千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

創作  雲の合間 5

2012年06月28日 | 日記



 私は心が冴えなかった。
 何やら思わしくない秋空のような予感がした。
 遠藤圭子から電話があった。
 受けたのはフロントにいた私だったが、圭子の声に感情の昂ぶりを抑制しているような、響きのない声が気になった。
 話したいことがあると、日にちと場所まで指定してきた。私に異存はなかったが、何を話したいのか皆目見当はつかなかった。
 強いて言えば、宗人の姿をホテルで見かけることが多くなったことは事実だが、公私混同するような会話もなかった。
 宗人を意識の内に置くようになって、殊更意識外に葬るように努めた。
 陶芸家圭子を妻に持つ宗人。父性愛にも似たしずかな思いが育まれつつあることは確かだった。しずかに芽生えたものは、しずかに蓋を閉じればいい。

 隣町の川沿いのレスト・カフェでの待ち合わせは午後八時だった。
 真っ暗な川面に、橋の上を走る車の灯りが映る。
 静かな闇夜だった。
 川面だけがきらめく出窓のそばで圭子を待った。
 ほどなくドアが開く音がして、圭子が入ってきた。
「お待たせ。宗人待ちだったのよ。子供二人いるのでね」
 屈託なさそうな笑顔だった。
 私も微笑んで頭を下げた。
「マスター、二階開いているよね。使っていいかな」
 店主に声をかける様子も明るかった。
 寡黙そうな店主は、頭を二度下げることで了承したようだ。
 階段を昇っているとき、賑やかな笑い声がして四人連れが入ってきた。店主のいるカウンターの椅子にどっかりと座る。
 二階は三角屋根を利用した造りで、小部屋が二つあるようだった。
 ドアのノブを回しながら、
「ごめんなさい。うるさいのが来るから落ち着けないのよ」と、圭子は詫びた。
 何の感慨も思惑も持てずに、頭を下げた私。
 小部屋はログハウス風。一枚板のテーブルと長椅子二脚。出窓に暗い照明がついていた。
 階下の出窓にも置いてあったが、ミニ陶芸品は遠藤圭子の作品なのだろうか。ネコやフクロウやカエルが愛くるしかった。
 眼をやっていると、
「ああ、それね。私がつくったの。可愛いでしょう」、と圭子。
 縦、横幅とも五㌢ほどの手に取りやすい置物だった。
 重くはないがどっしりした安定感があった。
「可愛いですね。さわってもいいですか」
 用件を切り出される前のぎこちなさが私にはあった。
「どうぞ、どうぞ。作品づくりに試行錯誤しているのよ。売れない時代だし、頭痛いわ」
「すみません。ホテルに陳列してある作品しか拝見したことがないんです」
事実だった。陶芸がどのようなプロセスを経て作品になるのかだって、詳しくは知らない。
「あら、そう? 宗人の工房に行ったことないの?」
 何か誤解を受けている気がしないでもない。
 ドアをノックする音と同時に、「失礼します」の声がして、コーヒーのトレーを持った若い娘が入って来た。
 圭子は話をやめ、「お母さん、いなかったわね」と声をかけている。「母は親戚の結婚式で横浜に行ってます」「そうなの。お店のお手伝いが出来るようになって、お父さんもお母さんも喜んでるわよ」
 娘はニコッと頭を下げ、出て行った。
 店内の賑やかな話し声が、かき消されたように静まりかえった。
 コーヒーを口元に運びながら圭子は言葉を吐いた。
「へえ~っ、行ったことないの」
「ありません。君子さんとどうぞって言われたことはありましたけど」
「一人で行ったことはないの?」
「ありません。そのようなことはしません」
 何か、勘違いされている。
 電話での感情を抑え込んだ圭子の声が甦った。
「ホントにないのね。宗人はあれで女性にモテるの、とばっちりをくうのはいつも私。前だって・・・」
 圭子は口ごもったが、誤解を受けているらしい私はただでは済まされないものがあった。
「何かあったのですか。お話にならなくてもいいのですが、何にもないのに誤解されたくはありません」
「そう、誤解したのかな。悪かったわね。私も、かあっとなる性分なのよ。多分間違いないと確信を持つと、方向性は同じ。あくまで追求しつづける。
宗人を追いかけて来て一緒になった、私の眼に狂いがあったようね。私はこの通りの性格だから白黒はっきりしないと気が済まないの。宗人はのらりくらりと私をすり抜けて今まで来たわ。仕事面では意気投合もするし、喧嘩もしょっちゅう。宗人は黙り込むし、私は許せない。私が忘れてしまったようなときにまたやさしくなる。宗人には負けたなと、いつも思う。そしてまた壁にぶつかる。その繰り返し。
宗人は、女性に弱いのよ。
私と工房が離れてから、特に痛感するわ。住まいはいっしょよ。
電話が来るの。無言電話よ。私だと相手は出ない。
宗人だと出るのよね。ボソボソ頷いたり、相づちを打ったり。誰だか分かっているのよ。知らないふりをしているけど、相手も相手よね。とんでもない時間に電話寄こして、今海辺にいるけど来てくれなかったら死んじゃうとかなんとか。女は魔物よ。私も宗人もまったく分かんない。宗人の生徒だから我慢しているけど、年上よ。利口そうに見えるけど馬鹿よ。馬鹿馬鹿しくて話にならない・・・」
 美大を出たという圭子は、才能もあり、頭脳明晰で、話す言葉も淀みなく惜しみなく湧いて出る。
 正直のところ疲れた。聞きたくもない話までも飛び出してくる。
 私の年齢を確かめ、私に宗人への懸念がないことを確認させて帰ったに過ぎなかった。
 圭子が宗人より十歳若いことも分かった。

 遠藤宗人。そうだ。封印すればいい。
 私もいつか人の妻になるかも知れないのだから。

                             つづく。



 「雲の合間」は、あと二、三回、休ませていただきたい。



 お家ご飯。

 トマト&玉子の塩麹スープ。




 ヤマブキと加賀揚げの炒め物(大皿盛り)
 またヤマブキを採取。葉は佃煮に、と聞いたが虫がついていたので捨てた。






 初採れルッコラとクレソン。トマトは店で買ったもの。






 ヤマブキの塩麹煮。
 シンプルだが、塩麹がなじんでくると美味しくなる。庭の山椒を摘んだ。




 大根葉の味噌炒め。
 菜っ葉飯として昔から馴染んだ。
 今朝、大根二本をいただいたが、葉っぱの部分が切り取ってあった。真ん中より上の部分を、お昼に納豆とクレソンを混ぜた「なっぱめし」にして食べた。
うう~ん、美味しい! 越後生まれはやっぱり田舎の味が好きなのだ。



 タチアオイ(アオイ科の多年草)
 魚沼では、この時期どこでも咲いている。






 朝の風景。





六月の夕景

2012年06月21日 | 日記


 
東の空
山の上を雲が動いている
乳色の雲が走っている
次から次へと絶え間なく
北に向かって走る

走れ 走れ
西の空まで走れ

西の空は 陽が落ちる前
ねずみ色の重い雲の向こう
青空のはるか手前
バラ色のシャーベット雲が広がっている

走れ 走れ

走って バラ色に染まるのだ

 ( azumi)


 こんな情景に出会うことがある。
 梅雨の合間の夕景。
 家にいて、乾きの悪い洗濯物を取り入れるとき。
 あちこちの開いた窓を閉めるとき。
 階段を昇るとき。
 階段を降りるとき。
 バラ色の夕陽が反射して、眼に飛び込んでくる。
 私は家の中。

 急げ、急げ。
 走れ、走れと、駆け足の雲たちに呼びかける。

 今日も、うすぼんやりとした梅雨空のまま暮れていきそうだ。


 朝の花。

 ウツギの一種らしい。
 挿し木にしたら根がついたという。
 野山のウツギと少し違う。土を這うように咲いていた。



 畦道のハルジョオン「別名ハルジオン」(キク科)



 ヒメジョオンだったかハルジオン。
 遠い日を思い出す。
 母親の誕生日に、抱えきれないほどの花を摘んだ女の子。
 貧しかった部屋にヒメジョオンの花が飾られていた。
 どんな花よりも美しいと、涙したことを思い出す。

 お家ご飯。

キュウリの塩麹漬け。



 初もぎピーマンをのせたサラダ。



 同じくサラダ。





 玉子の殻が簡単に剥ける方法を聞いた。
 鍋底から一センチの水を入れる。玉子(何個でも同じ)を鍋に入れ、沸騰したら蓋をして五分。蓋はそのまま、火を止めて、蒸らす。三分たったら蓋をとり、玉子は冷水に。綺麗に殻が剥ける。
 サラダ、サンドイッチなど、玉子の硬さも好みの調整ができる。



 木の芽(アケビの芽)のお浸し。

 またいただいた木の芽。北魚沼で採取。



 サバの煮付け。 
 料理酒。味醂。醤油。水。生姜。落とし蓋。弱火。



 初もぎ獅子唐のバター炒め。粒胡椒。



 カリカリベーコン&トウモロコシ&ホーレンソウの和えもの。

 トウモロコシは家庭菜園、昨年の冷凍もの。ホーレンソウ、ルッコラは買ったもの。バジルは畑で。
 油なしのフライパンでベーコンをカリカリに焼く。ホーレンソウは湯がく程度で、水気をしぼって小口切り。解凍済みのトウモロコシ、ブラックペッパーを振りかけて和える。
 これにワサビドレッシングをかけてみた。勿論、塩分控えめで。
 残り物を使った一品だったが、なかなか美味しい。







六月の小径

2012年06月14日 | 日記



歩いてきた径を
振り返ることだってあったわ
そう
ときどきね
たいした径ではないわ
砂利を敷いた小径よ

砂利径なんて
歩きにくくって仕方がないから
要らない砂利を
こっそり足で払いのけて
平然と歩いてきたみたい

払いのけた砂利は
小川に落ちて
知らず知らずの間に
川に押し流されるの

小さな川から
大きな川へ流されて
その後どうなったかなんて知らないわ

けっ飛ばしたことなど
とっくに忘れて

砂利を敷いた小径を懐かしんでいるわ

雨に濡れた小径を思い出しているの

何やらつぶやきたそうだった石ころや
露をふくんだ野花たちの満ち足りた顔をね

六月の雨の小径で

                        (azumi)

 太極拳はきつい。
 動作は一見ゆるやかで、私向きに思えたが慣れるまで時間がかかりそう。DVD付の入門書も買った。
 講師にも言われた。リハビリだと思って、ゆっくりやって下さい。そう、リハビリ入会なのだ。
 基本の足をあげる動作すらできない。柱を支えにやってみたが、後で身体中に筋肉痛がきた。かつては柔軟な身体だったなんて話にもならない。今が大事なのだ。負荷がかかりすぎないように、ゆっくり、ゆっくり続けたい。

 お家ご飯。

 ミズの炒め物。 ミズはミズナとも言い、 野草名はウワバミソウ(イラクサ科)。 山菜として親しまれる。昨年夏の豪雨で山が崩れ、山菜採りの場所が減少。我が家でも、一度の採取だけだ。
 ミズは皮を剥き、塩を加えた湯でさっと茹でる。アクが少ないので冷水にさらしてすぐに調理できる。サラダ油、料理酒、味醂、醤油、だし汁、ねりもの(我が家は市販の加賀揚げ)、輪切り唐辛子を炒め合わせる。



 新生姜の甘酢漬け。 新生姜の赤い部分が色づけになる。山ウドでもよく作った。



 ミズの塩麹漬け。 塩麹ブームからずっと塩麹を作り続けている。酒麹、醤油麹、ジャム麹はまだ。ホームベーカリーでの塩麹パンは失敗。市販のパンを食べていない。



 コンニャクとがんもどきの含め煮。



 あり合わせのもので美味しく食べられる。コンニャクは湯通しと包丁を入れておくこと。だし汁、酒、味醂、醤油で煮含める。



 らっきょう漬け。 らっきょうが送られてきた。ずっしりと重い。美味しく変身するのだから、生らっきょうの臭みはすぐ忘れる。



 蕪の千枚漬け。 蕪が美味しい季節。我が家の菜園はこれから。



 野菜サラダ。 バジルの葉五枚が菜園の収穫物。トマト、野菜、八朔ジャム、オリーブオイルで。朝のパン食に合う。



 私の「お家ご飯」。全てが美味しいので、太ったかも。栄養管理にも気をつけたい。
 菜園野菜が待ち遠しい。

 朝の風景。



 朝の風景。



ペパーミントの頃

2012年06月07日 | 日記



人は
誰もが
夢をみているのだろうか
やさしい夢の中に
自己を閉じこめてしまうことがあるのだろうか

人のざわめきの中に
揺らいでしまう心
やさしさまですりへらしてしまう心

人が
回帰してゆくとしたら
きっと
ペパーミントの頃
ただ真理を求めていた
透明な時代
あの頃


 鉢植えのミントの香りが漂う。ハッカのような独特の香り。

 ハーブに凝った時代があった。甘い香り、やさしい香り、その匂いに吸い寄せられた。

 花壇ではカモミールが今を盛りと咲いている。可憐な花だ。

 北側の庭ではフタリシズカが清楚なたたずまいを見せる。
 フタリシズカ(センリョウ科)




 朝の散歩中、土手でシシウドをデジカメで撮っていたら、知人に声をかけられた。四月後半、土手を弱々しく歩く姿を目撃されたらしい。ずいぶん元気そうになったねと言われた。四月は体力が全くなかった。春の連休を境に変わったのだから、畦道の雑草の生命力と同じだ。

 シシウド(セリ科シシウド属)




 川土手、あるいは農道と歩くコースを変えている。自宅までの時間も大体把握出来て、予定通りの散歩タイムとなった。
 農道を歩く途中で出会う知人に、「太極拳をやってみないか」と誘われた。昨日の朝だ。面白そうだ。午後出かけた。二時間、最初から覚えられる訳がない。疲れたが、いい汗をかいた。姿勢を正すためにも、筋力をつけるためにもやってみよう。

 「雲の合間」は、次回、その次と、お休みさせていただきたい。
 初夏はいろいろ予定があるために、創作に費やす時間が持てなくなった。


 週末の銭渕公園。
親子連れが多く、少し遠慮ぎみに離れて撮った。




 同じく公園で写生会があった。
私も参加。絵の方はさっぱりだった。



 お家ご飯。

 ネマガリダケの味噌汁。ネマガリダケ、高野豆腐、鯖水煮缶、わけぎ。



 シオデのお浸し。



 ヤマブキと加賀揚げの炒め物。ヤマブキは皮を剥いてからかために茹で、冷水に漬けておく。



 ワラビの三杯酢。鍋の湯が沸騰したら火を止め、市販のアク抜きを入れる。その中にワラビを入れ一晩置く。蓋はしない。