千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

Again

2011年10月31日 | 日記


  
Again
いつかまた
出会えるかも知れない
そのときのために

心の入り口を塞いでおこう

Again
いつかまた
出会えるのはいつだろう

冬が来て
春風が吹き
夏が通り過ぎ
山リンドウの季節になって

Again
いつかまた
出会えるかも知れない
そのときのために

心の入り口は探し出せないでいるだろうから

あなたに伝えるものは
精いっぱいのほほえみだけにしよう

                           (azumi)


 秋日和のおかげで、
渓谷添いを歩いてきた。







 清津川を眼下に見下ろしながら、あるいは川と平行しながら歩く、「湯沢トレッキングコース」は八木沢から鹿橋手前、榮太郎山登山口までかなりなコース。前日までの雨のためか、足場が悪く閉口した。団体、あるいは個々に歩いている人が多い日だった。
 足ならし済みの私は、夫と二人、4時間半かけて往復した。
 久々の山歩きに心が充足する。








 懲りずに、また三国川渓谷へ出かけた。ここは立ち入り禁止区域だったので写真だけを少し。
 七月末、豪雨の爪痕が生々しい。道路が寸断されていたり、復旧はいつになるのか。

 そして、昨日のコンサート風景。
 フォルクローレの仲間たちが、本番後、また賑やかな演奏。
 飛び入りのアコーディオン奏者、ケーナを吹く女性の上手いこと、上手いこと。
 アンプなしの生演奏で盛り上がった。



 友だちとのおしゃべりが弾んだ。
 そこに、電話音・・・
 母のいる老人ホームからだった。
 少し熱があります。体温調節をしておりますが・・・
 行きます、行きます・・・
 家まで急いだ。
 夫は、日曜日で缶ビールを飲んでいたので車の運転は駄目だと言う。
 急ぎ足、急ぎ足・・・
 とは言え、年齢のせいもだが、病後走ることが出来なくなったのだ。
 ゆっくり歩いて三十分の道のり。
 急いで帰宅して、車に乗り込んだ。

 看護士が、熱もやや下がったし、痰はつまっていないし、安定した状態だと報告してくれた。
 母は薄目を開けて、私を見たようだ。
 髪をなでていると、おだやかな表情で目を閉じている。
 ホッとした。
 コンサートの興奮と、車で急いだので、とても疲れた。
 帰宅後、わずかなゆず酒で喉を潤した。疲労回復の、何ものにも替えがたい良薬だった。
 妹たちには事後報告、つまり、ブログを報告代わりとしよう。

 今朝、老人ホームに電話をかけた。
 熱は下がったので、このままの状態ならばお電話いたしません。体温調節をしながら様子を見ます。


 看護士からの電話はない。
 明日また、母に会いに行こう。



お話 僕はシドです

2011年10月26日 | 日記


 ボク、シドだよ。
 お母さんの夢の中に、会いに来たよ。
 お母さんの腕、ふくらんでやわらかくなったね。
 ボクも、あの頃は痩せてしまっていたから・・・
 今、ちょうどいいよ。とってもあったか。

 お母さん、ボクたちのために、
毎朝、お水を取り替えて、みんなの名前を言いながら「おはよう」って、手を合わせてくれて・・・ありがとう。
 ボクもナンシーもラブも、
   それから、トシも元気も、
      ボクの知らなかった、ハナって子も・・・
みんな、ありがとう・・って思っているよ。

 お母さんはいつも、
自分を取り戻したい、って・・・心の中でつぶやいていたけど、
すっかり元気になったね。
 ボク、嬉しいよ。

 あの頃のお母さんは必死だったね。
 いろんな壁にぶつかって、
 ボクまでが、高通事故に遭った。夜だったから、診てくれた犬猫病院では、痛み止めの注射だけで帰宅した。
 お母さんは、寝ずの看病をしてくれたけど、夜中に、痛くって、痛くって、ボクはお母さんの手の甲を思いっきり噛んでしまった。血がいっぱい出たね。
 翌日、設備の整った動物病院に連れて行ってくれた。
 脊髄を損傷していて、回復の見込みはないと言われたね。

 だけど、みんなの愛の手で助けられた。
 お母さんの友だちから友だちへ、T君とMAちゃんが長岡まで連れて行ってくれて・・・やさしい獣医さんのおかげで、春には歩けるようになった。びっこもだんだん上手になって、変な横歩きだったけど・・・嬉しかった。

 お母さん、雪の季節だね。
 思い出すんだよ。あの大雪の中、ボクを懐で暖めながら、家の脇の高く積もった雪を踏み固めて、排尿排泄の介助をしてくれたね。
 自分もあんまり丈夫じゃなかったのに・・・
 事故から何年も経って、ボクの右頬に瘤が出来始めたね。
 切除しても、また出て来る。長岡まで何度も通ったね。
 そのうちお父さんも同伴するようになって・・・

 ボクはそれでも頑張った。
 トイレも、家でするのが嫌で、
お母さんが、木や草の生えているボクのお気に入りの場所に、散歩がてら連れて行ってくれた。
 膀胱炎、腎臓結石、いろんな病気に取り憑かれて、右頤まで切り取った。腫瘍が喉に到達したら、もう手の施しようがないと宣言されたね。
 ボクは、骨と皮ばかりになったね。
 ご飯も柔らかいものを、ほんの少し・・右の頤がないから、食べさせるのも一苦労だったね。

 春、もう駄目かとボクも思ったけど・・8月まで生きて・・・

 お父さん、お母さん、ありがとう。
 平成17年8月、最後の日曜日・・・
 やっと歩いて、お父さんの膝でお別れの挨拶。
 19時10分・・・お母さんに見守られながら・・さよならした。
 最後までかわいがってくれて・・・ありがとう。
 ボクは忘れないよ。  また会いに来ます。

            2008・1・20 記

 シドは、少し元気になると仕事場にも来たがった。
 スタッフがいるときは遠慮していたが、私たち夫婦だけの時は椅子の上に座らせた。二人だけの仕事場ではジャズをかける。
 シドがうっとり聴いていることがあった。
 レイチャールズ「ホワッドアイセイ」
 まさかと思ったが、何度聴かせてもこの曲がお気に入り。
 友人まわりで、地元FM局「我が家のペット」に出演したときも、この話しをした。
 担当の美人アナが驚いていた。

 「ジャズが好きなシド君!カッコいいですね!」



 昨日からぐっと寒くなった。
 雨で見えないが、山に初冠雪。

 雨の八色の森公園。



 朝の一品。
 あまんだれ「ナラ茸」汁。





あれから 7年

2011年10月23日 | 日記



 中越地震から7年。
 3年を経た日に書いたものである。



 あれから 3年

 平成16年10月23日。
 午後5時56分。
 中越地震 発生。

 昨年も、一昨年も、
この日になると、それぞれのあの時の話で持ちきりになる。
 スタッフ4人だけの仕事場。

 九州旅行の途中だった人、入浴中だった人、
私達夫婦は、夕食の買い物に行こう、としていた時だった。
 ゴオーッという音と共に、前代未聞の激しい揺れ。
 キッチンでは、グラスや食器が落ちて割れる音・・・たちまちパニックになってしまう。
 それでも、二階にいる猫のシドが気にかかって、電灯も消えてしまった階段を上ろうとしたら、また、余震。
 シドは身の安全を心得ていると夫に制止され、2人で外に飛び出した。
 薄暗くなっている戸外に、近所の人たちが不安そうに寄り集まっている。
 また余震、そして、また。
 消防団員に導かれるまま、小学校の校庭に避難。
 人々の数が増えてゆく。
 続く余震・・・ そして、寒さ。
 結局、夫と私は、小、中学校に分かれて避難する事になった。
 携帯ラジオで、概要は分かってきたものの、相次ぐ余震で、朝まで眠れなかった。
 夜が明けて、近所の人たちと帰宅。
 機械はあちこちに動き、物が散乱している仕事場を通り、足の踏み場もないキッチンに眼をやりながら、一番気になっていたシドに声をかける。
 にゃーぁん!
 お母さん、怖かった!
 交通事故で脊髄を損傷。足が不自由なシドが、階段の上で私を待っていた。
 愛しくって、
申し訳なさでいっぱいで、階段を駆け上がってシドを抱き上げた。 

 湯沢の娘の家族も、 妹たちと湯沢のホテルにいた母も無事だった。

 電力が復旧したのは、午後。
 電話も携帯もつながりにくかった。

 何日かして、また大きな余震があった。
 埼玉の妹夫婦が 、母を自宅に避難させるためにやって来た。

 被害は大した事もなく済んだが、 家の所々に爪痕が残った。
 そして母、
中越地震がきっかけで、老齢者独特の疾患と認知症が進むこととなってしまった。

 (シドは、一昨年の夏の終わりに、永遠に旅立った。)

                   2007年10月23日 記



 中越地震の頃の私は、病後の後遺症もあって、心身の恢復に手間取っていた。
 いろんなことが起き、積み重ねられてゆく。
 シドが交通事故に遭った。
 現場を見た訳ではない。
 家の前で動けなくなっていたシドを、仕事帰りの長女が見つけた。弱々しく救いを求める声がしたのだそうだ。

 世の中がおかしくなっていた。
 もがき上がろうとすれば、また叩きのめされる。
 多くの同業者が去ってゆく。あるいは逃げてゆく。
 そんな状態のとき、私に病気がくっついて、シドまでが瀕死の目に遭った。
 自分のこともだが、シドが憐れだった。
 負けまい、と思った。
 歩けなかったシドは、一旦元気になり、横歩きのおかしな歩行をするほど恢復したが、やがて顎の骨に腫瘍が出来はじめ、切開してもまた出来るという奇病にかかった。悪性ではなかったが、最後は顎を切除。膀胱結石が出来、やせ衰えて私たち夫婦の見守る中で、息を引き取った。平成17年8月28日、日曜日の夕方だった。

 7年前の今日は、土曜日だった。とても寒い日だった。
 雨模様でも今日は暖かい。

 冬は寒波に大雪。
 3・11東日本大震災。
 地球が狂ったように、様々なことが起きる。
 もう終わりにしてほしい。
 放射能汚染はいつまで続くのか。
 苦しめられて生きる人々、未来をになう子どもたち。

 この地球に、おだやかな明日が来ることを願いながら・・・


 7月末の、新潟福島豪雨の爪痕が残る、坂戸山美佐島トンネル辺り。



 同じく、トンネルそばの坂戸山。
 ツリフネソウ(ツリフネソウ科)









秋日和

2011年10月21日 | 日記

     
 晴天つづき。
 19日は、足ならしに近くの山に登った。
 紅葉にはまだ早い。
 ホウノキの落ち葉だけが、すでに朽ちてカサコソ音を立てる。
 誰もいない山。
 誰にも出会わなかった。
 それでも用心深く、熊避けの鈴を鳴らして登る。
 321M。
 低い山。
 午前10時から登り始め、45分後には山頂。
 金城山(1369M)、坂戸山(634M)が見える。
 赤とんぼが心地よさそうに飛び交っていた。






 深く息を吸い込んで、深呼吸。
 ときおり小鳥のさえずり。
 落下する枯葉の音がやけに大きい。
 頂上だけは、車や機械の音から遮断された別天地。
 足ならしだったが、しばらくぶりのトレッキングはややきつかった。
 ゆっくり、ゆっくり登った。
 見渡す秋いろの風景が心地よい。
 ほほをなでる風もやさしい

 下山の足場には要注意。
 うっかりすると枯葉で滑る。
 下山もゆっくりと。
 足ならし終了。1時間20分。
 一人トレッキングの充足感。
 晩秋の山歩きもできそうだ。

 そして、昨日、
八海山尊神社大火渡大祭を見学に出かけた。
 夫に同行。
 社務所前で、プロ並みの写真を撮る男性に出会った。
 30分ほど歩いたが、男たちの足は早くてとてもついていけない。夫が時おり待ってくれたが、かまわないで先に行ってと頼んだ。
 会場の神社の広場まで、沢山の人々が歩いている。
 途中、絵画教室の男性の先輩たちにも会ったり、思いがけず娘の友だちにも声をかけられて、話しながら歩いた。
 瞳の大きな可愛い娘、連れの女性は一眼レフを肩にかけていた。いまどきの娘たち、カッコいい。

 会場には屋台あり、大勢の人たちでごったがえしていた。
 竹垣のゲートに陣取り、「大火渡式厳修」なる厳かな儀式を拝観した。
 行者たちが「般若心経」を延々と唱える。














 火を渡ること、
それは一切の不浄の滅却であると同時に
     神と人とが一体となる最大の法悦である。

 行者たちが素足で渡りだしたのを見届けて、会場を後にした。
 午前10時から会場まで歩き、2時間以上も立ちっぱなし。
 さすがに疲れた。

 2日間の疲れ、
でも心地よい疲れだった。

 今日は午後一番で友人の店に行く。
 山ともだちもいたので、足ならしを報告したのは言うまでもない。

リンドウの花

2011年10月18日 | 日記


   
秋の日の
日ざしがやわらかなあさ
あなたが
そっと
ささやきかける

わたしに似ている
誰が・・
あなたが 
小さな声が
そう
つぶやいたみたい

あなたの心が
私の目の中で揺れている

秋になると
あなたに会える
私(わたし)色のあなたに会える
うす紫の 花のあなたに会える

風もないのに
あなたが揺れて見える
あなたの心が
そのまま揺れているみたい

うす紫は はかない恋の色
どうにもならない恋の色

あなたは
誰かに 恋をしていたのですね
それを 伝えたかったのですね

      1988・10・12  azumi

 23年前、ノートに書いた詩。
(リンドウの花が大好き)と最後に書きとめてある。

 母が、リンドウの花が咲いたと台所の私に声をかけた。
 朝食の洗い物を終えて、庭いじりをしている母のそばに駆けつけた。
 さみしげで、はかなげで、目立たない花だけど、好きな花。
 朝陽を浴びて、パッと花びらを開いていた。
 さみしげで、
はかなげどころではない。
 私はここに咲いています、と主張していた。
 お母さん、
リンドウって私に似ていない。
 母は私を見やって、
そう言えば似ているかなあ、と笑った。
 いい年をした娘が、小娘みたいなことをと思ったに違いない。
 そして、おそらく血をわけた娘の言いそうなことだとも。

 庭のリンドウは、夫が山から掘り起こしてきたもの。
 その頃の山は、秋を問わず山野草の宝庫。ブームになる前のことである。
 春は山菜、夏は鮎釣りに網ぶち、秋は茸と、休日はめったに家にいない夫だった。
 山に入ると山野草も目に飛び込む。少し採取しては庭に植える。母が山野草に関心を抱き始めた。花友達と花を交換しあったり、我が家の庭は山野草だらけの庭となった。山野草、愛好家ならではの花、地味ではある。

 秋が深くなると、
山のリンドウに会いに行きたくなる。
 家の庭ではなく、秋の山道にひっそりと咲くリンドウの花がいじらしい。
 こんなところにも咲いていたの。
 思わず声が出る。
 20年以上過ぎた今もかわらない。
 好きな花、出会って忘れられない山の花は他にもある。

 母が退院した。
 母の部屋のやさしい香り、おだやかな空気と活気あるホームのたたずまいに安堵して帰ってきた。

 明日晴れるという。
足ならしに、近くの山に登ってみようかな。

 庭のリンドウ(リンドウ科)



 魚野川 色づいた坂戸山