など消えてしまうようないい人達だった。だから木俣家からの帰りは清々しくなっていた。
門から入ったことはない。急な斜面を登り下りした。
八千代も好感の持てる少女だった。
里子はずっと前、ほんの一瞬、印象に残った少女が八千代だったとは思いもしないでいた。
つづく。
朝の花 盆花といわれるミソハギ(ミソハギ科)
六万騎山 地蔵尊山門
石段を登るとロープが張られていた。
ここも、集中豪雨で山が削られたのだろうか。
つたないブログをお読みいただき、ありがとうございます。
お盆に入ると我が家もにぎやかになります。
(十六歳の創作 微風)は、静かな環境に戻るまでしばらくお休みします。
十五から十六歳まででしたが、勉強もせず幼稚な文章を綴っていました。原稿用紙ではなくノートに書いたもので、短いからキーに打ち直してみようと始めてみました。、思いの他長くて閉口しています。つまらない創作文で大変失礼申し上げております。少女の頃書いたものは、「微風」で最後といたします。
ありがとうございました。
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